これで一般理論コメンタールも三周目を終えた。達成感と徒労感が相半ばと言ったところかな。科学として、前提条件を明らかにして理論を構築するということがなくなり、それこそ最低の社会性もかなぐり捨てて経済学の基本に個人を置く。その個人を対象に理論を展開すると自己責任論に行き着く。その過程をこの50年間見てきたような気がする。
自己責任論は裏側に力の論理を持つ。力の論理とは戦争の論理だが、自己責任論の根底に競争の論理がある以上、必然であろう。競争が善なら勝者は善で敗者は悪である。戦争もまた然り。勝てば官軍と言うではないか。
どこから、どのように社会が本来持っているはずの社会性を回復していくのか?
「格差とは社会構造に根ざし、個人がやるべきことをやらなかったせいではない」という当たり前のことを人はいつになったら気が付くのか?
科学としての一般理論はそれを考える力を持っている。扉のとおり「古い思想から抜け出す方が難しい」のだ。
第24章一般理論がいざなう社会哲学―結語的覚書 筆者訳全文公開
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