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意思による楽観のための読書日記

おらおらで ひとりいぐも 若竹千佐子 ****

70歳代で一人暮らしをしているおばあさんの桃子さんが一人称で語る、来し方と行末の人生のお話。作者は50歳を過ぎてから小説教室に通い、8年がかりで書いたという2018年直木賞受賞作。一人称による自分の思念のみの記述、最後までよくぞ書き通したな、と感心した。

桃子さんは生まれた東北地方の高校を卒業して農協に勤務していた。仕事が軌道に乗り始めた頃に母が言った言葉に衝撃を受けた。「結婚せずにこの家にいればいい、そしたらこの家のためになるしお前も楽しいだろう」と。兄が跡継ぎのこの家にずっといろというのかと、母に激しく反発を感じた。そして縁談が持ち上がる。親が決めた結婚は、桃子さんの意に沿う相手ではなかった。それでも決められたスケジュールで進んでいく段取り。時は1964年、結納も済んであとはご祝儀まで3日という日、オリンピックのファンファーレと共に家を飛び出した。

東京での一人暮らし、故郷のことで思い出すのは近所の八角山。山形からでてきたという、大衆割烹店の職場で朋輩の女の子トキちゃんと四畳半の小さい部屋を借りて一緒に暮らした。東京では東北弁に気をつけながら話した。トキちゃんには「桃子さんは『わたし』って言う前にひと息入れるんだよね」と冷やかされた。そう、小さい頃から反感と当時に憧れていた「わたし」という一人称のこと。「おら」には愛着と蔑みがあった。そして、気兼ねなく大っぴらに東北弁を話す店のお客、周造と出会う。同郷で八角山を知る周造は桃子の好みだった。東京に出てきて落ち込んでいた桃子は元気を取り戻した。そして親にも相談せず結婚、出産、子育て、子供たちは独り立ちして、郊外に一戸建ての家も建てて暮らし今に至る。充実した人生だったと思う。連絡も途絶えていた実家には、父の葬儀のときに初めて許され帰ったが、今は母も旅立った。

息子の隆、娘の直美とは何故か疎遠になっている。それでも直美に「さえ」という子供ができて、時々は気にかけて電話してくるようになっていた。周造は子育てが終わる頃、さあこれからは二人で人生を生きていこう、という頃、今から15年ほども前に先立ってしまった。桃子さんは泣いた。ショックでその前後の記憶がないほど悲しかった。それ以来の東京郊外での一人暮らし。毎日、周造のこと子どもたちのこと、そして自分の今までの人生、色々なことを思い、すぐに蒸発するように思い出や考えも頭の中を通り過ぎていく。

桃子さんの思いが、一人称で次々とこれでもかというほどに表現される。桃子さんの得意分野、46億年の地球の歴史、先カンブリア紀から新生代までの年表をノートに書いて持ち歩く。自分の人生を客観視したいからである。様々な思いに心揺れる自分を、腸内の柔毛突起だと例える桃子さん。周造が死んで、現実世界と死後の世界を強く意識するようになる。結婚して子育てし、自分の役目は終了、この世の中にこのあと、どんなお役に立てるのかと自問自答する。突然、マンモスが妄想に現れる。桃子さんはマンモスの先祖たちが辿ってきた道のりや苦労に思いを馳せる。アフリカ大陸を出てヒマラヤ山脈を通り、海を渡って日本列島に来た苦労を思う。桃子さんは一人ぽっちになってみて初めてわかる世界がある。自分の若い頃から中年を経て今の自分の至る道々に佇んでいる過去の自分自身に語りかける。自分は一人になってもこの世界で生きていくこと、これが自分の進む道だと。本書内容は以上。

桃子さんには数々の屈託があり、それに気づかず、そしてそれに気づいた時には傷ついたりもするが、立ち直り、いや立ち直らずとももう一度気を取り直して前に進む。東北弁、母との軋轢、自分の娘との軋轢、愛する夫への本当の気持ち、自分の自立、女性の自立、そして老い。自分が自分の人生で下した数々の判断の総決算、それが現在の自分である。判断の理由はそれぞれあったのかもしれないが、各分岐点での判断に至った確たる理由が言えるわけではない。人生の日暮れ時を迎える頃、過去の自分に向き合い、少し薄暗いこの先に向けて、明るく次の一歩を踏み出すこと、共感できる一冊だった。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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