-  雑 空  - 

晴☆雨☆曇⭐︎にゃー

始動

2006-01-28 | のらすけ
俺、最近波が大きい。

疲れた。
「疲れた」と言うと「私のほうが疲れてる」と言われる。
そうです。
でも、疲れたものは疲れたのであってどうしようもない。

この半年眠れない日がどれだけあっただろう。
俺も眠れなかったが、カミさんはもっともっと多かった。
しかし、カミさんは以前のように始動開始、全開間近。
あとは俺の仕事が固まれば前の普通の状態に戻れる。

昨夜も寝付けず4:00に届いた新聞を眺める。
”ソニー株が値上がり”に、「ふ~ん」などと思い眺めていると のらすけ が起きてきた。
のどを”グルッポグルッポ”と鳴らしながら。
猫は普通”ゴロゴロ”だが、のらすけ は”グルッポグルッポ”なのである。
そう聞こえるのだ。

のらすけ は事故の手術前、安楽死の選択も提示された。
カミさんは涙を浮かべて”死なせない”と手術を選んだ。
俺一人だったらもう一方を選んでいたかも。
のらすけ が来てから流れがいい方向に流れたように思うが。
恩を忘れなかったのだろうか?
福猫になったのだろうか?


頑張らねばの~。
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配達

2006-01-27 | 
カミさんの店の品物をお客様の自宅に配達。

いつになく高価な品物で、カミさんに「壊すなよ、失礼のないように。」と念を押されて出発。
途中まではよく通る道で、15分ほどで無事到着。

お客様はご高齢のとても品のあるご婦人。
おれとのレベルは10ランク位は違うほど。
紹介状をもらって店の近くの病院に来て、たまたま目に入った品物に”一目ぼれ”したという。

住居も洒落た建物が多い中、なかなか風情のある立派なお宅。
玄関を入ると掛け軸などがあり”やっぱレベル違うゎ”とあらためて思う。
で、失礼のないように(ボロが出ないうちに)丁寧に3度ほど頭を下げて帰ってまいりました。

いつかはあんな生活してみたいもんだ。
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生力

2006-01-24 | のらすけ
尿結石の のらすけ

事故に遭いうちであずかる事になった猫。
尿管損傷で残った半分ほどの尿管を腹の真ん中に通す手術。
手術も無事終わり、術後も安定。
加減知らずに噛みついたり、私らが寝る頃に暴れ始めたり、とてもわがままな猫らしい猫生活を送っていたのだが、先週突然血尿が出た。
あわてて病院に行き診てもらう。
「尿結石です。1週間ほど食事療法でphコントロールと投薬して様子をみましょう。」とのこと。
で、今日が1週間目ということで、動物病院へ。
結果、phも6.5で順調に回復。
食事療法はこのまま続けて、あと3日ほど投薬することに。

道路を渡りきる寸前(たぶん)車にぶつかり、そのまま向かい側に走って行った。
翌日、その道路をまた命がけで戻り、店の奥の草むらにいたときは瀕死の重傷。
声も出さず、患部を舐めることも無く、荒い息をしているだけ。
草むらの上では、日陰になると日の光を追って移動していた。
病院に連れて行ったときは体温が少し下がりはじめていると。

ほぼ3頭身?、手足が太く、手のひらサイズの子猫が親から離れてしまい、餌をあげた大家さんと私らを親と思ったか?
「ここに帰れば...」と思ったか?
生きたかったんだろう。
猫に生死がわかるかどうか知らないが、のらすけ は生きたかったんだと思う。

調子こいて暴れすぎると床に1滴2滴と腹から雫(尿です)が落ちてしまい、掃除するこっちはたまらんのですが、獣医師曰く「あの状態からここまで持ち直したんだから許してあげてください。」と。
そう、ハンディ持っても生きてるんだから。

11月の手術時の体重は2.3kgだったのが今は3.6kg。
着々と大きくなっております。

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震感

2006-01-20 | 
先日金縛りについて書いたが、今日は地震。

30才くらいまでかな?
寝ているとき(昼寝も含む)に突然目が覚めてボ~っとしていると、地震が来ることが多かった。
翌朝の新聞を見ると震度1とか2とか。
普通は感じないほどの地震を感じて起きていたらしい。
ゆれてから起きるのではなく、地震が起きる1~2分前に起きていた。
縦揺れと横揺れのP波とかS波とかっていうの?
それを感じて起きていたとしたら凄くないっすか?
ほとんど動物じゃん。
その頃は結構キャンプツーリングしてたからなぁ~。

今ではカミさんに”夜地震あったよね。”って言われて初めて知ったって事もあるほど衰えてしまって...。
震度3くらいでは全くわからず爆睡しております。



以前勤めていた会社での話。
”1999年の滅亡”が無かったとの話題になり、同僚の一人がまじめな顔で「これから4~5年の間にアジアで大変なことが起きる。たくさんの犠牲が出る。防ぎようにも今からでは間に合わない。防ぐ方法はあるけど間に合わない。東アジアはたぶん大丈夫だろうけど。」って言ってたのを覚えている。
それってインド洋の津波とパキスタンの地震?



