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テッシーさんブログ

旅行の思い出

エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その5

2014-03-03 21:38:30 | 登山

5日目

今日は自由行動の日である

ホテルでのんびり1日過ごしても良いし、ホテルの従業員が案内してくれる参加無料のトレッキングに参加しても良い

私は前日の疲れがあるのでホテル滞在をしようとしたが、身体を動かした方が高山病になりずらいと添乗員に忠告

されたので往復3時間のゆったりハイキングに参加する

 

 

タムセルク(6623m)から間もなく日が昇る、後ろの山はカンテガ(6779m)

 

ホテルを9時に出発

 

ホテルまで登ってきた時は左の道を来たが今日は右の道を歩く

 

大きなシャクナゲの木が生えていた、3月末にはみごとな花が見られるのだろう

 

本日のハイキング参加者、下にクムジュン村が見える

ガイドは左が経理責任者のカルマ・ナンダ・ライさん右がハウスキーパーのクイル・ロッカさん

カルマ・ナンダ・ライさんは槍ヶ岳に登ったことがある、日本語がペラペラ

 

クムジュン村の入り口

 

入口に続く道、右側はヒラリー校、ここの卒業生はエリートで半数以上の人が留学するという

 

ヒラリー校入口

ナムチェバザールから我々が2~3時間やっとのおもいで登って来た距離を歩いて通学するという

前日泊まったロッジの子供はここに通っているといっていた

 

ヒラリーの像 バックはクンビーラ山(金毘羅さまの語源)

 

建物の入り口にあったどこかの小学校が送った鐘(日本ではこんなところに紙を貼るか)

 

村からアマ・ダムラム(6856m)の裾野まで見える

 

イエティの頭が展示してある寺に行く

 

普段は入口は閉じているらしい、前もってホテルから連絡してあったはずなのに開いてなかった

 

しばらく待って寺の中に入る

 

これがイエティの頭、私はそうだと信じたい、フラッシュをたいたので見えるが肉眼では暗くて全く見えなかった

右側になにがしの賽銭をあげる

水場、ホテルで使用している水はここから担ぎ上げている

ここから50mほど下がり、150mほど担ぎ上げなければならない

水は大事に使わなければならないと思った、ホテルに帰ってからはトイレは手桶で流すことにした

ある人は何回かまとめて流すようにすると言っていた

 

ここを下ってから山道を歩くことになる(日本ならポンプアップするだろうが停電があるのでそれがかなわない)

 

水場を下って昼食になる、ここはガイドしてくれたカルマ・ナンダ・ライさんの家である

ここからホテルまで通勤している

 

カルマ・ナンダ・ライさんの奥さん、シャイでカメラを向けると引っ込んでしまう

 

昼食、リンゴがまた付いた、小さくて日本では売り物にならないだろう

 

参加者がナイフを借りてむこうとしたがむかなかった、ネパールのナイフは刃のつけかたが違うらしい

押して剥くらしい

坂を登る途中にヒラリーの碑があった

 

 

遠くにホテルまで水を運んでいる女性が見えた

 

運び上げて帰ると途中とすれ違った

 

50リットルタンクだろうか、私なら担ぐだけがやっとである、スタスタと道を下って行った

 

ホテルに帰り、参加者とスタッフで挨拶をする

 

エベレストを写す、イエローバンドまで写っている

 

オバサン達は売店で買い物、商品はほんの少ししかない

 

館内を撮影する

ホテル前の階段

 

玄関

 

 

なぜか燕山荘の風呂敷が飾ってあった

 

このホテルは建設者も設計者も日本人である

 

コンデリに落ちる夕日

 

星がきれいだったので生まれて初めて星を撮ってみた(オリオン座)

 

明日はカトマンズまで山を下る、今夜が高地での最後の晩になる

 

 

 

 

 


エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その4

2014-03-02 23:56:18 | 登山

4日目

今日はナムチェバザール(3440m)からシャンボチェのホテルエベレストビュー(3880m)まで

標高差約440mをハイキングする

 

6人の料理担当

今朝の食事をサービスするのが最後なのでこの人達とはお別れ

 

コック長

 

シェルパ文化博物館を見物する

 

 

ヤクの落とし物を乾燥した物が積んであった(燃料にする)、一度も燃しているのを見たことがない

 

エベレストに登頂した女性の写真が貼ってあった、左上に田部井淳子さんの写真がある

ちょっと撮影に失敗

 

庭にヤクが繋いであった

 

エベレスト街道のいたる所にマニ車がある

 

急な坂道を息を切らしながら登る、荷物を何も持たずにこのざまである

 

雪山をバックに記念撮影をする

 

添乗員がポーズをとっている

 

まだ急登は続く、もうへとへと

 

ナムチェバザール が見える

 

親子に会う

 

もう立派なポーター

 

あの建物まで登れば後は尾根になる、もう一息である

 

やっと尾根にたどり着く

 

