意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

蘇我氏の正体 関裕二 **

2011年02月28日 | 本の読後感
関さんのこのシリーズは歴史読み物として楽しく読めばいいと思う。こういう見方もある、という本である。

まずは乙巳の変、蘇我入鹿暗殺事件、中大兄皇子と中臣鎌足は三韓がそろって来訪する日を狙って蘇我倉山田石川麻呂に上奏文を読ませ、用心深い入鹿を油断させて皇極天皇の目の前で殺した。入鹿が王族を滅ぼそうとしている、というのがその理由。これが乙巳の変である。日本書紀は蘇我氏は悪である、と主張しているが、これは日本書紀編纂に関わった天武天皇が天皇家の正当性を主張すべく記述した、という解釈がある。しかし、筆者は日本書紀にもう一人深く関わった藤原不比等が藤原家の正当性を主張しようとしたものとする。日本書紀が編纂されたのが720年、中大兄皇子が入鹿の陰謀としたのは山背の大兄王一族(上宮王家)滅亡事件を指していた。山背大兄王は父は聖徳太子、推古天皇崩御の後に皇位継承者候補となったが、蘇我蝦夷により田村皇子が即位、舒明天皇となった。舒明の次は皇極、山背大兄王は蘇我氏によって皇位から遠ざけられた。これは蘇我蝦夷と入鹿の専横だ、というのが中大兄皇子が訴えた立場であった。

筆者は時代が異なる菅原道真と蘇我入鹿の境遇が一致していると分析、人物として学堂で右にでるものがなく、国家改革事業で入鹿は屯倉制度導入や王家の強化を推進、道真も税制、監査、土地制度の改革を進め、これらがもし実現すれば藤原氏の勢力が危うくなったのが共通点だとする。そして入鹿も祟ってでていたとするのだ。入鹿暗殺後も孝徳天皇は蘇我氏の改革を進めようとしていた。しかし中大兄皇子と中臣鎌足はこれを妨害、孝徳天皇による難波遷都にも反発、中大兄皇子は飛鳥に都を戻した。蘇我氏の改革事業の痕跡をきれいに消し去ろうということを、日本書紀の筋書きを大きく曲げてまで蘇我氏を悪者にするカラクリがあったというのである。

入鹿殺害後いくつかの奇妙な出来事が朝廷で起きている。斉明天皇即位直後大空に奇妙な生き物が見え、斉明天皇が九州赴任時に雷神が怒り鬼火が現れ二ヶ月後に斉明天皇は崩御、その葬儀には大笠をかぶった鬼が出現したというのだ。祟っていた、というのは道真公のように蘇我氏に正義があったと人々が思っていたことの証拠である。

中臣鎌足は一体誰なのか、筆者は百済王豊璋がその人ではないかと推測する。豊璋来日後中臣鎌足が歴史に登場、豊璋が百済に召喚されると中臣鎌足も姿を見せない、百済と倭国が唐と新羅の連合軍に敗れ豊璋が行方知れずになるとふたたび中臣鎌足が中大兄皇子の前に現れる。中臣鎌足は百済救援を中大兄皇子に持ちかけ、その見返りに中大兄皇子は権力を手に入れた、蘇我氏はその邪魔をしていた、という構図である。入鹿が殺害されたときに古人大兄皇子が「韓人に殺された」と言ったというのは、ヤマト朝廷の方針変換のことを指しているという推測である。

武内宿禰は神話であり実在しないとされているが、日本書紀では孝元天皇の曾孫、古事記では孫とされている。日本書紀では景行天皇から成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇の5朝につかえたとされ、古事記は成務以降の4朝とされる。いずれにしても300年という長さであり考えられない長寿である。そして蘇我氏はその武内宿禰の子孫である。

日本書紀の編纂された8世紀までは鬼はモノと呼ばれ、神と鬼は同一の存在であったが、平安時代には鬼はオニと呼ばれ悪者扱いされるようになった。ヤマト神道祭祀の中心は物部氏、その後藤原氏が神道そのものをのっとり、神話も創作して物部氏の大きさを抹殺しようとした。その時、モノ=鬼=邪という烙印を押したというのである。法隆寺が聖徳太子の寺である、としたのは梅原猛、聖徳太子の末裔を滅亡に追い込んだのは蘇我氏、だから藤原氏は法隆寺建立で、蘇我氏を徹底的に封印するために鎮魂した、という主張である。

日本書紀ではヤマト建国にいたる過程を出雲の国譲り、天孫降臨、神武東征という3つの説話にした。つまり、初代神武天皇、10代崇神天皇、蘇我氏の祖武内宿禰の仕えた神功皇后とその子15代応神天皇という具合である。武内宿禰の活躍は黎明期の大王家と蘇我氏の祖先が大いに関係を持っていたことを示す。ヤマト王朝には蘇我氏の血が混じっているのを必死で隠そうとした、というのが筆者の推測である。

纒向遺跡には全国からの土器が出土する。北部九州、山陰、吉備、北陸、東海であり、農業の痕跡がない宗教的、政治的都市だったという。纒向に強い影響を及ぼしたのが吉備、その後山陰の影響が強い。それにしても出雲神話に見合うような考古学的発見がないと言われていた。しかしここ20年で荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡から弥生時代の青銅器が発見され出雲での勢力が侮れない力を持っていたことが証明された。出雲から越と言われた北陸の日本海側沿岸地域に大きな連合体があった可能性がある、山陰の鉄が古代史に意味を持つことが分かってきたという。

魏志倭人伝によれば卑弥呼の死を受けて男王が立ったが収まらずトヨが女王として君臨し国はおさまった。考古学的にはその後に纒向遺跡がある。筆者はトヨがヤマトに裏切られ九州筑後川から鹿児島の野間岬を目指した、これが出雲の国譲りであり、天孫降臨であるという。日本書紀がこれを隠したのは、トヨの夫とされる仲哀天皇、実際には武内宿禰であり、蘇我氏の祖先であった。この二人の子が応神天皇であり神武天皇と同一人物であったという。そして出雲神の正体がトヨと武内宿禰であるという推測である。

また、日本書紀で天の日槍(あめのひぼこ)とされるのはツヌガアラシトであり、新羅の王子であった。船で播磨の国にきて宇治川から近江、若狭、但馬の地を選んだ。そこには鉄があったから、という推測である。そしてその末裔が蘇我氏であったというのである。なぜ日本書紀が蘇我氏は渡来人だと書かなかったのか、これは今ひとつハッキリしない。蘇我氏の祖が武内宿禰であり天の日槍であればスサノオの境遇とそっくりである。蘇我氏の祖は新羅に渡った倭人であり、脱解王の末裔であった、蘇我氏は一度ヤマト建国にのち没落していたが、6-7世紀に「我蘇り」と曾我から蘇我に書き換えた。ツノガアラシトは日本に鉄をもたらし、ヤマト建国の機運を一気に高めた功労者であった、これを藤原氏は書きたくなかった。

蘇我氏は東の勢力と接点を持っていた。東漢氏、入鹿の父は蝦夷、蘇我日向の別名は武蔵、蝦夷も武蔵も東を意味する。壬申の乱で大海人皇子を支えたのは蘇我氏であり、東国の軍団を率いて大友皇子を圧倒できたのも蘇我氏の勢力のおかげだった。蘇我氏が勢力を持ったのは越の国から来た継体天皇の出現後、継体天皇は史上初めて東からやってきた天皇であった。蘇我氏はヒスイにこだわったと言うがヒスイは越の国の名産品、8世紀の藤原政権は東の勢力を恐れたという。