写真は のらすけ 。 尿結石につき治療中。
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検診

2006-01-13 | 
昨日、就職の採否の結果発表があった。
結果は不採用。
しょうがねーな、俺が選ぶんじゃないから。
1次試験80人以上受けて最終選考の12人に残っただけでも軌跡だと思ったから。
はい、次、次。

で、一緒に検診の結果が同封されて”2ヵ月後血液再検”の文字。
前回(3年くらい前)の受診でも白血球数が多いと出ていて、今回もまた出た。
”不整脈”は消えていたけど。
再診受けてきましょ。
あと視力。
30才くらいまでは左右ともに1.5だったのが、5年ほど前には左1.5・右1.2に。
今回は左1.5に右1.0.
なんか気持ち遠近感が変に感じる時がある(ような)気がしてた。
戻す方法ってないですか?
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文庫

2006-01-11 | 
通勤の電車で携帯やらをいじっている人が多かったが、わたしゃもっぱら本を読むことが多かった。
行きは15分ほど、帰りは15分ほどの乗車時間なのだが電車の待ち時間が20分くらいはあたりまえ。
1時間に2~3本しかない時間帯もあるもんで。
吉川英治やら司馬遼太郎、宮城谷昌光、黒岩重吾、高橋克彦などなど。
日本・中国の歴史物に凝ってしまい3年ほどで60冊以上。
この冊数は自分にとってものすごい数字です。

と同時に沖縄関係のものを見つけるとついつい買ってしまうことに。
○沖縄やぎ地獄/さとなお 角川文庫
○住まなきゃわからない沖縄/仲村清司 新潮文庫
○沖縄ナンクル読本/下川裕治・篠原章 講談社文庫
○魂込め(まぶいぐみ)/目取真俊 朝日文庫
○沖縄文化論-忘れられた日本-/岡本太郎 中公文庫
○琉球共和国/竹中労 ちくま文庫
などなど。
笑えるもの、感動?、切実な問題を抱えた時代のものから、いろいろです。

ここ1年は来るまでの移動が多くなり本を読む機会も減ってしまい、今日久しぶりに本屋さんへ行ってみた。
3冊購入。
○新南島風土記/新川明 岩波現代文庫 
久しぶりにじっくり読んでみたいと思います。
○機長からアナウンス/内田幹樹 新潮文庫
○機長からアナウンス第2便/内田幹樹 新潮文庫
この2冊はなんとなく買ってしまいました。

カミさんは以前私が買って棚の奥にあった”森の生活/ソロー”を読んでおります。

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記憶

2006-01-07 | 
今年も年賀状は出せなかったが、幾人かの方から気づかいの年賀やメールをいただいた。
ありがとうございました。

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八重山旅行から帰って1週間。
帰ってから八重山に関するHPやらblogをいろいろ探しぽつらぽつら見ていたところ、西表島いるもて荘のHPのいるもて30年の歩みにたどり着いた。
掲載されている30年前からの写真からみ見える”いるもて荘”と島の変化に感心する(驚く)ばかりです。

実はカミさんが10年程前に1ヶ月程ヘルパーとして手伝いをしていたところ。
で、自分が西表島についてはじめに覚えた名前が”いるもて荘”。
しかし?残念ながら未だ泊ったことがない。
(別に泊らない理由があるわけではない、避けているわけでもないです。)
その頃の私は毎年北海道ツーリングばかりで沖縄・八重山に関しては西表島の位置すらわからない状態。
新婚旅行って事でどっか行こう、と選んだのが沖縄本島。
翌年、カミさんの「八重山は、また違った雰囲気でいいところだよ。」って言葉にひかれて行くことに。
それから見事にはまってしまう。

次はいついけるかわからんけど必ず行く、と思う。
今度は夏に。
”いるもて荘”に。

写真は2004年12月の南風見田の浜です。たしか。
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雨雪

