テッシーさんブログ

旅行の思い出

ミカンが大きくなった

2011-10-31 16:07:55 | 日記

ミカンの実が大きくなった

去年は2本の木で270個も収穫できたが、今年は6個しか実を付けてない

何も手入れをしていないのでそのせいか?

去年の実はメジロに与えてやったがヒヨドリが来てほとんど食べてしまった

家内が鳥インフルウェンザを恐れたので止めてしまった

 

 

 

 

 

こっちの木には一つも実がない

 


サンチャゴ巡礼路を歩く 追記 

2011-10-30 11:30:20 | 旅行

帰宅してから1週間位は時差ボケのためかボーとしていて記憶が定かでない

やっと普通状態になれた

 

ここでサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼旅行の感想を述べてみる

1.連日20Km近くの距離を歩いている途中で何で高い金を払いこんなツライハイキングをするのか?と何度も思った

  登山の時にも何度も思ったことがあるがしばらくするとまた山に行きたくなる。どういう心理なのだろう

2.個人では歩いている人に何人にも会ったが団体で巡礼している日本人のグループには一度も会わなかった

  また、中国人、韓国人と思われるような人にも一度も会わなかった

  なお、2005年の日本人の巡礼者は300人だという

3.スペインの人は親日である

  小テルへの帰り道を訪ねたらホテルの前まで送ってくれた

  何度も「ハポン?」と声をかけられた。スペイン語で話されるので何を言っているにかはチンプンカンプン

  アジア人の巡礼者は珍しいのか巡礼者から写真を撮られることが多かった

4.スペイン人はタバコ好きである

  街中を歩きながら吸っている、もちろんポイ捨てである

5.外人(スペインでは我々が外人であるが、ここでいう外人は日本人以外)はモラル(エチケット)が低い

  教会の中でフラッシュを使って写真を撮っている人が大部分であった

  (我々は添乗員から注意されていたのでやる人はいなかった)

  教会のイスの前の板の部分に土足で足をかけている人が見受けられた、ここはお祈りする時膝をつく場所である

  (添乗員から注意されていた)

  巡礼路の脇にチッシュペーパーが散らかっていた

  歩く人がいたら丸見えの場所にイッパイ散らかっていた(自然現象なので彼等は恥ずかしくないのか)

  日本では山で用足しをしたら紙は持ち帰るようにと山のガイドから受けたことがある

6.ゴソの丘(歓喜の丘、ここで初めて大聖堂を眺めることができる)に着いた時に涙を流さなかった

  ここに着くと巡礼者は歓喜の流すトガイドブックに書いてあるがそんなに感動しなかった

  ただ、もう一寸歩けば歩かなくても良いという喜びはあった

  800Kmも重い荷物を背負って来た巡礼者は感動することだろう

  

花と植物の写真を載せます 

 

 

 

タイサンボク

大きなキノコ 

 

ユウカリの森


サンチャゴ巡礼路を歩く その13 13日目

2011-10-29 09:41:21 | 旅行

楽しいそして辛い12日間があっという間に過ぎ、いよいよ帰国する日になった

今日は朝から出発する時間午後2時30分まで自由時間

グループのほとんどの人は12時から行なわれるミサを見物に行く

今日は大聖堂に香炉が吊るされている。つまり今日のミサでボタフメイロが行なわれるとを示す

毎日このボタフメイロが行なわれる訳ではなく、運良く見られることができた

バスにてポルトガル国境近くのビーゴ空港に向かいそこよりパリ経由で成田に向かう

 

 

部屋からみたホテルの鐘楼

 

 

中庭の噴水

 

中庭

観光客が記念撮影をしていた

 

栄光の門にある石柱

現在は囲いがしてあり触れないようなっている

 

長年巡礼者が右手で触って祈りを捧げてきたので磨り減っている(今は触ることができない)

 

上部にあるサンチャゴ像 

 

サンチャゴ像

伝説では戦いがあると現れ戦いを勝利に導いたという

 

サンチャゴ像 後ろから抱きつくことができる 私も前日抱きついた

 

ミサが始まる 女性修道士が賛美歌を歌っている

 

子供達がミサを見物していた

 

ボタフメイロ 天井に届きそうになるまで揺れていた

 

ボタフメイロの香炉 前日は博物館に飾ってあった(ある時にはボタフメイロは行なわれない) 

 

このロープを引いて香炉を揺する

 

香炉の上の滑車 左のロープに香炉 右のロープを引く

 