検証が難しいためにほとんどが推測ではあるが、このような分析をしていくとひょんなことから真実の芽が発見できるかもしれない。
蘇我氏の正体 (新潮文庫)
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ユリイカ 特集 米原万里 ****

2011年02月26日 | 本の読後感
米原万里ファンは多いと思うが、ファンなら必読。

生前交友があった各氏が思い出を語り大変含蓄がある。大学院時代の同級生だという沼野充義と米原万里の対談、妹の井上ユリ、イタリア語通訳の大親友田丸公美子、米原万里のお葬式で棺に泣き伏したという佐藤優、NHKの国際放送番組審議会で一緒に議論したという多田富雄。審議会では堅苦しい議論の中ラオスに復興援助をする議論で、米原さん「ラオスの首都に行ってみてもこれは何もビエンチャン!」と大真面目にいった、成果の見えない政府援助に一同大爆笑、というエピソード魔女の笑いだったという。

ドイツ文学者でエッセイイストの池内紀さん、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」についての対談、チェェコスロバキアの8年製ソビエット大使館附属学校の同級生の話。ギリシャ人亡命者の娘リッツア、ルーマニア共産党幹部の娘アーニャ、ユーゴスラビア人ヤスミンカ、そして万里である。万里は2学年に編入、7学年までいたという。同窓生探しを思い立ったのはその30年後。その同級生を探し出してみようという相手役に池内さんが選ばれたという。万里は池内さんよりも10歳年下。池内はプラハの春を奨学生として一瞬垣間見た、万里は奨学生として5年間体感した。万里は日本という国を背負って立っていたという。つまりどんな小さなことでも日本の自慢をする、雨が沢山降るのも自慢した。リッツアはドイツで開業医をしていた。アーニャはイギリス人と結婚してロンドンに住んでいた、画家志望だったヤスミンカは故国でロシア語の通訳をしていた。アーニャは「民族とか言葉なんかくだらない」といった、これを万里は「胸糞悪いアーニャ」と言ったという。万里はそこに欺瞞と偽善を嗅ぎとったのだ。

万里に師匠と呼ばれたというロシア語の権威徳永晴美、きれいに響くロシア語を話す万里には格調高い大人のロシア語表現パターンを教えたという。

ロシアの宇宙ステーションに乗った宇宙飛行士秋山豊寛さん、久しぶりにあった万里に「少し食べ過ぎじゃないの、ルーベンスのバッカスみたいになっちゃうよ」と言ったら、「ルーベンスって私大好きよ、エルミタージュ行った?いつかいかない?」と逆に誘われたという。

とにかく、説明はいらないと思う、米原万里のファンなら買う一手である。
ユリイカ2009年1月号 特集=米原万里
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日本の近現代史をどう見るか シリーズ日本近現代史 ***

2011年02月25日 | 本の読後感
幕末史から戦後の現代史までのシリーズを締めくくる最終巻。

幕末の不平等条約、アメリカが砲艦外交で条約締結を迫り、片務的最恵国待遇、領事裁判権、関税の取り決めは一方的に日本に不利な内容であった。これは日本がまだ主権国家ではなく、自国による裁判権は行使できる状況ではなく、各大名がこれを執り行っていたため、国としての権利を確立でき得なかった。また自由貿易は相互のためになるというのがアメリカの主張であったが、後発国側は生産力の違いにより原料の輸出、工業製品の輸入国となり、先進資本主義に従属する構造になる。外国人の旅行権についても、日本国内市場への外国商人の侵入を防ぐためには必要であった。中国では国中に外国商人が入り込み国内産業が荒らされたが、日本では40Km以内に制限された。

幕末の維新の力は幕府による開国で不平等条約を認めさせられたことに条約反対の世論を受けた天皇と朝廷が登場して勤王攘夷の嵐を吹かせた。幕府は軍事力の違いを踏まえて戦争を避け、欧米への譲歩をできるだけ少なくして交渉を進めた。老中堀田正睦は外交交渉を担当した川路聖謨、岩瀬忠震を連れて京都に行き事情説明を朝廷にするが孝明天皇は「開港は許さず」と表明、孝明天皇は島津斉彬や山内豊信らの有力大名からは支持されなかった。明治以降はこうした事実はかき消されてしまった。

学歴社会の根本は明治時代に生まれている。殖産興業、富国強兵政策は庶民にも納税の義務を負わせ、懸命に働いて社会的地位を手に入れることを目標にするような教育が進められた。福沢諭吉は学問のすすめで「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なるものは貧人となり下人となる」としている。自由平等を旗頭とする近代社会では、優勝劣敗の自由競争を進め新たな差異と序列を創りだした。

明治維新を迎えた日本にはsocietyに当てはまる実態や概念はなかった。江戸時代までの庶民は国家の客分的存在だったのが、日清戦争での勝利は国民としての一体感を生み出した。そしてその国民を生み出す道具として活用されたのが新聞に代表されるマスメディアであった。マスメディアの成立は政治を表舞台に引っ張り出し、政治社会を形成することになった。

日露戦争が終わったとき、元老山県有朋は側近の田中義一に国防構想を起草させ明治天皇に上奏した。この時点では私案にすぎなかったが、明治天皇は参謀本部と軍令部に検討させよと下げ渡した。この時点で正式なプロセスに乗ったと言える。その後元帥府会議の手続きを経て承認、しかし統帥にかかわらない西園寺公望首相には閲覧のみが許され、その他閣僚には通知すらなかったという。軍部にとっての至高の基本方針であり、国会を通り越して軍事行動をする根拠となった。その後、軍令により統帥部が天皇の裁定を経て承認させるというプロセスを作り出し、政府もこれを黙認したため、軍部による行動が後から政府によって追認されることを繰り返す結果をもたらした。

18世紀の哲学者ルソーは戦争について次のように述べているという。「戦争は敵とされた相手国に政治の基本的枠組み・秩序(憲法)に対する攻撃という形を取る。そこで憲法が攻撃されたときには法の秩序の枠外で武器の暴力をもって闘争の決着をつけなければならない。」ここで言う憲法は広い意味での国家を成立させている基本的枠組みという意味である。第二次大戦で戦勝国がドイツや日本の憲法を作り替えたことの意味がよくわかる解釈である。そして戦争を起こすときに、国は言葉で争うという。「満蒙特殊権益」「不戦条約における自衛権解釈」「リットン調査団報告書における日本の中国特殊権益」「日中戦争宣戦布告問題」など軍事力でなく経済力でもなく言葉の力で外交を行った。その結果日本は戦争に突入したのである。言葉による外交、これが21世紀にも求められる。

現代は第二次世界大戦後のポツダム体制が崩壊しつつ新しい体制に移行するプロセスにある。ソ連の崩壊後、社会主義国にあった膨大な労働力と資源が国際市場に放出され、日本でも国外の安い労働力と資源を使っての海外生産にシフトすることになった。労使協調、年功序列、終身雇用はこうした世界的労働資源コストの平準化の波により揺らいでいる。1990年代には金融資本主義を中心とするグローバリズム、小さな政府、自己責任、福祉国家の解体を方向性とする新自由主義が世界に広がった。日本では格差拡大、セーフティネット喪失がおこり、企業では成果主義の広がりと揺り戻しがあった。1950年代には完全雇用を目指すための経済拡大だったはずが、今では経済成長優先で失業は自己責任という風潮がある、これは主客転倒ではないか。豊かさは国民所得の増大のみではなく、所得分配の公平性徹底によっても実現できる、こういう考えも低成長時代には考えなければならない。

