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意思による楽観のための読書日記

夜にその名を呼べば 佐々木譲 ***

1986年ココム規制がまだ健在な時代、東ベルリンに駐在して対共産圏貿易をビジネスにしていた欧亜交易社員神崎哲夫の手がけたビジネスがココム規制違反と摘発され日本で問題になった。欧亜交易は横浜製作所のダミー子会社、親会社はこの案件を闇に葬る為に神崎をもう一人の社員寒河江を使って闇に葬ろうとした。同じ欧亜交易の上司だった西田はこの時殺害されたが、神崎は西田殺害の犯人に仕立て上げられ、ベルリン警察からも日本の警察からも追われる身となってしまった。会社にはめられたと悟った神崎はつてを頼って東ベルリンに密航、事実上の亡命をしたのだ。

5年後の1991年、神崎の母のもとにドイツから航空郵便が届く。神崎の母はこれを受け取り、かすかに微笑む。神崎の母に来る郵便を監視していた警視庁の真堂警視正は文面を読みついに神崎が日本に帰ってくる、と確信した。「10月18日 小樽で待っていてほしい」これが文面だった。真堂は86年の事件当時、神崎の妻を尋問し、神崎の過去の女性交友を洗いざらい妻の裕子にぶちまけた。裕子は夫を信じていたが、妊娠中の精神は大きく動揺した。この手紙により真堂は部下の渡辺と小樽に行くことに決めた。同じような文面の手紙は横浜製作所の重森常務、そして寒河江にも届いていた。「取引をしたい、10月18日小樽に来てほしい」神崎を陥れた張本人の寒河江、そして背後からそれを指示していた重森は神崎に後ろめたさを感じていた。二人で小樽に行くことに決める。 ライターをしている川口のもとにも来ていた。「西ベルリン日本人殺害事件について、真実をお話ししたい 10月18日 小樽港に来てほしい 神崎」川口は神崎が事件に巻き込まれた物語をルポルタージュにして、神崎の過去の交友関係なども調べ、憶測も多分に交えて出版していた。神崎の妻裕子はその本が出版され、警察の真堂から尋問を受けた直後身重のまま自殺したのだ。西田の母にも同じ文面の手紙が来ていたが、母にかわって小樽に行くことにしたのは娘の早紀だった。早紀には西田と仲の良かった神崎が殺人事件を起こした犯人だとは考えられない。

神崎を陥れた関係者がすべて同じ日に小樽に集まった。その日、小樽にはロシアからの船が到着した。警察は船を見張ったがそれらしき人物はいない。そのころ別の場所で寒河江が死体で見つかった。銃創による死亡であった。そして警察の渡辺、横浜製作所の重森が次々に死体となって見つかる。神崎の母の行動からロシアの船以外に新潟からのフェリーが別の桟橋に来ることがわかる。川口、真堂は新潟からのフェリー乗り場に駆けつける。早紀もその場にタクシーで駆けつけるが、川口が殺され、そして神崎の母が現れ真堂は聞く。「神崎はどこにいるのか」 神崎の母の手には拳銃が握られ真堂は撃たれる。早紀は驚くが、神崎の母は早紀に真相を語る。

神崎は2年前に東ドイツで死んだのだと。ドイツまで行ってそのことを知った神崎の母は復讐のために、東ドイツでの神崎の友人たちに拳銃の入手、ダミーの手紙の出状を依頼、そして今日に至ったことを早紀に最後に書き残した手紙で伝える。

ベルリン飛行指令、エトロフ発緊急電、ストックホルムの密使の一連の第二次大戦ものの延長線上にあるような一作である。航空便は今なら電子メールであり、全く成り立たないプロットであるが、ストーリーと最後のどんでん返しは意表をつく。東ドイツが消滅する前後の情勢を知らない世代は、東ベルリンに逃げこむ、などという意味が分かるのだろうか。まずは、そんな心配は不要であろうが、たった20年前程度のサスペンスでも時代が全く変わってしまっていることに驚く。

夜にその名を呼べば (ハヤカワ文庫JA)
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