2006-01-06 | 
12/31日・那覇~仙台

朝から本降りの雨
朝8:00に予約していたタクシーで南部観光に出発。
帰りの飛行機が13:20で「1時間前には空港に着いていないといけない。」と運転手に言われ、あまり時間がない。

まず、斎場御獄へ。
その後、知念城に。
タクシーの運転手さんがどこにあるかわからず、私らが案内することに。
「とりあえず”くるくま”まで行ってください。」と。
程なく到着。
ここに来たのは3度目か4度目。
はじめに来た時は城までの道が整備(工事)中で、城そのものは草木に埋もれた状態。
前回は教育委員会が発掘調査中で、おじいから聞き取り調査をしていた。
今回は埋もれた石垣が掘り起こされ、草木もきれいに伐採されほぼ完全な形を見ることが出来た。

平和祈念資料館へ向かう。
最初に来た時、戦跡を回ったが、辛く苦しく、”平和の礎”で終わらせてしまった。
以来戦跡は避けてしまっていた。
今回は資料館も回ろうと思い向かったが、年末年始のため休館との事、なんと!
今度来る時は必ず向かいます。

玉泉洞で時間までウダウダし空港へ。
空港へ着く直前一瞬太陽が出た。
今回初めての太陽。

定時で離陸。
ウトウトしていたが「...富士山上空です。」のアナウンスで目覚める。
機内の乗客は座席の半分ほどか。
アナウンスと同時に左側の席の人がいっせいに右側に寄ってくる。
程なく都心のビル群らしきものが遠く遠くに見えた。
たぶん東京でしょう。
関東平野って広いな~って眺めていると「まもなく着陸体制です。」のアナウンス。

定時より10分ほど早く着陸。
さみ~..(寒い)
気温差は20℃近い。
そそくさとバス・電車を乗り継いで我が家へ到着。
外は雪で真っ白、やっぱ冬ですな。



今までは「せっかく来たんだから」見たいな感じであっちこっち急いで回ったが、今回はゆっくりとした旅行が出来た。
当初は節約旅行を掲げていたが、結局食費は今までと変わらないくらい。
でも、今までより旨いものが食えたかな。

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雨海

2006-01-05 | 
12/30日・石垣島~那覇

石垣島最終日。
「私らしく」ツアーの1泊コースで後泊まりのため、15:20発のANAで那覇へ移動。
前日からの小雨が普通の雨に変わった。
晴れていれば小浜島かまた竹富島に行こうとしていたが、雨の中チャリはいやだから断念。
で、今日もOTSのレンタカーを借りて石垣島島内を走ることに。
はじめに”みんさー工芸館”に。
一通り見学した後車に戻り再び西に向かって走り出す。
街中を抜けて名蔵方面に抜けると昨日よりも車も少なく「快適なドライブ」といいたいところだが、雨が次第に強くなり景色などほとんど見えない。
野底岳付近まで行ったが昨日見えた山影は全く見えない。

カミさんが行きたがっていた玉取崎の近くにある”はんなとーら”で少し早めの昼食をとる。
昨日通った時は”close”、今日は”open”の看板。
”石垣牛オリジナルしちゅう”美味でした。

その後どこ行くわけでもなく”ドライブ”してOTSに車を返す。
結局石垣島では1度も太陽は見られなかった。
空港に着くと天候不良による欠航便があり、私らの乗る便も欠航のおそれありとキャンセル待ちの整理券も一緒にもらう。
JAL/JTAの方に行ってみるとものすごい人があふれていた。
滑走路の距離が短いため、雨が強く降ると飛行機が降りられないことがあると以前来た時に聞いたことがある。
新しい飛行場の建設が白保の方に決まったようです...。

一瞬昨年のことを思い出すが、30分ほどの遅れで無事離陸。
乗った飛行機はB-737という座席数が126(133)あるにもかかわらず、乗客はなんと20人足らず。
初めてです、こんな人数。

程なく那覇着。
雨は降っていないがどんよりとした空模様。
モノレールでもってホテルへ。
国際通りに近いせいもあったが、ホテル周辺は人人人の大都会。
すごい人の数。
ここで暮らすって凄くパワーが必要なんだろうな。
みんなパワーがあるからここまで来たんだろうな。

チェックインを済ませ夕飯に出かける。
公設市場で食おうと思い行ってみたが、これまた人人人。
食わずに出て、周辺を徘徊。
すると”宮古ソバ¥350”のでっかい文字が眼に入る。
気になる。
しかし店内の様子は外からは見えん。
思い切って中に入ると普通のソバ屋、客が地元の人って言うか店主の知り合いばかりの様子。
味はこれまたうまい。
カミさんも満足のよう。
あっさり完食。