現代史は今後の世界と日本の方向を見定めるために、それをどのように活かすのか、いかようにも解釈できるが故に慎重に多面的理解をしていく必要がある。
日本の近現代史をどう見るか〈シリーズ 日本近現代史 10〉 (岩波新書)
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不平等社会日本 さよなら中流 佐藤俊樹 **

2011年02月23日 | 本の読後感
2000年に発刊された本、読み返してみた。当時は実績主義や社会での自由競争を促進する議論が戦わされ、小泉首相は構造改革、競争社会にむけての転換を推進していた。企業では成果主義へのシフトが進み、努力より実績が重視された。そうしたなかで、本当にそうした「実績」は本人の力によるものなのかを社会調査を踏まえて検証したのがこの本である。結論は、知識エリートの階層であるホワイトカラーの被雇用者の管理職層の子供たちはその階層を相続する傾向が戦前以上に強まっているという結果を得たという。これはイギリスやインドのような階級社会化であり。企業や学校でのやる気や責任感の喪失に繋がっているのではないかと主張している。

自営業では引き継いだ資産の有無や好不況など、本人の力の及ばないさまざまな要因が成果に関わっている。それに対してホワイトカラーの被雇用者の地位は年功序列があるにしても自分の力で勝ち取ったはずである。努力すれば学歴を得て管理職につくという出世ができるはずであったが、調査によれば父親の学歴と本人の学歴には明らかな相関があり、その中でも「努力主義」を信じる人よりも「実績主義」を信じる人ほどその傾向が強い結果も出た。現実は実績主義だが理想的には努力主義、というのが成果志向の意識である。この意識は父親の学歴とも傾向が相関しており、中卒、高卒、大卒という方向で理想の資源配分において実績主義の重みが増加するのである。

筆者は情報リテラシーをPCの所有と父親の学歴の相関をとって考察する。(調査は95年)結果は本人の現在職業、本人学歴、そして父親の職業がもっとも影響している。本人の職業は自分の力としても学歴は父親の職業と相関し、父親の職業は本人とは関係がない、とすると、情報リテラシーにまで階層は影響している。そして情報リテラシーの高さが情報社会では入手できる情報量と質を決定するのである。しかし著者も述べているが、この結果は20年後にしか分からない。情報社会はこの調査後16年で激しく進んだ。携帯所有と父親の職業が相関するとは現在はあまり思えない。情報社会が機会平等を進めるか不平等を拡大するか、まだ結論は出ていない。しかし、機会不平等があるとしたら、これは軽減する方向が望まれる。政策、予算、人々の意識、風潮など、今は行き過ぎた成果主義の揺り戻しがあり、日本経済停滞によりどうしたら不況やデフレを抜け出し、成長軌道に乗れるのか、という議論に変化してきている。平等になりすぎて若者の競争心や世界との競争に叶わないと考えるようでは問題である。日本経済の状況が社会科学には大きな影響を与えていると感じる。
不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)
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新世界より(下) 貴志祐介 ****

2011年02月22日 | 本の読後感
読み応えのあるSF小説、一気に読んだ。

神栖66町で、夏休みの夜にバケネズミたちが人間達に牙を向いた。なぜだ、PK能力を持った人間たちには向かっても殺されるだけ、しかし、バケネズミたちには悪鬼がいた。それも、バケネズミにはなにも手出しをせず、人間にだけPK能力による殺戮をする悪鬼、PK能力の抑止機構により人間同士の殺し合いができないのがPK能力をもった人間のはず、悪鬼はいったいどうして生まれてしまったのか。早季は真里亜と守の子どもがバケネズミに奪われてバケネズミの子供として育てられたため、人間に対する抑止機構を働かせずバケネズミには手出しをしないPK能力をもった子どもが出現したと推測した。

神栖66町は悪鬼を先頭にして逃げ惑いPKの力を発揮することも忘れた人間達をバケネズミが殺戮した。早季と覚は命からがら逃げる。バケネズミのリーダーは野孤丸、敵対していた奇狼丸は早季と覚を導いて、1000年前には東京だった場所に悪鬼を唯一止めることができる旧人類が残したという「サイコバスター」なる武器を求めて海から潜入する。これを野狐丸は悪鬼とバケネズミの部下と追跡する。

想像を絶する魑魅魍魎の住む旧都市東京には巨大化したヒルや毒を持ったウジ虫などが蠢いている。それでも追っ手の放つスパイ鳥に見つからないように地下通路から目的地に向かう早季、覚、そして奇狼丸。サイコバスターを手に入れ悪鬼と対決する早季と覚、しかし覚を救うために早季は最終兵器であるサイコバスターもろとも火で燃やしてしまい、悪鬼には火傷を負わせるにとどまる。最後の最後に、悪鬼は人間であり、バケネズミに育てられたためPK抑制機構をバケネズミにたいして働かせていると知った早季。奇狼丸を囮に悪鬼に向かう。人間と思って攻撃した奇狼丸がバケネズミだったことを知った悪鬼は抑制機構が働き自死する。

神栖66町に帰った早季は倫理委員会の議長になり、覚と結婚、次世代を残すため子供を作ろうと決意するが、本当にPK能力を授かった人間はその力のために滅びてしまわないのか悩む。調査の結果、バケネズミのDNAは人間とほぼ同じ23対の遺伝子を持つことが分かり、バケネズミはPK人間が旧人類を改造した姿だと知る。

地球幼年期の終わり、銀河帝国の崩壊、都市と星、などのSF名作を思い出すようなパターンとプロット。子供たちが世界の秘密を発見し、世界を守ろうとするSF小説を読んで喜び、感動したことを思い出す。舞台は日本、登場人物もみんな日本人、興奮できる現代のSF秀作だと思う。
新世界より(下) (講談社文庫)
新世界より(上) (講談社文庫)
新世界より(中) (講談社文庫)
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新世界より(中) 貴志祐介 ****

2011年02月21日 | 本の読後感
早季と覚はカヌーで上陸した地点を目指してバケネズミをから逃げ出す。人間に飼いならされたとはいえ、PKが使えない人間にバケネズミが従順であるかどうかが疑われたのだ。上陸地点には瞬、真里亜、守が待っていた。5人はカヌーで町に帰っていったが、僧侶が死んだこと、PK能力を封印されたことを教育委員会には報告しなかった。早季が他の4人と自分のPKの封印を解く方法を見つけたからだ。これで八丁標を超えたことやミノシロモドキから驚くべきPK人類の歴史を知ったことを隠せると思った。しかし、教育委員会や町の倫理委員会にはこのことはバレていたのである。

夏のキャンプでは12歳だった5人は14歳になっていた。瞬は最もPK能力が高かったのだが、なぜか仲間を避けるようになっていた。どうも、子供の頃から恐ろしい、と教えられてきた業魔が瞬のなかに現れたらしいのだ。本人の意志には無関係に周りへのPKの発露が抑制されず漏れ続け、結果として動植物が変異、空間まで歪み、物理的な被害が出始めた。瞬は抹殺され、4人の幼なじみの記憶からも消されてしまう。

4人には新たな仲間の良が加わっているが、どうもしっくりこない。夏のキャンプの記憶が合致しないのである。4人の中で、守るは真里亜とペアとなり、早季は覚とペアになる。この時期の子供たちは知らず知らずの間に男女のパートナーを決めることになっているのだ。また、人同士が仲良くするためにはチンパンジーのようなボスや服従の儀式よりも、ボノボが見せるような情愛の交換がPK人類には好ましいと、男女を問わず、他人との物理的接触による愛情表現が推奨されている。同性、異性を問わず接触によるじょうあいは示すが、男女の関係はこの時点では厳に禁止されている。