尾根に上がった所で初めてエベレストが見えた、感激

ヌプチェ(7896m)、ローチェ(8511m)、アマ・ダブラン(8856m)が見える

角を曲がれば今夜の宿にまもなく着く

 

斜面にはヤクの道が一面にある

 

ヤクがあああ斜面にいる

 

やっとホテルエベレストビュー(3880m)が見えてきた、11時55分に到着

気圧は639mph、平地の約65%弱

ちょっと移動しただけでも屈んで作業をしただけでも息苦しい

 

この長い石段を登ればホテルの玄関、もう一息である

ポーターは背中、前に二つのサックを背負っている、それでも全く息を切らしていない

 

ポーター達とはこれでお別れ

 

荷物を運んでくれた各々のポーターに挨拶する

 

サーダー以外のポーターはここでお別れ

彼らは我々が3日間かけて登った道中を今日中に半日でルクラまで下りる

6時頃までには到着するという(歩いて下りるのではなく駆け降りるのだそうです)

彼らはルクラに住んでいるいるわけではなくルクラまで1泊2日で集まって来る人もいるそうです

よくこれだけの人を召集できるものです、サーダーの腕次第なのだろう

 

ホテル総支配人、日本語がペラペラ

このホテルは日本人が建設した

 

廊下、バケツの置いてある入口が私の部屋 

 

今日の寝具フカフカである

 

部屋からエベレストが見える

 

ストーブ、あまり暖かくならない 

 

今までのロッジは充電できなかったので携帯、カメラの電池に充電する(コンセントは一つしかない)

 

洗面所、バケツにお湯を入れ各部屋に運んできてもらう(このお湯で身体をふく)

シャワーはついているがお湯は出ない

 

試しに蛇口を捻ったら真っ赤な赤錆が出てきた

 

トイレ、ロッジではペーパーを流すことは禁止だったがここはOK

 

昼食は親子丼(うまかった)

 

これは堅かった

 

エベレストが見える食堂で食べる

 

窓からエベレストが良く見える、ただし午後2時を過ぎると雲で見えなくなってしまう

前日来たなら多分見えなかっただろう(運が良かった) 

 

温室で山々を見物、ここは日中はとても暖かい

 

望遠レンズで撮ったエベレスト

 

5時から暖炉に火が入ったので夕食前に集まり談笑

 

夕食

スープ

 

トースト

 

トンカツ

 

カレー、食べられるなら追加してくれる、ニンジンがバカうまだったので追加してもらった

 

コーヒーか紅茶を選択

 

夕日に染まるエベレスト

 

 

 

 


エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その3

2014-03-02 00:42:06 | 登山

3日目

今日から本格的なハイキングとなる

昨日は標高差約175mを下るハイキングであったが今日は標高差約788mを登るハイキングとなる

低地の800mを登るなら容易であるが標高2652mのパクディンから標高3440mのナムチェバザールまで登る

ハイキングとなる

パクディンでの気圧は私の腕時計では744hpaで平地の約75パーセントの気圧である

 

 

ワレワレの荷物を運ぶ4頭のゾッキョに積む作業をポーターが行っていた

 

小雨が降っているので合羽を着用して出発、乾季といっても雨が降ることがあるのだ

 

今日も幾つもの吊り橋を渡る

 

重い荷物を担いだ運搬人が我々を抜いていく

彼達にとっては4000mより低い所は低地と同じ行動ができるという

 

橋の傍で休憩する

 

 

ロバもゾッキョもとても賢い、橋の上に石があるがそこは壊れている場所である

ロバもゾッキョもその手前で歩みが遅くなりいったん止まって確認してから歩き始める

そこを過ぎると危険を避けるかのようにスピードを上げて渡りきっていた

 

休憩した場所にあったトイレ、板に穴が開いているだけである、出した物はそのまま川に流れる

こんなトイレはここだけで後利用したトイレはすべて水洗トイレだった

 

こんな重そうな荷物を運んでいる人も我々をドンドン抜いていく

 

ロバの行列、この道ではロバ、ゾッキョが優先である、ハイカーは行列が通過するのを待つ

この道は生活道路でハイキング道路ではない

行列を連れて歩く人は最後尾で歩いている、毎日歩いているコースなので動物はかってに歩いている

 

ちょっと寄り道をして湧き水を飲んでいる

 

ポーター右の少年は15歳(身体が小さいのでもっと若いかも)

ポータ達が休憩している

通り過ぎた日本人女性、ベースキャンプまで行ってきた帰りだという

 

家内に付いたポーター、エベレスト街道はどこでも携帯が使用できた、勿論日本から持っていた電話も使用可能

 

昼食はラーメン、温かい料理はありがたい

 

欧米人が食べ易いように麺は短い

 

それとこの料理

 

この門から先はサガルマータ国立公園となる(サガルマーターはエベレストのネパール名)

 ポーター達はもっと先で食事をしているので残った人だけでそこまで運ぶためこの人は4個のザックを運んでいる

 

一旦下り

 

また登り、その先の吊り橋を渡る

 

河原のような道を歩く

 

