なんと、昭和37年に発行された本で、その前年朝日新聞に連載された「日本人の知恵」を再編集したもの。現代で言えば「和風総本家」「スゴ~イ、日本の習慣に隠された先人の知恵(空想上の番組)」みたいなトーク集だが、トークしているメンバーがすごいと感じる。
明治維新以来の日本は西欧に追いつけとの号令のもと、旧来の日本的なものを「時代遅れ」として西欧の制度や近代的な手法、技術を積極的に取り入れ、日本的と考えられたものを「自己批判」してきた。しかし、日清日露の戦争後、第二次世界大戦前には戦意高揚のため日本文化や日本思想に対する「自己礼賛」がはびこった。敗戦後はその反動もあってか再び自己批判が横溢、欧米の文化を理想とし、特にアメリカ文明への憧れが、テレビ番組にも溢れていた。私が小学生になる前に、貧乏だったアパート住まいの我が家にも、これからはテレビだ、ということだったのか昭和35年ころにテレビジョンが購入された。近所の人達も見に来たくらいだったからまだまだ珍しかった。その頃に見ていた記憶にある番組は、ララミー牧場、ローハイド、アニーよ銃をとれ、名犬ラッシー、ちょっとあとにはじゃじゃ馬億万長者、かわいい魔女ジニーなどアメリカのドラマばかりで、こんな広いうちに住みたい、家に車があったら便利だろう、西部劇のところに行ってみたい、などと幼稚園から小学生だった私でもアメリカに憧れを抱くようにになった。「ローレンローレンローレン...ローハーイド!」と主題歌を歌っていたことも覚えている。一方で、安保反対、ハガチー帰れなどとアメリカとの条約締結には大反対の空気が溢れていて、アパートの廊下を「安保反対ごっこ」をして遊んでいたのも事実。科学や近代的制度を理想と考えながらも米に反発する気持ちもある、そんな空気の中で書かれた一冊である。
取り上げられているのは50ほどのテーマであるが、例えば「番付」、東西に横綱から大関、関脇とランキングがあり、誰が強いのかがひと目で分かるが、先場所の勝敗で上下するので、気が抜けない。真ん中には勧進元と行司がいて、第三者の存在が東西のバランスをとるという、京都と鎌倉、江戸幕府と朝廷のような一極集中でない形態であると評価する。日本独自である「じゃんけん」も三者鼎立で西洋の弁証法的論理形式とは異なるという。
「習合」というテーマでは、欧米のデパートとは異なる形での日本のデパートは呉服屋から発展して、屋上には遊園地があり、階上に食堂、地下には食品売り場もあって欧米のデパートとは全くことなる概念として繁栄しているという。クリスマスのサンタクロースも大国主神がモデルとなり、デパートも実は縁日が下敷きになっているとのこと。受け止める母体があるから習合できるのであって、ヌーディストやベジタリアンは土着しないだろうと予言している。アンパンは饅頭という母体があって西欧のパンをうまく習合させた。「学習雑誌」は子供向けの雑誌だが学年ごとの細分化され、付録もついて定着していることが習合している証拠であると。
「平等性」も特徴的で、「おみやげ」は西欧でもあるが、日本のようにご近所や職場の皆さんに買って帰ることはない。それは旅行という特別でラッキーな物語を共有したい、という考えがあるから。また「なべ」という食べ物は西欧にはない。みんなで一つの器から食べる、という物語の共有が連帯感を育む。
ちょうど特急こだまが開通した時で、東京大阪間を6時間30分で結ぶ今までにない特急なので、公募で「こだま」というツバメやハトより早そうな名前となった。今後予定される弾丸列車(新幹線)の名前はどうなるのだろうか、と心配しているのが面白い。この時点では「ひかり」「のぞみ」などという洒落たアイデアは思いつかなったのかもしれないが、考えてみればまことにうまく名付けたものだと思う。
その他、取り上げられたテーマは、「予備校」「駅弁」「花見」「漫才」「風呂」「折り紙」「出前」「ノーチップ」「万国旗」「バスガイド」「お守り」「実物模型」「家計簿」「どうも」などなど、バラエティーに飛んでいる。いずれも今でも日本的特徴を持ったものばかり、「和風総本家」「プロフェッショナル」「72Hours」などでも取り上げられてもおかしくない。