守はどうも自分が町の教育委員会からPK人類として好ましくない、抹殺すべき対象であると思われていることを察知、町から飛び出る。これを真里亜も追う。早季と覚はこれを止めようとするができない。二人は町からでて自立することを決意、早季と覚はまた二人の友人が身の回りから居なくなったことを悲しむ。この町の考え方はおかしいのではないか、大人たちは子供のPK脳力や性格、悪鬼、業魔を恐れるあまり、不必要な選別を行っているのではないかとの疑念を持つに至る。

町の外では、バケネズミがコンクリート建築などの技術を身につけ急速に文明を進化している様子を感じ取る。どうもこれら全てはPK能力のコントロールがうまくいっていない証拠なのではないか、PKが発揮するエネルギーはどこから来ているのか、日本の他の8つの町はどうなっているのか、歴史や地理の知識がない自分たちの教育自体に疑問を抱く早季であった。

新世界より(中) (講談社文庫)
新世界より(下) (講談社文庫)
新世界より(上) (講談社文庫)
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新世界より(上) 貴志祐介 ****

2011年02月20日 | 本の読後感
そこは1000年後の日本、日本には9つの町しかない、人口は合計5-6万人、町の周りには自然が溢れているが、町の住人は外との接触を結界として八丁標(ハッチョウジメ)という印があり、そこから外には出てはいけないと教育されている。町の名前は神栖66町、3000人位の規模の町にある学校和貴園、そこに通う12歳の早季、他には徳育園、友愛園という小学校がある。早季の父は町長、母は図書館司書である。

同じクラスには仲良しの真里亜、覚、瞬、守、もう一人いたような気がするが、どうも途中から居なくなったようであり、記憶からも消えている。和貴園の卒業は各人ごとに時期が少しずつ違う。思春期の子供たちはそれぞれ大人になるための通過儀礼がある。そのきっかけになる変化が現れると両親が子供を高位の僧侶の所に連れていき、大人になるために重要な事柄を伝える。この町の大人たちはすべてPK(サイコキネシス)の使い手、子供たちも思春期を迎える頃その能力が目覚める。

5人は和貴園を卒業して全人中学校に進級、PKの能力を磨いていく。夏休みにカヌーに乗っての1週間のキャンプに行く。その際、行ってはならないという八丁標を超えた向こう側に行ってみようということになる。そこで、ミノシロという動物の変異体ミノシロモドキに出会う。それは1000年前の2139年に製作されたという電子図書館を装着された生き物であった。ミノシロモドキがもたらしてくれた情報は早季にとっては驚きの内容であった。

1000年前に人類の中に0.3%のPK能力を持った新人類が生まれたが、既存人類とは敵対した。しかし能力に勝るPK人類は既存人類を従えようとしたが、争いになり人口のほとんどを失うほどの戦いになった。そしてかろうじて生き残ったPK人類はその能力を人類同士の争いには使えないような価値観と教育を徹底することで、再度の戦いを避けようとしたが、どうしても教育と理性だけでは漏れが出ることがわかった。一人でも人類を相手にPK能力を使って傷つけたり殺害したりするPK人類がいることは人類全体に危険を及ぼすとされ、悪鬼、業魔といってそれは恐ろしいこととして子供の小さい頃からの深層心理に刷り込まれるようになった、というのだ。

早季はどこまでその話を信用できるのか疑ったが、筋は通っていると印象を持った。そこに、神栖66町の僧侶が早季達の探索に来て、ミノシロモドキを破壊、早季達5人を拘束した。僧侶は規則に従っていないとして、5人のPKを封印して使えなくしてしまう。僧侶によって引率されて町への帰り道、まだ森の中にいるときに、野生のバケネズミに襲撃された。高いPK能力を持ち、バケネズミなどは敵にしない高位の僧侶であったが、自爆するバケネズミの変異体に殺害されてしまった。5人は野生のバケネズミから命からがら逃げるが、早季と覚、その他3名は別れ別れになってしまう。早季と覚は人間に飼いならされているバケネズミのグループと一緒に野生バケネズミと戦う。PKを封印されている早季と覚は大苦戦するが、早季の知恵で覚に与えられた封印を解き、PKの力で野生のバケネズミを追い払う。しかしまだまだ野生のバケネズミは追ってくる。

そこに現れたのがもうひとつのバケネズミのグループ、こちらは人間に飼いならされたグループであり、早季と覚は救出された。ここまでが上巻。

新世界より(上) (講談社文庫)
新世界より(中) (講談社文庫)
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この国のかたち(1) 司馬遼太郎 ***

2011年02月19日 | 本の読後感
1986-87年に文芸春秋連載された歴史随筆。

統帥権干犯問題、これが1905-1945年の日本を誤った進路に推し進めてしまった、という主張。日露戦争に辛勝してもうこれ以上戦争を続けることなどできなかったのが当時の日本。ポーツマスでの戦後処理の話し合いは日本全権大使小村寿太郎によって進められたが、ポーツマスでの話し合いの結果に当時の日本のマスコミは、大不満を爆発させ、日本国民は大変な騒ぎでこの結果に抗議した。
ポーツマス条約の結果得られたのは、

1. 韓国における日本の優越的地位の承認
2. 北緯50゜以南の樺太を日本へ永久譲渡
3. 両軍の満州・撤退
4. 清国の承認下での満州鉄道の日本への譲渡
5. ロシア沿岸の漁業権を日本へ許与
日本のマスコミは、ロシア本土の割譲、賠償金の支払いがないのはけしからん、という論調、日本国民は12万人の戦死者を出してなんだ、日清戦争では台湾を獲得して賠償金を得たではないか、という主張であった。

戦争の実情としては、ロシア本土は無傷、日本経済は虫の息、ロシアに勝ったという名誉だけでも、大きな成果だったはずなのに。この後も世界の軍縮の流れに乗るしかなかった日本の外交を国民は非難し続けた。これが1931年以降の中国進行、太平洋戦争突入につながった、その引き金を引いたのが参謀本部の独立であった、というのである。明治憲法も三権分立はあったのに、国民の声を受けた陸軍は天皇機関説批判から統帥権の問題へと議論を進めて行った。

参謀を育成するための統帥綱領という書物があったがこれは敗戦ですべて廃却されたとされていたのが、一部だけ発見された。統帥綱領によると、「統帥権の本質は力にして、その作用は超法規的なり。したがって、統帥権の行使及びその結果に関しては、議会において責任を負わず。議会は軍の統帥・指揮ならびにこの結果にかんし、弁明を求め、またはこれを批判し論評するの権利を有せず。」

美濃部達吉の天皇機関説は有名であるが、京都大学の佐々木惣一の日本憲法要論(1930年発刊)でも統帥権について次のように記述する。「これをもって国務大臣輔弼の外に置くとする説行はるれども、蓋しこれ一つの独断たるのみ、何ら法上の根拠あるなし」と明確にこれを否定している。

司馬遼太郎はこれ以降も度々この「統帥権干犯問題」を昭和の一大問題として取り上げている。

日本に留学していた孫文の話。孫文が日本の聴衆を相手に演説をした、1924年、孫文が死ぬ数カ月前の話である。「1894年までにおいては幕末に開国して不平等条約を欧米列国と締結させられ、日本はヨーロッパの一植民地であったが、あらゆる不平等条約を廃棄して日本を一個の独立国に変えた」そして「日本民族が西方覇道の手先となるか、それとも東方王道の干城となるか、それは日本国民が慎重にお選びになれば良いことです。」

