2009年、東京国立博物館で開かれた「国宝 阿修羅展」に訪れた方は多いと思う。天平時代に作られた国宝八部衆像と国宝十大弟子立像の現存する14体が、鎌倉時代に作られた薬王、薬上両菩薩像、四天王像などの重要文化財とともに興福寺を出て、東京と九州の国立博物館で記録的な165万人という入場者を集めた。あの印象的な表情を持つ阿修羅像を興福寺でのようにガラスケース越しではなく直接像を拝観できるスタイルだった。本書は、本尊釈迦如来像を護衛する八部衆の中でスーパースター的な役割を与えられている修羅像のモデルはいるのかという問いへの一つの回答、それは聖武天皇の皇后、光明皇后ではないかというものである。
飛鳥から奈良時代にかけては、厩戸皇子が推進した仏教導入、大陸文化重視の制震を受け継いだ中大兄皇子、唐風一辺倒に楔を打ちながらも律令国家体制を確立した天武天皇、そして官僚化してしまった国家仏教体制に反旗を翻した行基を大僧正に任じ、三蔵法師玄奘を通じて伝えられた大乗仏教の力を得て、東大寺大仏建立を成し遂げた聖武天皇がいた。この聖武天皇の后が光明皇后であり、母である橘三千代の追善供養のために創建した興福寺西金堂に収められたのは釈迦如来と脇侍菩薩二体、羅漢像十体、梵天像一体、帝釈像一体、四天王像、八部神王像で、造仏作者は百済系の将軍万福とされる。
国立博物館で実物を見た人ならわかると思うが、多くの仏像が観念の産物であるのに対し、乾漆像である八部衆の仏像は高水準のリアリズムに基づいている。八体のうち二体は異類の容貌であるが、あとの六体は人間の顔であり、実物の人物を写したように思える。また阿修羅像以外は武装しているのに対し、阿修羅像は武装していない。兵馬俑のリアリズムを知る人ならば、同様の技法が用いられてるのではないかと推測可能である。
天平時代には全国各地で干ばつ、飢饉が多発し、光明皇后は悲田院、施薬院を建立して困窮した人々の救済に努めた。皇后は「金光明最勝王経」の思想による救済がそうした人々にも及ぶことを心から願い、苦悩が絶えなかった。当時30歳代だった皇后は、夫の聖武天皇を支え、自身が仏法の守護神となるべく三面六臂の活躍をしていた。仏像作者の万福は、光明皇后をモデルに修羅像を制作した、これが筆者の推測である。本書内容は以上。



