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テッシーさんブログ

旅行の思い出

観音山ハイキング

2014-03-30 18:07:36 | 登山

秩父の小鹿野町にある観音山(標高約700m)に元会社の人達とハイキングに行く

 

集合場所は落葉松トンネルの出口の駐車場

トンネルができる前までは右に伸びる道を利用していた

 

駐車場を10時に出発、昔の車道を歩く

 

先日の雪で木が倒れていた、まだ雪が大量に残っていた(車が通れる状態ではなかった)

 

落葉松(からまつ)峠から山道に入る

 

皮を剥かれた木が2本あった、他の木は剥かれていないのにこの1種類だけは剥かれていた

鹿が剥いたのだろうか

 

皮が剥かれた木のすぐ近くにカモシカがいた

 

こんな低山の秩父の山で初めてお目にかかった

しばらく前には高山でしか見られなかったのに個体数が増えたのか

 

西秩父桃湖を見ながら山道を歩く

西秩父桃湖という名称は元知事の長女の名前を付けたのではないかと言われている、馬鹿気な名前をつけたものだ

 

木の階段があった、ここはきつかった

 

札所31番の仁王はここから切り出したそうです

 

山頂、ここで昼食をとる

両神や武甲山が見えた

 

下山後元気村で入浴をする

 

桃が咲き始めていた

 

打ち上げは小鹿野町の東大門で行う、ここの名物わらじカツ丼

 


エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる 感想

2014-03-07 18:11:06 | 登山

ネパールを観光して来ての感想を記してみます

今回はこの国のほんの一部を見たに過ぎないがとても面白い素晴らしい国である

機会があったらもう一度訪れたい

まず第1に子供たちの笑顔が素晴らしい

村々の戸口の前で会う子供が「ナマステ」と挨拶を送ってくれる(ほんの一部ではあるが手を出してくる子もいたが)

金品を渡さないでと注意されていたので一切渡さなかった(これがネパールの人にとっても良いことである)

エベレスト街道の人達(シェルパ族)は日本人とそっくりな顔をしている、サーバーは日本語が上手いので

日本に来たら誰も外人だとは気づかかないだろう

 

石垣石壁や段々畑がインカとそっくりであった、もしかしてインカ文明はネパールか伝わったのではないか?

 

今回のトレッキングには13名の参加者に現地サポーターが25人もついた

人件費が安いからこんなことができるのだろう

「2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると1日2ドル未満で暮らす貧民層は2200万人と推定されており、

国民の70%を超えている」(インターネットより)

トレッキングに必要な荷物を詰めたザックその他をポーターに預け、暑くなれば脱いだ衣類も持たせ

両手にストックを持ち首からカメラをぶら下げただけで歩く

大名行列である、そのカメラも最後には重くなりポーターに持って貰った

休憩場所に着けば早速先行していたコックが温かい飲み物を出してくれる、至れり尽くせりである 

こんなトレッキングもできるのも彼らの生活が向上すればできなくなるだろう(かねをもっと出せば可能だが)

こんな思いができるのも今のうちである(行くなら早い方が良い)

 

ホテルまで荷物を運んでくれたポーター達は午後から下山し始め我々が3日間かけて登った距離を日が暮れる前にルクラまで

降りるのだそうです、ものすごい健脚である

 

