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意思による楽観のための読書日記

わたしを離さないで カズオ・イシグロ ****

 読み手に前提知識は不要だが、筋書きも概要も知らずに読み始めると、話の展開に最初は戸惑いを感じるかもしれない。読んでいない方にも事前情報が少しはあったほうが読みやすいと思う。

臓器提供が可能になった時代のクローン人間の人権問題を問う、というかたちを取りながら、提供者としての人物による語りからのクローン人間同士の精神的つながりの有り難さも感じとれる作品である。登場人物は多くはない。始まりは「介護者」として「提供者」のお世話の仕事をするキャシーの回顧である。読み手には「介護者」「提供者」に関する説明は与えられないが、物語の途中でそれは突然に登場人物のセリフとして説明されてくる。キャシーは自分が教育を受けてきた「ヘールシャム」では、女の子仲良し6人組や、癇癪持ちだけでも気になる男の子トミー、成長後も親友となるルースとのエピソードが紹介されてきて、キャシー、トミー、ルースの関係性が分かってくる。

ヘールシャムには何人かの先生が登場する。エミリー先生、ルース先生、正体不明のマダムなど。基本的な学問や芸術に取り組む機会も与えられているが、人生の可能性やなりたい職業、などの話題は巧妙に避けられている。ルース先生は、こうした学校の方針に反対だったようで、生徒たちに事実を伝えようとするが、学校から排除されてしまう。生徒たちは目の前で起きている事柄を眼にはしているが、本当の意味を深く考えようとしない。学校では「提供者」として生まれてきたことや、「介護者」「使命」などについても、生徒側に憶測による疑念が生じる前に巧妙に刷り込まれるように伝えられている。

その後、トミーとルースはパートナー関係になるが、キャシーも含めた3人の絆は継続する。高校生あたりの年齢で学校を卒業すると生徒たちはコテージと呼ばれる施設に一時移り、その後、介護者、もしくは提供者としての使命を果たす。ルースは2回めの提供で使命を終えるが、トミーとキャシーはその後、自分たちの使命の裏側にある、人間社会の臓器提供の仕組み、その社会で問題になる人権問題の存在と、ヘールシャムという施設を運営してきた慈善団体の存在を知ることになる。エミー先生もマダムもその団体のメンバーであり、臓器提供にまつわる人権問題の緩衝材としてのヘールシャムの意義を説明されるが、二人は本当の意味までは理解し得ない。提供は1-4回行われ、多くの場合には3回、運が良ければ4回で提供者は使命を終える。キャシーは幼友達であり親友のルース、トミーの介護者となり、二人の使命を見届けて、自分の使命を待ち受ける。

臓器提供による疾病治療が可能になるとした時の問題点は何であろうか。現時点では、心肺停止状態、もしくは脳機能停止からの「自発的意思」に基づく臓器提供が行われ、臓器売買についてもその存在が取り沙汰されている。その臓器提供が国家レベルで正当化され、産業化されたらどうであろうか。「わたしを離さないで」では、臓器提供のためのクローン人間育成の産業化を国家レベルで受け入れた上で、国民的合意も成立済みという前提でも、良心の呵責、クローンたちの人権問題、クローン培養による新人類誕生のリスク等の問題が国民の前には突きつけられてくることを紹介している。エミリー先生もマダムでさえ、クローン人権問題に正直に取り組みつつも、臓器培養による人類の生存への欲求、病気治療による健康長寿メリットには逆らいきれない。

主人公のキャシーはクローン本人であり、自分に与えられた「使命」については、教育で教え込まれていて不自然なこと、不合理であるとは考えていない。タイトルは、"Never let me go"という歌が、不妊治療の末に授かった赤ちゃんを私から離すようなことはしないで、と問いかけているようだ、というキャシーの解説からきていている。トミーは事実を知った後に、自分が起こしていた癇癪は、生まれながらの使命に反発していたのかと自問自答する。先に使命を終えたルースは事実を知ることなく一生を終えたはずではあるが、キャシーとトミーはルースこそがこの事実を知りたかったはずだと感じる。キャシーは、「私を離さないで」とエミリー先生に象徴される人間社会の良心に訴えかけているようにも受け取れる。

帚木蓬生の「臓器農場」渥美饒児「沈黙のレシピエント」など臓器提供をあつかった小説はあり、ソイレント・グリーンなどのSFでも扱われる生命の尊厳についてのテーマ。全く異なるアプローチで好みは分かれるとは思うが、こちらは大層抑制がきいた表現で読者に考える大幅な余地を与えている分、私には好ましく感じられる。

 


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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