意思による楽観のための読書日記

江戸時代の民衆思想 布川清司 **

江戸時代の百姓たちは、時の為政者が悪政を敷いたとしても、無言の抵抗しかしなかったのではないか、というのは間違っているとした。仁政、平等などに関しては農民層でも一定の思想があり、不服従の態度を、さらに深めて、近隣村民による強訴や一揆などでは声を上げて抵抗したという実証集である。

江戸時代の身分である農民では大きくは政治的身分と社会的身分があった。村役人と村民、本役人・半役人と無役、高持と水呑などは政治的身分。本百姓・子百姓、門屋・借屋・脇屋・作人・地借り・家抱・譜代下人などは社会的身分である。政治的に年貢や賦役を一軒分負担する百姓とそうではない百姓では村落内で一人前と認められるかそうではないかで大きな差があった。これらは畿内農村では本百姓と子百姓という呼称で代表される。

17世紀前半には本百姓のなかには菜種や棉などの商品作物栽培に成功して経済的実力を蓄積し、中世から続いていた小領主的本百姓は没落、本百姓内の平等が進んだ。このため、経済的身分が高く、政治的には高くはない百姓とその逆の立場の百姓が生まれた。こうして百姓の間では家格や伝統ではなく経済的地位で身分が決まるように変化してきた。この変化に伴い、呼称も高持と水呑という呼び方に変わってきた。近世的平等思想が広がったと評価できる。

近世百姓の経済的生活で顕著なのは自らが生産した商品作物を自由に自分の判断でより利潤の多い方に売ったり、加工されて戻ってきた生産物を誰からも買えるのか、とい手広売買が許されるかどうかであった。この思想は江戸時代にいずれの地域でも共通して争われたという。当初は、村内の商家から日常必要品を買い、柿、楮、たばこなどの収穫商品と交換して掛売決算をするのが慣習であったが、この商売に関して、農民側の手広売買を認めるように、という訴訟が起こった。多くの場合、農民にこれを認めるという判断がなされ、そうでない場合には百姓側は不服従の態度を取り、訴えを主張した。農民たちは自分たちの倫理観に合致しないと判断した場合には徹底的に抵抗したのである。

農民的倫理観とは何だったのか。
1. 仁政の要求:為政者としては民生安定と正義実践を求めた。
2. 百姓がこの国の生産を支えているのであり、被治者である百姓こそが大事にされるべき。
3. 多くの百姓が同様の要求をしていること。
民衆中心主義ともいえる思想である。

江戸時代には百性に対する生活統制があった。衣食住の制限と冠婚葬祭の倹約である。何度も倹約令が出されているところから、これらが守られていない、という実態がわかる。茅葺屋根で床なし、土間、ねこだ(藁で作ったむしろ)敷き、簀子の上にねこだを敷き、良くてもその上に2-3枚の縁取りゴザがある程度、というのがお触れである。百姓は倹約令がでても、それらは当座のこと、として従わなかった。普段の食事は一汁一菜、冠婚葬祭でも一汁三菜に留めるべし、とされたがこれもあまり守られなかった。商品作物栽培も統制されたが、桑、養蚕、煙草、楮、漆、製紙、樹木などを栽培し収入増加に励む百姓が多かった。

不服従の論理には百姓の倫理的価値観があった、というのが筆者の主張、為政者が変わっても自分たちの価値観は変わらないぞ、というのは現代にも通じる庶民感情である。江戸時代の民衆思想―近世百姓が求めた平等・自由・生存 (三一新書)

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