カトマンドゥの道路事情

カトマンドゥの町には信号機があるが一つとして作動しているものは無かった

故障しっぱなしのせいか停電があるので使用できないのか解らりようがないが

たとえ動いていたとしてもカトマンドゥの人には何を指示しているのか解からないでであろう

自動車教習所にも信号機がないのだから

大きな交差点にはお巡りさんが手信号でさばいていたが小さな交差点には四方八方から車が突っ込み

直進が優先か?左折が優先か?右折が優先なのかどういうルールに法り優先順序が決まるのかいつも渋滞している

日本なら10分もかかれば到着できる場所に数十分かかってやっと行ける

道路はデコボコおまけに土埃がひどい

バイクが異常に多い車の隙間はバイクだらけ、後部座席の人はノーヘル

最近までは酔っ払い運転も禁止になっていなかったという

それでも一度も交通事故の現場にあっていない

混沌とした中にも彼等のルールがあるのだろう

ガソリン価格は1リットル160円位だという、輸入品なので日本より高いくらいである

それでバイクが多いのだろう

最近までトロリーバスが郊外から走っていたが停電が多いので廃止になったという

それとバスが多いバスといってもワゴン車のような車で行先表示もなく昇降口で人が行先をどなっている代物である

停留所らしき所があるらしいがどこでも乗り降りし停車している、これがさらに渋滞の元になっている

道路の道幅は十分広いのに駐車場状態になっている

道路が良くなって、停電も起こらなくなったらこんな光景は見られなくなる、見るなら今でしょう

会社や商店では一応始業時間が決まっている、しかし9時始業なら10時からの始業となるらしい

 

 飛行機事情

これだけは天気次第

我々がルクラまで行った時は予定時間より2時間遅れであった

カトマンドゥに帰ってからガイドの人は今回は非常に順調にいって良かったと言っていた

ひどい時には1週間位飛ばないことがあるらしい

有視界飛行なので両飛行場とも司会良好でないと飛べない

 

エベレストが2日間も姿を見せてくれた

ホテルに行く前日にも途中で見えるはずであったが一度も見せてくれなかった

運が悪ければ一度も見ずに帰路につく人もいるはずである

我々は

運が良かった、参加者の心がけが良かったせいである

 

ホテルの従業員のガイドでハイキングに行った時チップはいくら欲しいかと聞いた関西のオバサンは

ネパールの人を蔑視していたに違いない、ヨーロッパに行って現地の人に同じことを言えるか?

 

家内はヒマラヤの山に魅了されもう一度行きたいと言っている

もう私は歳なので今回のようなハイキングはとても駄目なので今回が最後だと思いこのツアーに参加した

もっと簡単に行けるツアーを探してみたい

 

 

 

 

 


エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その7

2014-03-06 01:09:59 | 登山

7日目

今日はネパール最後の日である、深夜発の便で日本に帰る

今日の予定は午前中はエベレスト遊覧飛行とクマリの館観光、午後は目玉寺院と火葬場観光である

早朝起床しガイドに連れられて飛行場に着く

 

ホテルで渡されたパサパサなサンドウィッチを食べ搭乗を待つ

何時まで待っても登場の合図はない、ネパールでは辛抱強く待つしかない

予定時刻の1時間半以上たったころルクラ行の搭乗が始まった

続いて遊覧飛行の搭乗が始まった

 

バスに乗り駐機場まで移動

 

やっと飛行機に乗り込む

 

例によって乗務員が耳に詰める綿とアメを配る

 

滑走路に出たが何時までも飛び立たない

そのうち乗務員が英語を話せる人いないかと探し始める

私の後ろに座っていた若い日本人が乗務員の話を通訳してくれた

エベレストの近くの気候が悪いので良くなるのを待っているとのことだった

しばらくすると滑走路を走り始めた

これでまたエベレストを見られると期待していると

駐機場にバック、今日のフライトは中止

 

飛行機を降りる、通訳してくれた青年、エベレストを見に3日の休暇を取ってやってきたという

 

バスに乗り逆戻り、インドから来た人たち、インド人は金持ちなので歩いてエベレストを見に行くことはないとガイドが言っていた

 

今日の遊覧飛行に乗る人達が続々とバスに戻る

ネパールの観光は全て天候次第

 

ホテルに帰る途中で自動車教習所を見る、ただの野原である、ガイドもここで教わったという

信号も何もない教習所である、現地の人はもしも信号があったとしても見方がわからないという

ガイドも日本に来た時赤信号で歩道を渡り始め注意されたという

 

 

ホテルに戻り、ゾッキョの背にくくられホテルで使用する荷物を容れるバックを返却する

 

