テッシーさんブログ

旅行の思い出

パソコン教室お別れ会

2014-12-27 10:41:56 | 日記

パソコン教室の先生が語学留学で1年間オーストラリアに行くため退職するので生徒たちとお別れ会を行う

先生二人と生徒9人計11名で行う

 

お別れ会といってもクリスマス会、忘年会を兼ている

 

各自持参した料理でテーブルに乗せきれないほどの量である

先生がケーキ、オードブル、フルーツ等を持参してくれた

 

結局食べきれないでパックに詰めてお土産にして家に持ち帰った


南九州に行く 3日目

2014-12-09 11:31:40 | 旅行

3日目は長崎鼻、知覧、仙巌園を観光する

薩摩半島最南端の長崎鼻

 

 

 

開聞岳、海から立ち上がっているのが良く分かる

 

龍宮神社、平成24年に落成した神社

この神社の脇のお土産屋で配達料が無料ということと、ここしか売ってないという焼酎だということなので

焼酎を5本購入

 

 

お土産屋に寄り池田湖の大うなぎを見る、今回で3回目の見物となる

 

 

知覧に行く

特攻隊員の像、相対して隊員から「特攻の母」と慕われていた鳥濱トメさんの像(撮るのを忘れた)が建っている

今回の旅行はここに来るのが目的であった

 

知覧特攻平和会館に入場する

 

視聴覚室で語り部のお話があったのでお聞きした

薬を届ける為に2度出撃した話と婚約者に当てた遺書、我が子に当てた遺書、母に当てた遺書の紹介があった

聞いている人の殆どが目頭を押さえていた

 婚約者に当てた遺書  穴沢 利夫少尉 昭和20年4月12日戦死 23歳 

 我が子に当てた遺書  久野 正信中尉 昭和20年5月24日戦死 23歳(戦死後中佐)

 母に当てた遺書    花沢 信夫少尉 昭和20年5月 4日戦死 18歳

説明会の後戦史資料展示室で遺書を探した

我が子に当てた遺書はカタカナで書いてあるので容易に見つけられた

婚約者に当てた遺書は何度も探したが中々見つけられなかった、諦めかけた時やっと見つけることができた

見つけられないので諦めてその場を去って行った人もいた

我が子に当てた遺書は子供が字を読めるようになった時直ぐに読めるようにカタカナで書いてあった

(当時はカタカナを先に教えた)子供を深く愛していたと思う

 

母に当てた遺書は6歳(満4歳)から育ててもらった継母に当てた遺書で母として認められなかったのか(実母が忘れられないので?)

今まで育ててくれた感謝の言葉と一度もお母さんと呼べなかったお詫びが書いてあり最後に

 今こそ大声で呼ばして頂きます

 お母さん お母さん お母さんと

この文章は一番感動した

今でもこの文章を思い出すと涙が溢れる

遺書を見た継母の心象はどうだったのだろうか

一度も母と呼ばれなかった悔しさと最後に母と認めて貰った嬉しさが交差したのではないだろうか

母に対する遺書が多かった

婚約者への遺書は余り感動はしなかった

 

勇ましい文章の遺書もあったがこれには感動しなかった(検閲があるので本当の想いを書けなかったのだろう)

紹介された3通の遺書は鳥濱トメさんのような人達が軍隊に内緒に家族に送った手紙である

もっと多くの遺書を見たかったが見学時間が短かったの見ることができなかった

機会があればもう一度知覧を訪れてみたい、そして鳥濱トメさんの孫がやっている元食堂で現在旅館になっている宿に

泊まってみたい

修学旅行の生徒たちが大勢来ていた

入り口近くに修学旅行で来た生徒たちが作った千羽鶴が沢山吊るしてあった

生徒達は昔日本で戦争があったということを理解しているのだろうか

実は私も戦争というもは本当はどんなものだかは理解できない

ただアメリカに攻撃されたという被害者妄想しかない

日本も他国の人を大勢犠牲にしたことを忘れてはいけない

改めて世界中から戦争のない未来をお祈りした

 

隊員の宿舎(再現した建物)

 

内部

 

説明者の話では夜間見回りをしているとシクシク泣いている声が聞こえたという

 

映画の記念碑

 

出撃前夜(出撃直前?)になぜ笑顔でいられるのだろうか

 

 

駐車場から平和会館に行く通路に灯籠が沢山並んでいた

 

武家屋敷庭園見物をする

7か所の庭園を見物する

枯山水である

 

この1か所だけは池がある

 

石塀にも格式がある、手前の丸石の塀は分家筋、角石は本家筋

 

ある家の入口に猫が日向ぼっこをしていた

 

このツアー最後の観光、島津家の別邸仙巌園に行く

桜島が良く見える、こんな景色の中で篤姫が桜島に分かれを告げるシーンがあったような気がする

 