井伊直弼が安政条約を結んだ1858年からの36年の事を指している。その間日本は独立国ではなかったと言っているのだ。明治維新は植民地のなかで体制変更があったに過ぎなく、独立したのはその後の条約改正によってであったという新説である。その間、中国と同様関税自主権、居留外国人に対する裁判権も持たされていなかったと。この不平等が明治維新の起爆剤になったことは確かである。しかし明治政府に植民地根性などなかったし、中国の状況とは大きく違うであろう。中国には「公」という意識の普及がなかった、というのが司馬の指摘、明治の日本は公の意識にあふれていたという。

孫文は中国の清王朝を倒す1911年辛亥革命を首謀した。その孫文の日本に対する見方である。

この日本、江戸時代には300の藩があり多様性に溢れていた。会津、薩摩、長州、土佐など同じ国の中にありながら全く異なる文化を育んでいた。一方、佐賀藩では学問ができない侍の家禄を召し上げるという方針をとっていたが、大隈重信はそれを批判している。「一藩の人物を悉く同一の模型に入れために倜儻不羈の気象を亡失せしめたり」と早稲田大学を設立した人物の根源的憎悪がここにある。

仏教の話、仏教は飛鳥・奈良朝においては国家統一のための原理であった。華厳経は宗教的というよりは哲学的経典である。聖武天皇はこの経典を好み宇宙の象徴として盧舎那仏を尊び東大寺に大仏を建立した。平安初期に根付いた天台・真言密教には現世利益をもとめた平安貴族、仏教本来の高度な宗教性は鎌倉時代の仏教にまで持ち越された。

この他には、朱子学、帝国主義、正成と諭吉、尊皇攘夷、浄瑠璃記、信長と独裁、若衆、苗字と姓、などが話題になっている。司馬の関心の移ろいが汲み取れるような気がする。この国のかたち〈1〉 (文春文庫)

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のぼうの城(下) 和田竜 ***

2011年02月18日 | 本の読後感
上巻では石田三成の2万3千の軍勢に忍城が取り囲まれてしまうところまで。下巻は、勇猛果敢に戦う3人の家老たちと農民たち、そして水攻めに合う忍城から船で漕ぎ出す成田長親、田楽踊りを船の上で踊り出す。これを見た三成の軍勢は大喜び、敵ながらあっぱれとヤンヤの歓声を送る。

三成は鉄砲隊に命じて長親を撃たせる。長親の豪胆さに名手ぞろいの射手たちの手元が狂い致命傷を負わせることができなかった。長親を撃たれた忍城守備隊、特に農民たちの怒りは凄まじかった。長親は絶対的に不利な状況でこの農民たちの怒りを引き出すために自らを囮としたのだった。長親のこの振る舞いには3人の家老を始め侍たちも興奮、城をなんとしても守るという結束力が生まれた。

しかし、いかんせん兵力の差は埋めがたし、という状況に、小田原城での北条氏の降伏が伝わった。忍城攻めは中止、三成はこの長親と農民たちには勝てなかったことを感じた。

これだけの話である。序盤が盛り上がりを感じさせたのと対照的に後半は予想通り、というか尻すぼみ感は拭えない。甲斐姫は結局秀吉に差し出される。長親はこれを拒まない、というのが結末であって、それでは戦うぞ、という決断をしたときの勢いはなんだったのであろうか、という疑念が湧く。農民たちの田畑が戦うことで荒らされることは仕方がないが、甲斐姫は差し出したくなかったのではないのか。

結果として、農地は荒らされ、甲斐姫は差し出したのだ。忍城は乗っ取られ、成田家家臣団は雲散霧消させられてしまったのではないか。甲斐姫の口利きで成田氏は後に下野の国に所領を得たと言うが、それが史実だったとすれば、長親はそこまで読んでの事だったのだろうか。

直木賞候補になったというが、これでは受賞は難しかっただろうなと思う。ウェブなどでの前評判が良かったので期待をしすぎたか、しかし、軽い読み物としてはまずまずの面白さである。
のぼうの城 下 (小学館文庫)
のぼうの城 上 (小学館文庫)

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無痛 久坂部羊 ****

2011年02月17日 | 本の読後感
この人の小説はいつも大きな問題提起を孕んでいる。長生きすることは本当に幸福なのか、現代の医療は患者の治療に役立っているのだろうか、患者の痛みを和らげないような終末医療は必要なのか、そして精神喪失状態での犯罪には刑法39条の適用があって殺人を犯していても罪をほとんど問われない、これは良いのか。

神戸の住宅街での一家4人殺人事件、犯人は捕まらない。遺留品は多い、しかし犯人像にはつながらず、27センチの靴跡に小学生並みの帽子と毛髪、矛盾した証拠品。被害者は夫婦と二人の子ども、容赦なく頭蓋骨や顔面を陥没させて徹底的に殺戮を果たしている、こんな情け無用の殺人をする人間は精神的な障害者ではないか。

登場人物は、人間の外見、表情などから病気や精神的な問題までも読み取ることが出来きる医師為頼、妻に先立たれた独身男性。もう一人は夫に先立たれ2回目の結婚にも失敗した小さな祐輔を育てるシングルマザー菜見子。祖父からの医者で大規模な高級医療施設を経営する白神、菜見子の2回目の夫で社会人としては問題を抱え、現実の自分の立場や能力を直視できない佐田、菜見子が働く養護施設に収容されていて他人とのコミュニケーションはメールでしかできない自傷問題を抱える14歳のサトミ、事件を追う刑事早瀬、そして問題の人物は痛みを感じることができない若干知能に問題を持つ男性イバラ、先天性無痛症で白神の医療施設で働いている。

街で異常者による傷害事件から菜見子の身を守ってくれた為頼に、施設のサトミのことを相談する。サトミは菜見子に自分が一家4人殺人事件の犯人だと言っている、というのだ。為頼は施設を訪れサトミを見が、為頼の見立てはサトミは犯人ではない。サトミにはアリバイはない。前妻の菜見子に未練がある佐田は菜見子の同僚からサトミが自分が犯人だと言っているという情報を得て、警察に通報する。早瀬はサトミを調べようとするが、サトミは刑事の訪問に興奮、会話はできない。しかし毛髪を入手、早瀬は分析の結果殺人現場に遺留された毛髪と一致したことを知る。しかしサトミが犯人だとは思えない。興奮したサトミは施設から出奔する。

為頼は街で偶然イバラを目にして、イバラの顔相に犯罪の兆候を見出す。この男は恐ろしい犯罪を犯す可能性が高いと。

一方、佐田は菜見子につきまとう。イバラは自分が施設で養育されていたときに菜見子に世話になり好意をいだいている。その菜見子につきまとっている佐田を自宅に連れ帰って、白神の医療施設から入手した手術器具と見よう見まねで解剖して殺害してしまう。先天性無痛症であるイバラは他人の痛みが感じられないために残酷なことを平気でできてしまうのだ。早瀬はイバラが何かの犯罪を犯しているのではないかと近づくが、イバラに逆に拘束されて手首を切断される。