もっと汚いバックだと思っていたがとても綺麗な頑丈な物だった

ちぇくアウトうをし、クマリの館観光に出かける

 

 

バスから降り道を歩いていると横断歩道の表示があった、歩行者も運転者もこの意味を知ってないのであろう

歩行者がいようと車が通過する

 

 

 電柱の配線、何が何やらわからない

 

埃だらけの道を歩く、前方の建物がクマリの館の建物

 

エベレスト街道の人達は日本人そっくりだったがカトマンドゥでは色々な民族の人がいる

ガイドによると60もの民族があるという、それぞれ言語が違っているという

 

外国人は入場料が必要

 

広場で雑多な物を売っていた、ひやかしたら面白いと思ったが素通りする

 

クマリが住んでいる建物入口

 

年に数回金色の窓から姿を見せる

 

子牛が歩いていた、ガイドブックによると牛が町中に歩いているとのことだったが余り見ることは無かった

 

鳩が異常に多い

 

歴代の王様の写真が展示されていた 

ネパールを統一した最初の王様

 

2001年王族殺害事件により殺害された王様

 

次期王様で2008年王制廃止となった最後の王様

 

色んな文字を刻んだ石版があった、漢字は無かった

 

菩提樹の傍で歌(お祈り?)を歌っているインド人(明日のお祭りに参加するため大勢来ていた)

 

昼食会場に移動する

車と車の間はバイクだらけ、私にはこの町で運転する度胸はない、但し一度も事故を目撃しなかった

 

歩いている人、バイクの人、車とゴチャゴチャである

 

戸隠で修業したというネパール人の店に行く

 

そば団子、そばの海苔巻初めて食べる料理だった、そばはお替り自由(私はそばは余り好きでないのでお替りしなかった)

 

ガイドはかけそばを食べていた、ネパールでは冷たい汁で食べる習慣はないのでたべないという、

また、参加者がそばを啜っているいるのを見て日本人は上手に食べると感心していた、ガイドは啜れないという 

 

 昼食後目玉寺院に行く

街頭床屋がいた

 

 

この階段を登る、ホテルエベレストビューではちょっと移動しただけで息が切れたがここでは平気で登れた

ここカトマンズは標高約1330m,気圧870mpaである

 

もう一つの階段とても急である(我々は楽な方を登ってきた)

 

目玉寺院

 

ゲームをやっている人がいた

 

池にコインを投げる人

 

仏様の足元にある壺に投げ入れていた(傍にコインを交換している人がいた)

 

この旅行の最後の観光場所ヒンドゥー教寺院パシュティナートに行く

ここでも外国人は金を払う

寺院の中には明日から行われるために集まったサドー(行者)が何百人もいた

サドーを写すと面倒になると添乗員に言われたのでサドーの写真は一枚も撮らなかった

サドーの傍で恍惚としてタバコのような物を吸っている欧米系の人を見かけた

おそらくハシシ(大麻)を吸っていたのだろう (お祭りの間寺院内では黙認されるらしい)

 

川のほとりでは火葬をしていた、今まさに点火しようとしている

インドでは撮影禁止だったがここでは良いと言われた

現在機械でする火葬場(日本ような火葬場?)を建設中であるとガイドが言っていた

この風景も数年(来年~?)で見られなくなるかも

 

 

帰りに白装束の人を見た、喪中の人は白い衣服を着るという、これから火葬場に行く途中なのだろう

 

ネパール最後の食事をするため豪華なホテルへ行く 

 

靴を脱いで

 

手に水をかけて貰い、座席につく

 

給仕の女性がロキシー(50度もある酒)を注いでくれた

あんなに高い所から注いで全くこぼれない(すごい技術だ)

 

ご飯を小さな皿に盛るように言われた、私はこれを食べようとしたがとても食べずらい、後でもう一度聞いたら

これは神様に捧げるもので食べる物ではないと言われた(どうりで食べずらい)

 

ガイドは手で食べた方がうまいと手で食べていた(私も真似てみた)

 

色んな民族衣装を着た女性が給仕に来た 

 

