意思による楽観のための読書日記

猫を抱いて象と泳ぐ 小川洋子 ****

読んだ印象はなぜか全く異なる小説「アルジャーノンに花束を」と似ていた。

主人公の少年は後に「リトル・アリョーヒン」とチェスの神様を参照して呼ばれる存在となっったのだが、幼い頃は寡黙な少年であった。生まれた時に上唇と下唇が癒着して生まれ、緊急手術で切り離され、その際に脛の皮膚が唇に移植されたのである。そのために少年の唇には産毛が生えてきた。少年は同級生たちにイジメられた。なので一人で空想することを楽しんだ。祖父と祖母、そして弟と一緒に暮らしていた。デパートの屋上に小さい時に上げられて、成長し過ぎてエレベータに乗れなくなり、一生をデパートの屋上で終えた象のインディラ、住んでいる壁と壁とに挟まれて出られなくなってミイラになった少女がいると噂された、その子にちなんで名付けられた猫のミイラ、そうした動物が想像上の友達だった。

ある日、学校の帰りにバス会社の独身寮に寄り道した。その時、廃車になったバスに住んでいた「マスター」にであった。マスターは少年にチェスを教えてくれた。マスターは猫を飼っていた、名前はポーン。少年はマスターから教わるチェスにのめり込んでいった。少年がいい手に困っていて、焦りを見せると「慌てるな、坊や」とマスターが言ってくれた。チェスに馴染んでくると、少年はチェス盤に向かうよりも、チェス盤の下にもぐり、猫のポーンを抱いて、相手が指手の駒の音を聞いていると落ち着くことを発見した。チェスの盤はaからh、1-8の64マス、その音を駒の種類と場所とともに聞き分けるようになった。チェスの指し手を記録するノートをチェスノートと言う。少年はチェスノートの書き方を教わった。キングがK、クイーンはQ、ビショップはB、ナイトがN、ルークがRでポーンの場合には何も書かない。Xは駒を取った時、e2のポーンをe4に進めると、”e4”となる。

そして少年はマスターを時々負かすようになる。マスターは少年に「チェスにはその人の人格のすべてが出てくる、強くなるよりも美しい棋譜を残せるように指し手を考えなさい」と教える。そして、街のチェスクラブ「パシフィック・チェス倶楽部」に行く事になる。入部のための試合には、チェス盤の下に潜ったため、公式の勝負は負けと判定されてしまうが、少年は事務長の目に止まり、「リトル・アリョーヒン」と呼ばれるようになり、パシフィック・チェスクラブに来て欲しいと依頼される。しかしそうした時にマスターが死んでしまう。事務長が少年を誘ったのは、パシフィック・チェスクラブの地下にあるパシフィック・海底チェスクラブであった。そこで、少年はチェスの神様のアリョーヒンに似せて作られたという人形の中に入って、チェスを指す、という役割を与えられる。訪れてくるのはパシフィック・チェスクラブの秘密メンバー達で、そうしたメンバー達と顔を合わせることなく少年は人形としてチェスを指すことになる。そして、リトル・アリョーヒンに代わって、相手の駒を取ったり、自分の駒を動かす役割を受け持つ少女と出会う。少年は彼女に「ミイラ」という名前をつける。チェスを指す時、リトル・アリョーヒンとミイラは一体となる。

そうしたメンバーの中に老婆の令嬢がいた。老婆の令嬢は少年と対戦するうちに、リトル・アリョーヒンが素晴らしいチェスの指し手であることに気がつく。老婆令嬢はリトル・アリョーヒンを老人マンションのエチュードに行かないか、と誘う。リトル・アリョーヒンはエチュードに、人形とともに移り住むことを決意する。エチュードに暮らすのは、パシフィック・チェスクラブに在籍した老人ばかり、そこで夜中に老人たちとチェスの相手をする、というのがリトル・アリョーヒンの役割となる。ミイラとは別れ別れになってしまうが、ミイラはリトル・アリョーヒンに手紙を書く。手紙は”e4”というのが一通目だった。チェスを手紙で指そう、ということであろうか。リトル・アリョーヒンは老人たちとチェスをさしながら、ミイラからの手紙を待ち焦がれるようになる。手紙にはチェスの一手しか書かれていないにもかかわらず、リトル・アリョーヒンにはミイラの気持ちが手に取るようにわかる気がする。

そして、リトル・アリョーヒンはエチュードで死んでしまうのだが、リトル・アリョーヒンが死んだ日にミイラから届いた手紙には”ー”の一文字、つまり「負けました」という内容であった。エチュードでの棋譜は残されていない。パシフィック・チェスクラブでの棋譜も残されてはいないが非公式に、リトル・アリョーヒンがそう呼ばれるようになった入部のための一局が秘密裏に会員のなかで残されている。それは「ビショップの奇跡」と呼ばれていた。あまりに美しいビショップの動きからそう呼ばれたという。リトル・アリョーヒンがこの世に存在したことの証明は、その棋譜だけであるが、パシフィック・海底クラブのメンバー達の記憶の中には「リトル・アリョーヒン」が深く刻まれていた。

なんというお話であろう。小川洋子は「博士の愛した数式」の作者である。江夏の背番号28は完全数、ということをモチーフにした少年と母親、そして記憶が90分しかもたない博士の物語であった。リトル・アリョーヒンにはチェスの知識が埋め込まれている。きっと、作者はチェスのその道のプロにヒアリングしたのであろう。それでも老人クラブの場所がチェス盤のa1からh8の64に見立てられた土地にあり、a1に立つ居住棟、a2-h8の敷地がある、などという発想は愉快ではないか。少年のチェスへの傾倒と天才ぶり、パシフィック・チェスクラブからエチュードへの展開、なぜかアルジャーノンに花束をを思い起こさせるのは何故だろうか。少年も優しい心だろうか、実験に使われたネズミのアルジャーノンとインディラ、猫のポーンなどが符合するのだろうか。デパートの屋上から出られなくなったインディラ、エチュードに入り込んで死んでしまうリトル・アリョーヒン、急にチェス盤を作ってみたくなってしまった。


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