2本の吊り橋が見えた、上の橋は最近作ったものでこれで楽になったという

古い橋は渡った後下ってさらに登らなければならなかったいう

 

左手下に古い橋が見える

 

ロバの行列が橋を渡っている

 

どこの国の人かわからないが我々を抜いて行った

 

途中で会った少女達、笑いながら駆け足で山道を下って行った

 

今夜泊まるロッジ、気圧は674hpa(平地の約65パーセント)

 

コック達が作業をしている、使用できる水道はここだけで他は凍結していて使用不能

 

味噌汁と

今夜の夕食

 

今夜もシュラフで寝る、このロッジは掛布団がある、湯たんぽも支給される

明日からはシュラフとはおさらばである

 

昨日教えて貰った言葉はナマステ(こんにちは、さようなら、インドと同じ)とビスターリ(ゆっくり)である

今日はビスターリの声をかけられるまでもなくゆっくりしか歩けなかった

ハイキングは今日が山場で明日は標高差約440mの登りだけである(ただし標高がさらに高くなるので空気が薄くなる)


エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その2

2014-03-01 01:10:48 | 登山

 

2日目

今日からハイキングの開始である

ルクラ(標高2827m)まで飛行機に乗り、そこから今夜のロッジがあるパクディン(標高2652m)

までハイキングする、今日は足慣らしである

 

いくらも寝ないうちに4時半にモーニングコール 

5時20分にホテルを出発

 

ホテルから渡された食糧を待合室で食べる

 

7時出発であるが8時半になってもまだ出発しない

 

乗客はただじっと待つしかない

 

9時過ぎにやっと搭乗が始まりバスに乗り飛行機に向かう

 

やっと搭乗 操縦席も見渡せる

 

ヒマラヤの山が美しい

 

9時45分頃33分の飛行でルクラの飛行場に到着

これでも運が良い方で順調に着いた方であるという、運が悪ければ欠航になるという

 

手前が駐機場その向こうが滑走路、かなりの勾配の坂になっている

 

滑走路、左が駐機場 かなりな急な坂である、昔は舗装してなかったという

 

飛行場から少し登ったところでポーター達と落ち合う

ロッジまで運ぶ荷物を荷造りをしている、参加者一人につき一つのバックが渡された、前夜参加者がパックした物である

 

ストレッチを行い出発する

 

参加者に一人づつポーターがつく参加者は何も持たずに歩く

私は疲れてくるとカメラも持って貰った

 

私の荷物を持って貰ったポーターは16歳のPemba Tamanyである

なかなかハムサムな高校生である

左上の写真は田部井淳子さんである(博物館にて)

 

今日のコースは下りが多い

 

PASANG LHAMUの像がある門をくぐる

彼女はシェルパ族で1993年4月22日にエベレストの頂上に着き、下山途中に亡くなった人です

 

ゾッキョが通る時は山川に立つ事が原則

ゾッキョまたはロバの通行が優先される

 

幾つもの吊り橋を渡る、揺れて」とても怖い 

 

ロバの行列

 

何を運んでいるのだろうか

 

今夜の宿泊地のロッジに到着

 

夕食後パルスオキシメーター(血中酸素濃度計)で測定を行う

ハイキング中は朝夕食後測定を行う

 

今夜はシュラフに寝る、インナーシュラフも用意されていた

これもポーターが運んで来たものである 

 

湯たんぽが支給される

この日以降高山病予防に効果があるといわれるダイアモックス(250mg)を朝夕半錠飲む

 

 

 


エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その1

2014-02-27 21:18:11 | 登山

いつか見てみたと思っていたエベレストを見ることができた

 

ツアー参加者(元気な年寄達である)

 

ポーターの人達(日本人と区別がつかないくらい日本人にんている)

この他にコック6名、ゾッキョ4頭、それについて歩く人1名、ポ¥ター1名

計25名である

参加者、添乗員を含めると39名のパーティである

 

参加者とポーターとの記念撮影

 

 

出発は前日は雪が降るとの予想があったので安全のため前日成田に前泊する

実際には全く降らなかったが集合時間が早いので前泊したのが正解であった

 

1日目

成田より香港、ダッカ乗り継ぎでカトマンズに移動する

今回のツアー参加者は13名で成田より6名、関空より7名である

添乗員は関空より同行し成田からの参加者は香港の搭乗口で落ち合うことになっていた

ところが搭乗ゲート番号がまだ未定であった

一旦解散し決定したら待ち合わせ場所に集合しゲートに移動することにした

ところが1名の人がゲートが決定してもなかなか姿を現さない

そこで2名の人に添乗員にあいにいっていただいた

ゲートに行く途中でその人を見つけ全員で添乗員と落ち合うことができた

 

深夜カトマンンズのホテルに到着しその晩はロッジ、ホテルで使用するもの7、ハイキングで使用する物

カトマンズに帰ってから使用する物の仕分け及びパッキングでほとんど寝る時間がなかった

エベレスト街道を歩いている間は風呂に入れないので最後の機会であったが眠くて入れなかった