 

 

 

ガイドはある女性をさしてあの人は話ができないという、漏話者と思ったらそうではなくその人の言葉は理解できないという

ガイドはエベレスト街道の人とは話ができないという 

 

 ネパールの行事は全て終わり、帰国することになる

ガイドさんとは空港建物入口でお別れである

 

搭乗手続きをする

 

空港売店で紅茶を購入

昨日行ったスーパーでは同じような物が250RSであった、やはり空港では高い

スーパーではドルが使用できなかったがここではできるので購入

10個購入し19ドルであった

どういう計算をしたのだろうか(レートは1ドル=約100RSである)

 

カトマンドゥ、香港経由で成田まで行く航路である

カトマンドゥに来た時乗った飛行機が帰りはダッカによらず香港に行く飛行機である

 

カトマンドゥのラウンジで飛行機を待ち、香港で関空よりの参加者、添乗員とお別れする

香港でラウンジを探したが2か所で違うと断れ、ようやく訪ねながらラウンジに行くことが出来た

 

機内食

 

無事成田に着き、ホテルに行く

プールで泳いで、浴場に行きサウナに入り汗を流す

出発前に預けておいたPCを返してもらい、ブログ その1を投稿する

疲れているせいかなかなか書き上げることができなかった

翌日は渋滞もなく2時間半位で我が家に帰ることができた

 

 

後書き

夫婦以外の11名の参加者の皆様大変お世話になりました、皆様に仲良く付き合っていただき思い出深い旅行になりました

添乗員のTさん体力が持たずたどり着けないかもしれなかった最終目的地ホテルエベレストビューまで連れて行ってくれて

ありがとうございました

またこのブログを見る機会はないと思いますが現地スタッフのサーダー、ポーター、コックの計25名の皆様

快適な寝床と美味しい料理を提供していただきありがとうございました

私の荷物を運んでくれた16歳のポーターは急な坂、岩場、吊り橋では腕を取り、崖の場所では崖側を歩き危険回避をしてくれた

もしポーターになるならきっと良いポーターになるでしょう

 

カトマンドゥからルクラに飛んでいる時ヒマラヤの白い山々を見た時神々がいらっしゃると感じた

今までアンデス、ロッキー、ピレネーを見てきたがその中で最も雄大できれいな景色だった

 

富士山に2度行ったが2度とも頭痛に悩まされた

今回は高所順応が上手くいったのかダイアモックスが効いたのか全くかからなかった

それどころか高地にいる間躁鬱症の私がHIGHになり自分でも信じられない程しゃべくりまくりホラを吹きまくった

 

ホテルエベレストビューでは何度も寒いので注意するように言われたが全く寒さを感じなかった

暖房機がついた室内では私の時計で測ると約9℃であった

私の子供の頃の家は今より気温が低く、隙間だらけで外と変わらず室内の干した手ぬぐいがたちまち凍るような寒さだった

しかも寝具はせんべい布団、フカフカな布団でしかも湯たんぽも入っている、子供の時と比べると天国のようだった

 

今回持参して不要だった物

ネックウォーマー

厚手の手袋

使い捨てカイロ

小袋入りの醤油、ごま塩、フリカケ、スティックタイプのコーヒー

(今回は添乗員が持参してくれたりポーターが用意してくれた、用意してくれなければ有れば良いかも)

 

ホテルの従業員がガイドしてくれるクムジュン村ハイキングの時のこと

いつもは日本語で話しかけるガイドの人が英語で話しかけてきた、私は英語が全く理解できないが

「なにがしかのチップをもらえないか」と言っているようにとった

ポーターには1日300Rsそれに旅行社からも上積しているようだから半日だからガイド一人に200Rsが妥当な金額だろうと

メンバーに提案した、数人はすぐに賛成してくれた

中にはネパールの賃金と比較するとこれであは多すぎる50Rsで十分であるという人

どこで賃金を知ったのだろうか?