イバラが怪しいと睨んだ為頼はイバラが祐輔を拉致して殺害する可能性があると救出に向かうが逆に拘束されイバラに解剖されそうになる。為頼はイバラのすきを見て携帯で早瀬に連絡、早瀬には連絡できないが、転送された電話を聞いていた早瀬の同僚が現場に駆けつけ、為頼は命拾いする。イバラは精神耗弱で刑法の定めで無罪、施設で治療されることになる。白神は不正医療行為が問題になっているが、白神の所に身を寄せていたサトミを伴い海外に出て、二人で再出発を期す。

為頼は前妻と旅行したウイーンに医師として請われて赴く。見送りに空港に来ていた菜見子の携帯にイバラが居なくなった、との連絡が入るところでおしまい。続編がありそうな結末である。

無痛症の人間が精神耗弱であったらどうなるか、その人間がさらに知能に問題を抱えて、さらに体を鍛えていたらどうなるか、という現実にはあり得ないような状況を想定しているようにも思えるが、医師である筆者の筆の力は読者を物語に引きこんでしまう。刑法も問題であるが、終末医療行為は本当に患者のためになるのか、長生きすることは本当に幸福なのか、という問題提起が心に残る。
無痛 (幻冬舎文庫)

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のぼうの城(上) 和田竜 ***

2011年02月16日 | 本の読後感
埼玉の行田というとろこに忍城という小さなお城がある。ホテイアオイを見るついで見に行ったことがある。三成による水攻めの解説をする絵だか模型があったという記憶がある。この忍城を舞台にした攻防戦、中心となるでくの坊の成田長親は「のぼう様」と呼ばれている。背が高く横幅もあり身体は大きい。醜男、唇は分厚く、目は細い、武芸は何をやらせてもだめときている。

農作業が大好きで、農民と一緒に野良仕事をする。しかし長親は領民から慕われている。美人の誉れ高い甲斐姫は長親が気になって仕方がないが、長親も甲斐姫に惚れているようだ。甲斐姫は鼻っ柱が強く、長親をいじめる様子もある。忍城の重臣である成田長親は甲斐姫の父で城主の成田氏長の従兄弟である。

忍城の城主は成田氏長。成田家の家老の正木丹波守利英は「皆朱の槍」を許された武勇の優れた男、もう一人の若き家老は酒巻靭負(ゆきえ)、二十二歳、兵書を好んで読んでいたが実戦の経験がない。背は小さく、女のような顔をしている。もう一人の家老柴崎和泉守、長親のような巨漢である。

時は秀吉が天下を治め、関東の北条氏が立てこもる小田原城を数十万の軍勢をもって攻め込もうというとき、北条氏から共に戦ってくれるか、という申し入れに、表では是と回答し、裏では秀吉に寝返ることを通達して事を構えずと決断したのが忍城の主、氏長。軍議の場で、長親の父泰季が倒れた。側には氏長の妻珠(たま)、珠は氏長の二度目の妻であり甲斐姫の実の母ではない。珠の父親は太田道灌の曾孫に当る太田三楽斎。氏長は小田原へ出発するに先立ち、正木丹波、柴崎和泉守、酒巻靭負の三家老は忍城留守居とすると告げ、城代は成田泰季が務め、長親にも留守居を申し付ける。氏長は山中長俊を通じて秀吉に内通するつもりでいる。そのため留守居一同には一戦も交えずに開城せよという指示。表面上忍城では防戦の用意が始まった。

北条氏からの要請で500を率いて小田原城に駆けつける一軍と忍城に残る500、精鋭は残ったがそれにしても忍城を攻めることになったのは石田三成の軍勢。夜、松明もたかずに城を囲み、威圧する三成。館林城を攻め落として忍城に来襲した。三成の軍は23000。対する忍城の軍は小田原に兵を出しているため、500である。

この三成から長束正家が軍使として送られてきた。正家は弱いものに強く、強いものに弱くでる。三成の予想通り、長束正家は高飛車な態度にでて、甲斐姫を秀吉に差し出せ、と言ったため、長親が「戦いまする」と言ってしまう。その時、城の奥では成田泰季が亡くなった。長親が正式に城代となった。

忍城を取り囲まれて成田家側の一同その数に恐れをなすが、ここは腹をくくって戦うしかないと一同決める。領民にも一緒に戦って欲しいと領地を回る家老達に、百姓たちは、口々に「のぼう様が戦う、と言うならと動員に応じた。のぼう様が戦するなら、我らが助けてやんなきゃどうしようもあんめえよ。城には女子供まで入城、敵の十分の一程度の軍勢にはなったが、女子供も1000人以上含まれていた。 ここまでが上巻。
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龍馬を超えた男 小松帯刀 原口泉 ***

2011年02月15日 | 本の読後感
幕末の英雄といえば坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、桂小五郎などが挙げられ小説にも取り上げられるが、本当に尊皇・佐幕の壁を超えて維新を成し遂げた裏には小松帯刀の尽力と後ろ盾があった、あったからこそ龍馬も西郷も討幕を進められた、というのがこの本。

冒頭で帯刀の業績を列挙する。
ー島津斉彬の遺志を継ぎ薩摩藩の近代工業導入に努力
ー薩英戦争における善戦と見事な戦後処理
ー禁門の変の先頭に立ち勝利を導く
ー勝海舟の軍艦奉行罷免に際し、龍馬ら神戸海軍操練所塾生30名を保護
ー開成所(洋学校)の設置
ー英国留学生の派遣
ー薩長同盟を主導
ー英国公使パークスの招聘
ー大和交易カンパニー設立
ー薩土盟約を主導
ーパリ万博への薩摩藩単独参加を推進
ー二条城大会議で徳川慶喜に迫り大政奉還を決意させる
ー明治維新政府の外務大臣として堺事件、兵庫事件を解決

帯刀が生まれた天保6年、1835年には多くの人物が生まれている、土方歳三、松平容保、有栖川熾仁親王、松方正義、三島通庸、五代友厚、前島密、花の天保6年組と言われた。そして龍馬との接点は次のようなものである。
1864年 尊皇攘夷派とのかかわりの疑いで勝海舟が軍艦奉行を罷免、神戸海軍操練所が廃止されたとき、坂本龍馬をはじめ30名の塾生を小松帯刀が口利きをして大阪薩摩藩邸に引き取った。
1865年 帯刀は長崎に亀山社中のために家を借り、塾生に月3両2分の給料を払い薩摩交易船の乗り込ませた。薩摩名義での武器購入依頼が長州からあったときに龍馬との関係から口利きをした。
1866年 薩長連合の談合は京都の小松邸で行われた。寺田屋で襲撃された龍馬を薩摩藩邸に匿い手当をしたのは帯刀。龍馬がお竜と結婚したときには薩摩まで同行、小松別邸に滞在させた。その後、霧島への龍馬夫婦の新婚旅行のお膳立てをした。
このように身分も出身も異なった二人は似たもの同士っという気脈が通じるものを感じていた。

帯刀は鹿児島城下の喜入屋敷と呼ばれた肝付家に尚五郎として生を受けた。父は喜入領主肝付主殿兼善、第三子であり愛情薄く育った。そして斉彬に見込まれて小松家の養子になり、7歳年上のお近と結婚、跡継ぎとなった。斉彬は日本の植民地化を憂慮、富国強兵、殖産興業を進め、洋式軍艦建造、溶融炉、硝子窯、製錬所などを集めた集成館事業を進めた。帯刀はこの斉彬の路線を継承した。島津久光は幕府を倒そうと集まってきた志士たちを束ねて倒幕を目指そうとしていたが、西郷でなければ薩摩の志士たちは結束できないと考えた帯刀は斉彬の遺志だと指宿で湯治と称して引き篭っていた西郷を説得、久光に仕えることを決意させた。帯刀が「幻の宰相」と呼ばれる所以である。

