スリランカ旅行 6日目
香港に現地時間 8:33分に到着
ここからとんでもない出来事が待っていた
乗継口に急ぐ、と荷物検査の係員が家内では通過できないと告げられた
後で気が付いたことであるが家内の渡された航空券はコロンボ~香港間が2枚で香港~成田は入ってなかった
さてこれからどう処理すれば良いか分らない
乗継口の手前に乗継〇〇というデスクがあったのを思い出す
デスクに行ってみる、とここは航空会社が違うと断られる、ようよう航空会社のデスクに辿りつき
日本語は話せるかと聞くとダメだという
英語は全くダメなのでどう要求したら良いか分らない
eチケットと航空券を見せたならわかってくれたらしく航空券を発行してくれた
この件で教訓が身に着いた、チェックカウンターで渡された航空券は信用せずに必ずチェックすること、
eチケットは旅行が終わるまで大事にすること
ようやく時間までには間に合い成田行きに搭乗することができた
上は私の航空券、下は家内の、下の券には香港で発行したのでゲート番号が記入してある
機種は777-300
香港 → 成田
13:10 16:32
(現地時間12:10)
飛行時間 3:21
離陸予定時間が10時15分で離陸が12時10分
飛行機のコンピューターの不良修理でこんなに離陸が遅れた
機内で日本人の乗務員に搭乗券の苦情を伝えた、成田に着いた所に航空会社の人がいるのでその人に言ってくれと言われた
成田に着いたがそんな人は見当たらず入国してしまった
現在成田は入国手続きは無人である
何か物足りない、ハンコも押さないので思い出の為に押してくれる窓口に行って押してもらう
預けた荷物を受け取り、ケースに不具合があったのでターンテーブルの近くでそれらしき手続きをしている人がいたので
前に二人いたが待って手続きをする、これは証明書みたいなもので、自宅に帰ってから保険会社に電話し要求した
慣れないことなのでこれに随分時間が掛かった
成田のホテルに一泊し翌日帰宅した、ホテルでは有料の温泉があるのでそれに入り疲れを癒した
感想その他
スリランカとインドは同じような國だと思っていたが大分違う
乞食がいない
綺麗である
人々が幸せそうである
ノラ牛がいない、従って糞が落ちていない
学校は無料だそうです、制服も年2回支給される。医療費も無料。これで良く財政がもつものだ
最近のニュースで港を中国に取られたということがあった、中国に依存していることが多いらしい、中国に至る所
乗っ取られなければ良いが
今回の旅行ではいろいろハプニングがおきた
旅行に行く前日、前泊の為出発予定の1時間ほど前に家内が角に頭をぶつけた。日曜日なので見て貰えそうな病院に電話し、
担当の医者(脳外科)はいないが見て貰えることになった。病院でホチキスで何か所かを傷を閉じて貰った
これがケチの始め
成田のジャンクションで曲がり損ね次のインターチェンジまで行き、戻りなおした
何回も通った場所なのにどうしたことやら
大したことではないが成田から出発の朝、空港への送りバスが満員で次のバスに回された
早く着いたので旅行社の窓口はまだ開いてなかったので遅れて正解だった
香港空港で前に利用したことがあるラウンジの場所を忘れ、何人もの人に尋ねてやっとたどり着けた
コロンボ空港に着いた時、迎えの人を探したが何十人も迎えの人がいたので探せ無かった
ガイドの人が何で判ったのか向うから声をかけてきてくれた
ツアー参加者は二人だけだという、前にもそういうことがあったが、店に連れてもらった時、ずっと店の人が離れず
相手をしてくるので何か買わなければならないようなことになるので、とてもイヤである
ペラヘラ祭見物の時、今まで晴天だったのにパレードが始まった途端豪雨になった、一時このまま中止になるかと思われた
ガイドはホテルに帰ろうとまで言った。この祭を見んがために来たのに見られないのは残念である
だが、しばらく待っていると小降りになりパレードが再開された
キャンディのホテルでフロント、またはレストランから部屋に帰る時何度も道に迷った、
もう一度やっても再度間違うことだろう
帰りの香港での乗り継ぎの時航空券が違うと家内が通過を拒否された
香港までの航空券が2枚あり、成田までの航空券は入って無かった
思いがけないことで、私だけ帰り家内は取り残され生き別れになるかと思った
航空券を貰ったら確認することと、eチケットは最後の飛行機に乗る前までは必ず保管しておくということを肝にめいじた
eチケットがこんなに大事な物であることを初めて知った
この件につき今現在どこからも詫びの連絡がない、こんなことは日常茶飯事のことだからなのか
帰りの香港発の飛行機がコンピュウターの不良とかで長時間機内で待たされた
スーツケースのハンドルが動かなくなったので成田で手続きをしたが前に二人いてかなりの時間待たされた
家に帰って保険会社に連絡したが保険は入る時は簡単だが請求する時はとても面倒である
最後にスリランカと日本の関係について記します
今回旅行に行くことになって初めて知ったことですが
敗戦時、日本はアメリカ、イギリス、ソ連、中国によって「日本分割占領案」により日本は4地域に分割される
予定でした。
1951年「サンフランシスコ講和会議」の席上、当時のスリランカ大統領「ジャヤワルダ氏」が演説し分割案に反対しました
この演説により日本は分割されずに済みました。この演説が無かったなら今日の日本はなかったかもしれません
学校の歴史の時間にも教えないし、誰も話さない。この事を日本人は心に留め置く必要がある