もう一人の人はガイドの人にいくら欲しいか聞いていた

聞かれていくらチップを欲しいという人はいない、当然ガイドの人は無視していた

私は聞くのは失礼だと言うとその人は「聞くのが当然」だと言っていた

この人は関西からの参加者である、関西のオバサンはこれが常識なのだろうか

バカを言うのもホドホドにして欲しい

結局一人に100Rs渡すことにして一人200Rs集めガイド一人に700Rsづつ渡した

これが妥当な金額なのだろうか、欧米人ならこのサービスに幾ら位渡すのだろうか?

 

 

 

 

 

 


エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その6

2014-03-04 21:24:59 | 登山

6日目

今日はホテルエベレストビューをあとにしてカトマンドゥに移動する

 

ホテル内にあった温度計

 

今日はエベレストは雲の中

 

最後の血中酸素濃度測定を行う

私の測定値は

パクディン    夕食後  98  (標高 2652m 気圧 744hpa) 

         朝食後  96

ナムチェバザール 夕食後  95  (標高 3440m 気圧 674hpa)

         朝食後  93

シャンボチェ   夕食後  82  (標高 3880m 気圧 643hpa)

   2日目   朝食後  97

         夕食後  92

   3日目   朝食後  96

      

   

 

朝食後ヘリコプターに乗る順番を決める

1番機はサーダーと4人、2番機は5人、3番機は添乗員と4人

1,2番機はヘリコプターでルクラまで行きそこから飛行機に搭乗

3番機は高山病に軽くかかった人を早くカトマンドゥに送るためヘリコプターでカトマンドゥまで直接飛ぶ

 

1番機が到着、旅程表ではシャンボチェ空港まで歩いて行きそこからの乗ることになっていたが

ホテルから100m位離れた場所から乗ることになった

 

 

離陸する、すごい土煙がたった

 

 

 

 

2番機が到着し我々も乗り込む

 

ルクラに到着、滑走路が見える

3日間かかって歩いた距離を僅か5分で到着

 

 

滑走路の脇に着陸した、道のように見えるのが滑走路

 

滑走路、先が見えない

 

我々の前に離陸した機、しばらく前は舗装してなかったという

 

待合室

 

今日は霞がかかりヒマラヤの山が良く見えない

 

カトマンドゥの空港に到着、先に着くはずだった3番機に乗ったメンバーはヘリコプターの速度が遅いためまだ着いていなかった

ここでお世話になったサーダー(グループリーダー)とお別れ、日本人と見分けのつかない顔をしていた

 

カトマンドゥのガイドと落ち合いホテルに向かう、土埃がひどいのでマスクをしている人が多かった

 

国会議事堂

 

 議事堂前の歩道で犬が寝ている、のどかなものである

 

バイクの乗っている人が異常に多い、後部に乗っている人はノーヘル、後ろの人の方が危険だと思うが

 

交差点、信号がついているが1か所も作動してなかった(バイクが多い)

ガソリンは1リッター160円だとガイドさんに教えて貰った(輸入品は日本以上に高い)

 

上から100Rs、200Rs、旧札

 

 

昼食後スーパーに行く

 

 入り口、商品は豊富である

 

レジ、バーコードが付いているにも関わらずいちいち手で入力していた

 

今日は空調の聞いた部屋で眠れる、6日ぶりに風呂に入った(天国天国)

 

前に泊まった時にベット脇のスタンドをどうやって点けるのか解らなかったが

 

引き出しを開けると現れた(こんな所にあるのは気が付かない)

 

夕食は他のホテルで食べる

添乗員とカトマンドゥのガイド

ガイドさんの主人はドイツ人でドイツで知り合ったそうです

日本語、英語、ドイツ語、民族の言葉、ネパール語を話すことができるそうです

 

2種類の餃子のような物を食べる

 

ナベ料理を食べる、ごはんの上にかけて食べる、うまかったので何回もお替りをした

食事中に停電があった、すぐに自家発電に代わり点灯した

停電が多いのでガイドさんは洗濯機は使わず手で洗濯しているそうです