蛤御門の変の際、その時の賊軍だった長州藩が天竜寺に溜め込んでいた米をこの戦乱で苦渋を味わった皆に分ける、という決断をしたのは帯刀だった。京都市民には甚だ迷惑だった幕末の戦乱の時期に、薩摩は京都市民を見方に付けることの重要性を悟っていた。

1866年、幕府側の小栗上野介がフランスと600万ドルの借款契約を結びフランス陸軍の指導のもと近代軍備を強化するという計画を知った帯刀は、幕府が日本で唯一の政権ではないことを世界に示すためにもパリ万博への出展が重要と考えた。パリ万博には幕府、佐賀藩、江戸商人、薩摩藩が出展、ナポレオン三世などに薩摩・琉球勲章を贈り、独立国であるかのような振る舞いをした。フランス政府と幕府との借款契約は水に流れた。

幕末から維新まで薩摩藩では権力の分裂が起きなかった。組織的エネルギーの後ろ盾が帯刀、集団の結束力は西郷、戦略家は大久保という色分けだと思うが、帯刀の特徴はその社交性であった。大政奉還と討幕の密勅という相反する方向の二股をかけ、いかに尽くしても望みがかなわぬ時には第一から第二の手段に移行する計画性を持っていた、これは多方位外交能力、社交性をもっていた帯刀の力が不可欠であった。帯刀には薩摩藩の全権が委託されていたのだ。

歴史作家桐野作人によれば大政奉還では3つの型があった。
A型:最高意思決定機関としての幕府を否定し、行政機関としての幕府存続を認める。
B型:行政機関としての幕府も否定するが徳川家存続は認める。
C型:王政復古のクーデターで徳川家の存続も否定する。
龍馬はA型、帯刀はB型、西郷と大久保はC型であった。
1870年、病気で帯刀は死亡。享年35歳。明治維新は薩摩藩の組織力が大きな役割を果たしたが、その組織力を支えていたのが帯刀であった。

なるほど、龍馬や西郷が登場する小説は数多く、帯刀は「篤姫」で端の方に登場した記憶があるきりであった。篤姫が斉彬の養女となって家定に嫁いで徳川の存続に一命をかける、帯刀は斉彬の命により小松家の養子になり、幕末の薩摩藩を担う人物になった。しかし帯刀は維新後の叙勲や永世掌典禄の千石下賜などを辞退している。裏方に徹して、維新後すぐに死んでしまった、横井小楠とおなじような存在なのかもしれない。帯刀を主人公とした小説は書きにくいのだろうか。
龍馬を超えた男 小松帯刀 (PHP文庫)
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暴走する国家 恐慌化する世界 副島隆彦、佐藤優 **

2011年02月14日 | 本の読後感
世界の政治経済の舞台裏話を表舞台では爪弾きものに扱われる二人が暴露しあう、という感じの本、だから面白い部分も多分真実もある。

副島:アメリカにはリバータリアニズムという思想がある。権力、統制、官僚が嫌い、税金は取られたくはない、過剰福祉は不要という考え方、民衆的保守思想。サラ・ペイリンはこの代表選手、アラスカに移住したペイリン家に生まれ、夫とは漁業をやっていた開拓農民魂を持っている。NRAの会員であり、銃で自分たちを守る。ペイリンはポピュリストでもある。ポピュリストは迫力ある演説で這い上がり、地元の親分に利用されながらも頭角を現して、ある時点で親分の悪事を暴きだしてでもさらに上に這い上がる、というタイプ。オバマが大統領に選ばれた選挙では、このペイリンがリベラルだけではなくて保守系にも嫌われた、しかし黒人は嫌なのでヒラリーにしたかったのに、金融経済人たちはオバマを大統領に決めた。

佐藤:竹中さんは「自民党には新自由主義的な改革はできない、規制を緩和して経済的に強いものはもっと強くするという改革を行う必要がある」とまだ言っている。
副島:彼はもうどこかに逃げたいはず。しかしリーマンから資金を得ていたために捕縛されるかもしれない。リーマン破綻で資金源が絶たれた。ファニーメイとフレディマックの債権は20分の1に暴落、日本では三井住友の被害が一番少なかった、2000億円だった。最大は農林中金、5.5兆円、三菱UFJが3.3兆円。さらに言えばリーマンショックで日本の金融機関が出資・買収した海外金融機関は、みずほが1300億円メリルリンチに出資、三井住友銀行が1060億円をバークレイズ銀行に出資、野村はリーマンの部門を数百億円で買収、三菱UFJは9500億円をモルガン・スタンレーに出資した。野村はファニーメイの債権も2兆円ほど買わされている。野村はデイビッド・ロックフェラーへの義理立てがあったが、リーマン社員の所得保障をしたので野村社員からの怒りを買った、これは野村の命取りにもなりかねない。

佐藤:ロシアでは燃料を除いて黒パン、じゃがいも、ウォトカ、タバコが収入の2%位で手に入るように管理している。ゴルバチョフは反アルコールキャンペーンをやって、フィルター生産を一手に握っていたアルメニアの紛争がありタバコもたから持たなかった。プーチンとメドベージェフはこういう政策をうまくやっている。ロシアの男性平均寿命は58歳、女性は72歳ですからこれはウォトカのせいです。

副島:ユダヤ人には希望はなく、根拠のない待望しかない。Ratio(合理と理性)、そしてリーズンReason(理由)で動いているので保険商品が発達した。暴走すると強欲と拝金になる。金融デリバティブの正体は保険商品、損害のリスクヘッジである。不安と心配を商品にして、保険料としてボッタクる。これがニューヨーク発の金融恐慌です。

佐藤:アルメニアはイランとロシアと手を握っている。敵対するアゼルバイジャンはイスラエルとアメリカと手を握っている。グルジアのサアカシュビリ政権は地方政権にすぎない、南オセチアとアブハジアはロシアの傀儡政権、こういうなかでグルジアがアメリカの後押しで南オセチアに進行しようとして、ごシアが押し戻した、これがグルジア紛争です。グルジアンは世界のゴミ箱のような状況です。

2008年12月に出版されたこの本、とんでも本と思うか、面白い情報ネタ本と考えるか、読む人次第である。

暴走する国家 恐慌化する世界―迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠
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国家・宗教・日本人 司馬遼太郎・井上ひさし ***

2011年02月13日 | 本の読後感
二人の作家による日本人論、しかしもうふたりともこの世にはいない。

司馬:歎異抄で親鸞は弟子の唯円の質問にこのように答える。
 唯円「南無阿弥陀仏を唱えると本当に浄土へ行けるのでしょうか」
 親鸞「私にもわからないが、大好きな法然さんがそうおっしゃるので私はそうだと信じている」
 唯円「死んだら浄土に行ける、と信じると歓喜踊躍するというのですが、私は死ぬと思っても少しも小躍りするようなきもちにはなれません」
 親鸞「唯円さんもそうですか、私もこんなに高齢になっても一向に嬉しくならないんですよ」
井上:カトリックの神父も同じ事を言っていた。
司馬:ザビエルが日本に来たときに日本人から質問が出た。「神様がお作りになった世界でなぜ私たちの発見が遅れたのでしょう、なんでもお見通しだったはずなのに」ザビエルはこれを報告書に書いている。「この国の人達は本当に正当な思考の上にたって議論をする。大声で説教するだけではダメで神父よりもアリストテレスを連れてくる必要がある」しかし親鸞のように「唯円さん、あなたもそうですか」とは言わなかった、一神教だからでしょうか。
井上:親鸞もザビエルも真面目ですねえ。