空港に行く途中で見た石碑 真偽はともかくイスラエルで処刑されたサンチャゴの遺体を乗せたた小船がこの地に着き

この地から牛車に乗せられ牛が止まった所に埋葬したという所がサンチャゴ大聖堂である

無人の船が海を渡って漂りつける筈が無い

 

 

小船のレリーフ

 

牛車のレリーフ

 

リアの風景 ここの名前からリアス式海岸という名前が生まれた

 

ビーゴ空港 これだけの小さな空港だった

ここから60人位しか乗れない小さな飛行機(ERJ 135/145)でパリまで飛んだ(約2時間)

成田到着は翌日の午後6時


サンチャゴ巡礼路を歩く その12 12日目

2011-10-28 18:03:01 | 旅行

今日は午前中はサンチャゴ・デ・コンポステーラ市内を徒歩で観光

午後は自由行動であるが添乗員の好意で大聖堂付属の博物館を案内してもらった

キリスト教関係に詳しい添乗員なので解り易い説明をうけた

夕食は市内のレストランに案内してもらった、夕食前にサン・ペラージョ修道院付属教会のミサに参加し、

女性修道士の歌うグレゴリス聖歌を聴く

スペインの夜は今晩が最後で明日は帰国の途につく

 

大聖堂脇にあるサン・ヘレニモ神学校を見物する

 

神学校の中庭にある銅像  何を深刻ぶっているのだろう

 

アメラダ公園から見た大聖堂

 

サン・ペラージョ修道院に修道女の作るクッキーを買いに行く

開いている窓は普段は閉まっていてブザーを押すと開いて注文を聞く

 

購入したケーキ

 

サン・ペラージョ修道院にある壁画 ローマ兵が幼児を皆殺しにしている。左側の女は子供を後ろ手で庇っている

 

ホテルに帰る途中で2日前に会った犬を連れている巡礼者に再会した

 

コンクリート製と間違えるような大道芸人

 

パグパイプを吹いている大道芸人

 

何の格好だか分らないがこの人は結構人気があり次から次と写真を撮る人がいた

 

大聖堂にかかる月


サンチャゴ巡礼路を歩く その11 11日目

2011-10-27 08:36:45 | 旅行

ペドロウソから巡礼路のゴールのサンチャゴ・デ・コンポステラまでの約19Kmを歩く

今日歩き切れれば明日からは歩きから解放される

本日の歩行数 36,962歩

 

今日は女性(12人)、男性 (5人)と別れて巡礼する 女性達が先行した

 

石柱の青いカタツムリのような模様は逆行する巡礼者のためのマーク

逆行は迷子になりやすく順行より何倍も時間がかかることだろう

 

SANTIAGOの石碑 ステッキ、瓢箪、ホタテ貝が彫られている

 

SANTYAGOの石碑近くにあるラバコージャ空港の脇を通過する

左側の壁の上が滑走路、前方は表示灯

 

ゴソの丘(歓喜の丘)の入り口

 

ヨハネ・パウロ2世の来訪記念モニュメント

 

 

 

モニュメントの脇にある木 グループのある人には思い出に残る木となるだろう

 

巡礼者像 ここで初めてサンチャゴ・デ・コンポステラ大聖堂を見ることができる

800Kmを歩いて来た巡礼者はここに辿りつけると涙を流すという

私のような偽巡礼者には特に感激することは無かった

ただもうすぐ歩きから解放されるという喜びのほうが多かった

 

遠くのほうに大聖堂が見える

丘を降りると大聖堂は真近に近づくまで見ることができない

 

巡礼路最大の巡礼宿がある。1棟100名くらい収容できる宿舎が何十棟も並んでいた

 

ゴソの丘にあるで学食のようなセルフサービスのレストランで昼食を食べる

 

 

レストランの脇にある石碑 サンチャゴまで4Kmと表示してある

 

 

 大聖堂に到着

 

巡礼事務所に行き、完歩証明書を貰う

入り口の上の表示は5番デスクに来なさいという案内

完歩証明書を貰うまで随分な時間がかかった

 

 

 

完歩 証明書を貰うにはクレデンシャル(巡礼手帳)とパスポートを提示しなければならない

 

 

 

巡礼事務所からホテルへ行く途中で巡礼事務所に向かう3日前に会ったドイツ人の団体の人達とすれちがった

皆で無事にゴールに到着できたことをハイタッチで祝福しあった

自転車の巡礼者も大勢いた

 

今夜の宿舎 5つ星のパラドールホテル

玄関の上の部屋は王室が利用するという、料金はウン百万円だという(金を出せば泊れるというわけではないらしい)

 
 

ホテル食堂 以前はワイン倉庫