反射炉の模型

 

かって石垣の上に反射炉があった(左にあるのは複製した大砲)

 

市内にはこのような火山灰の集積所があるという

 

 

鶴灯籠、ガス灯を点けた日本のルーツだという

 

岩壁に彫刻がある

 

千尋巌、文字の大きさは上下で11m、3,900人の人夫が3か月で製作

 

望嶽楼

 

 

 

曲水の庭

 

 

竹林

 

 

篤姫の撮影で使用した石段

 

 

 

正門

 

天井に島津家の紋

 

 

 

 

錫門、かってはここが正門だった

 

 

仙巌園名物の両棒餅(じゃんぼもち)を食べる

 

  

鹿児島空港近くの焼酎工場に寄る、これで観光は全て終了

 

3日間案内してくれたバスガイドさん

知覧観光後特攻隊の案内をしていた時は涙ぐんで声を詰まらせていた。また空港に着く前のお別れの挨拶をしている時

参加者が感謝の言葉をかけた時も声をつまらせていた。こんなことは初めてですよとお詫びを言っていた

とても感じの良いガイドさんだった

 

鹿児島空港から羽田に飛ぶ

羽田が混んでいるので搭乗が20分ほど遅くなった

飛行時間1時間20分 機種はB767-300

午後12時前に自宅に無事帰宅

 


南九州に行く 2日目

2014-12-08 10:10:01 | 旅行

 2日目は霧島神宮、黒酢工場、桜島展望所、仙厳園を見物する

 

 バカに広い石段を登る

 

四方竹

 

 

 

太い神木があった

 

 

木の枝の先が神主に見える

 

 

 

 

黒酢工場の「黒酢本舗 桷志田(カクイダ)」を見物する

 

 

黒酢を試飲する

 

桜島展望所で桜島見物

とにかく大量の砂が降ってくる

 

物凄い煙である

 

車の上は砂だらけ

 

船で鹿児島市に渡る

 

バスも一緒に錦江湾を渡る

 

指宿に行く途中に世界一の原油備蓄基地があった

 

 

部屋から虹が見えた

 

夕食前に砂風呂に入る

ここで砂風呂用着替えを借りる

 

 

砂風呂用に着替え入り口より入る

 

ガラスのところにあるのはこの後砂を落とすために入る風呂用タオル

 

足の方に時計があり各自好きな時間砂風呂に入っていることができる、15分位が良い時間であると言われたが

私は20分入っていた(思っていたより熱くなかった)

 

夕食後焼酎の試飲をした、お猪口3杯で100円

 

 

二人で行けば6種類の焼酎を試すことができる


南九州に行く 1日目

2014-12-07 15:29:03 | 旅行

指宿、知覧に行くツアーがあったので参加する

学生時代に九州一周旅行はしたのだが知覧に行かなかったので以前から訪れたいと思っていたがやっと果たせた

一日目は青島神社、飫肥、鵜戸神宮を観光する

 

電車でも集合時間に間に合ったが車で行くことにする

午前5時に自宅を出発、三郷~葛西間は早朝にも関わらず渋滞で集合時間に間に合うかハラハラしたが1時間ほど余裕を持って

羽田に到着できた

宮崎まで飛ぶ。飛行時間は1時間42分であった、機種はB737-800であった(小さな飛行機だった)

最初の観光地は青島神社

風が強い

 

歩いている人が斜めになっているように見える

 

波も高い

 

 

 

結婚式をやっていた

如何なる理由か二人だけの結婚式である

 

 

式後記念撮影をしていた

 

お幸せに

 

次の観光は鵜戸神宮

駐車場から石段を登る

昔は左に見える鳥居を潜り山越えをして参拝したらしい

 

 

石段を登る

 

トンネルを潜る

 

今度は石段を下る

 

トンネルができる前までは山越えしてここに下りてきたという

現在の参拝でもけっこうきついが以前は参拝に苦労したに違いない

 

神社は岩谷の中にある

 

 

しゃがんで見ると二つのお乳が見える

 

 

 

お乳水を少し飲んでみた

 

 

 

亀石の穴に運玉を投げてみた、残念ながら入らなかった

入ればどんな願い事も叶うという

 

この運玉は小学生が作っているいるという

昔は金を投げていたが子供がそれを拾いに崖を降り危険なのでこれに変わったらしい

 

トンネルができるまではこの山道を登り山越えをした

 

 

 

次の観光地は飫肥

飫肥城入り口

 

 

 

城内に学校があり小学生が元気に挨拶してくれた

 

4本の杉の木の間に立つと幸せになるらしい

 

本丸跡

 

四半的(シハンマト、的まで四間半、矢の長さが四尺半、的の大きさが四寸半)を体験している観光客

 

今夜の宿泊は霧島