その後土産用のタンカン1箱(値切って)買ってホテルへ戻る。
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石垣

2006-01-04 | 
12/29日・石垣島

朝から小雨模様。
ここに来るたび離島ばかりで、石垣島は川平湾くらいしか回っていなかった。
ので、今回は1周しようとOTSのレンタカーを借りる。

唐人墓を回り、観音崎灯台は前回行ったのでパスし”みね屋工房”を見学して川平湾へ。
米原ビーチで昨日に続き貝殻拾い。
そんなに拾ってどうすんの?
そろそろ腹が減ってきたので飯場を探すがなかなか見つからず。
県道沿いにはしゃれた店が点在しているのだが、CLOSEの札ばかり。

そんなこんなで右手に野底岳を眺めつつ県道206と国道309の分岐点にさしかかる。
左に折れて平久保灯台を目指す。
途中”サビチ洞”なる洞窟に寄る。
ん~、なんか、ん~、って感じで。
かなり年季の入ったらしい厨子甕がずら~っと。
洞窟を抜けると海に出たのだが、戻りたくない、でも他の道はないしここを戻らないと帰れないし。
帰りはカミさんも無言で足早に戻る。

気を戻して出発。
まもなく”明石食堂”の看板を目にし、とりあえず寄ってみる。
店内に入ると席は満席に近く相席となる。
ほとんどが”わ”ナンバーの車の客で、後で調べたら有名な店だったらしい。
ソバを食う。
なるほど、うまかったです。

食後、平久保灯台を目指したが、入り口の看板を見落としたらしく県道206の行き止まりまで行ってしまい戻る。
灯台の駐車場に車を止め遊歩道を歩いて灯台の見える展望台に行くと、青い車が展望台に停まっていた。
車から降りて笠さして写真撮っていた。
車がすれ違えない幅の道ですけど、この道は遊歩道ではなかったのかい?
わたしゃ遊歩道だとばかり思ってましたが。
確かに雨が降っていた。
確かに小学校に入るか入らないか位の子供を連れていた。
でもさ~、マナーってものがあんじゃね~の?
2・30m位歩けよ、傘持ってんなら。
で、わたしゃ、”遊歩道”の真ん中を、その車がすぐには出られないよう遊歩道の真ん中をゆっくりと戻る。
平久保灯台で撮った写真に、海から発光体が出ているのが移っていて、”おっ”と思ったが何のことはない、雨の水滴がレンズ部分についていたのだろう(たぶん)。

灯台をあとにする
5分も走るとセンターライン付近に車を止め、なにやら記念写真をとっている”わ”ナンバーを発見。
”もっと左に寄せて停めろよ~、マナーってものがあんじゃね~の、危ね~な~”と思いつつ南下。

玉取崎展望台へ。
展望台へ行ったが雨風が強く遠くまでは見えない。
そそくさと駐車場に戻ると、トイレの壁にヤモリがいたのでちょいと突いてやった。
一突きするとササッと逃げる、また突くとまた逃げる。
何度か繰り返した後に発車。

白保を過ぎ、宮良川のヒルギ林あたりで”バラビドー観光農園”の看板を頼りに内陸部へ方向転換。
ここまで何度となく”バラビドー観光農園”の赤い看板を目にし、”バラビドー”の響きが妙に気になり行ってみることに。
ほかに客はなく、貸しきり状態。
なるほど花が咲き乱れ南国の雰囲気抜群。
フルーツ盛り合わせ2人前也をオーダー。
そこを出ても”バラビドーバラビドー”の韻が頭からはなれない。
どんな意味なんでしょうか?

そこから名蔵方面に向かい、”八重山民俗園”に。
そこで民俗園の人に”島の人?”と言われる。
まぁ、よれよれのジーパンにT-シャツ&ウィンドブレーカー、顔も彫が深いらしいから間違われるか。
いわゆる”観光””リゾートに来ました”って格好じゃなかったのは確かかも。
でも今回はちゃんと靴はいてたょ。

レンタカーを返し、ホテルへ。
カミさんはフルーツ盛り合わせがまだ腹に残っているらしかったが、わたしゃ腹が減ったので街に出る。
もちろんカミさんも一緒です。
”すし太郎”へ。
マグロ、マンボー、ガーラ、イラブチャー、島タコ、シャコ貝などのにぎり。
美味。
今回の旅行で一番の贅沢。

昼食といい今日はとても贅沢な食事で終わる。
雨だけが残念。
晴れていれば野底岳にも登りたかったし、何より景色が全く違ったものだったろうに、非常に残念。
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