唯円は日本人が親鸞の教えを誤解するのを恐れて歎異抄を書いた。しかし、悪人正機説はかえって誤解を生んだのではないか。同じようにカトリック布教を多神教の日本人にしようとした西洋人は30万人の信者を作った時点で秀吉に布教を止められた。スペイン人が秀吉に「布教は征服の前奏曲だ」と耳打ちしたからと言われるが、どうであろうか。確かに、あのまま信教の自由が進んでいたら、日本は開国と同時にスペイン領になっていたかもしれない。

司馬:東京の人は子音の発音が上手。クスリ、という発音をするときに「ksri」と子音で言っているように聞こえる。関西ならkusuriと言う。実朝は心をけけれと歌に読んでいる。上方はアロハオエのようなポリネシア語に近くて、関東は北方亜細亜に近いのではないか。
井上:東北では食えがけー、食うがくー、と母音が残っている。京都弁でそうですぅは東京だとそうでsとなるようだ。母音脱落という現象がある。

このあたりは関西人には頷ける。ネクタイが関西人、ネkタイが東京人。

司馬:竹下首相が答弁するときに「そういうことはしたくないナ、と思いました」などとナを付けることで語感を弱めることを始めた。その後、「させていただきます」が政治家の決まりのようになった。これは実は大阪の船場で出来上がった。船場の商人は近江の出身者が多く、真宗の信徒、阿弥陀如来に生かされていると教わっている。阿弥陀さんのおかげでご飯を食べさせてもらっている、今日も元気で学校に行かせていただいている、という謙虚さの表現だった。

なるほど、それは知らなかった。浄土真宗ですか。

司馬:漱石が日本人共通の言語を創りだした。漱石には江戸っこ意識が強かった。森鴎外は津和野から出てきて言文一致を書くほどの自信がなかった。尾張の坪内逍遥は言文一致を唱えてもうまく実践できなかった。二葉亭四迷や漱石のような江戸生まれでなければ言文一致はできなかった。京都に集まった幕末の志士たちは話し言葉が通じなくて手紙のやりとりをしていた、この苦労を解消する、これが言文一致だった。

水村美苗さんの言う守るべき日本語はこういう時代感覚なのかと思う。それにしても司馬遼太郎、こういう作家、もう出てこないのだろうか。
新装版 国家・宗教・日本人 (講談社文庫)
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日本経済の真実 辛坊治郎、正記 ****

2011年02月13日 | 本の読後感
非常に分かりやすい経済解説、小泉・竹中改革は日本経済にプラスであり、それ以降の政権は安倍、福田、麻生の自民政権、そして鳩山政権も日本経済の停滞を食い止めていない、という説明である。

まずはGDPの解説、労働力、設備投資、技術力いずれかを伸ばすことでGDPは伸びる。だから、少子化で労働力が減少するなら、潜在的な労働力である子育て中の女性が復職できる施策は重要。衰退産業の保護をするより成長分野に傾斜配分した設備投資が必要、海外の技術よりも国内の技術力を活用した生産を心がける、これがGDPの伸びにつながるということ。

日本人の貯蓄は1400兆円あると言われるが、それを有効に活用できなければ、今のような財政赤字が積み重なる状況では財政破綻、国債と円の暴落はいずれは現実のものとなる。国民に人気を得たい政治家が一時的なバラマキ政策で国民の貯蓄を大盤振る舞いするだけでは借金を増やすだけ、日本企業の競争力を高めて雇用が増えるような分野に使うべきだと。

法人税が高い国には資本家は投資意欲を持てない。なぜなら、法人税支払い後の利益からしか配当は受け取れないからである。法人税を下げるのは企業が活性化して利益を次の投資に振り向けられるから、だけではなくて海外投資家からの資本が期待できるから、そして日本株式市場への海外資本の呼び戻しも期待できるからである。

小泉・竹中改革は格差拡大を助長した悪い改革であった、という論調が多いがそれは間違いである。バブル崩壊後の日本経済立て直しには、郵政事業で得られる国民の富を官僚が使いたい放題にできる郵政事業の民営化は不可避だった、安倍政権以降、その改革を骨抜きにしてしまったのは自民党だけではなく民主党にも重い責任がある。小泉政権時代に株価は底を打ち反転して2万円近辺まで戻していた。GDP成長率は実質、名目とも2003-2006年はプラスであった、完全失業率は5.5%のピークから4%まで下がり、有効求人倍率は0.5から1.1近くまで改善していた。そしてなにより、財政赤字では支出抑制政策により財政均衡が図られ概ね成功していた。ジニ係数が示す格差も改題傾向に歯止めがかかったのが小泉時代であった。格差拡大の本当に原因はグローバル化進展と技術進歩、既得権益にしがみつく、つまり現状に富か権力を持つ人達が小泉・竹中を批判している。

安倍政権では、偽装請負などの労働基準法違反を厳格に摘発することを打ち出し、ホワイトカラー・エグゼンプションは野党に反対され廃案、政策の軸足は労働者保護に傾いた。麻生内閣では経済刺激策を取り赤字国債を増発、景気浮揚策として住宅ローン減税、公共事業に再度力点を置き、浮揚効果が一巡したあとには経済赤字だけが残った。民主党政権はコンクリートから人へのスローガンで16兆8000億円の財源により子ども手当、高校無償化、高速道路無料化、医療と介護の再生、農家戸別所得補償、後期高齢者医療制度の見直しなどを打ち出したが、財源は確保できず、このツケは子ども手当をもらう子どもの世代に回ることになる。子ども手当よりも、子供を産んでも安心して働ける環境整備が重要ではないか、というのが辛坊さんの主張。

最後に、経済学者やニュースキャスターが唱えている悪の呪文を5つ挙げている。
1. 「経済の豊かさよりも心の豊かさが重要」という間違い
衣食足りて礼節を知るである。政治の責任は真面目に働きたいと考える人に職を与え、それによって自らの衣食を確保する喜びを実現することである。ブータンが理想の国という人は本当の意味でブータンを見ていない。所得格差は大きく、子供たちは大麻を吸って楽しんでいる、それを幸せというのか。生活保護を受けて一日中ゲームをする若者を増やしてはいけない。
2. 「大企業優遇はやめろ」という間違い
日本のGDPの大半を稼ぎ出すのは大企業、大企業の設備投資を積極的に進める政策こそが今の日本に必要である。
3. 「金持ち優遇は不公正だ」という間違い
富裕層の所得税率は50%、富裕層への子ども手当支給を制限するというのは行政手続の無駄、富裕層が支払う税額に比べれば子ども手当などは微々たるものである。
4. 「外資に日本が乗っ取られる」という間違い
海外からの投資を日本市場に呼び込むことこそ必要であり、雇用が生まれ、消費が増える、そしてGDPが増えるのは投資先の国である。
5. 「金をばらまけば景気が良くなる」という間違い
短期的にはありえても、個人の資産が1400兆円ある国で、金のバラマキは不要。それよりも将来の不安を無くする政策が重要。お金を使わないのは将来に不安があるからであり、お金が無いからではない。年金の仕組みを整え、財政を安定化させ、公教育を立て直し、子供を安心して育てられる環境にすること、これが重要である。
日本経済の不都合な真実―生き残り7つの提言
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