テッシーさんブログ

旅行の思い出

スリランカ旅行 6日目、翌日

2019-03-10 10:10:35 | 旅行

スリランカ旅行 6日目

香港に現地時間 8:33分に到着

ここからとんでもない出来事が待っていた

乗継口に急ぐ、と荷物検査の係員が家内では通過できないと告げられた

後で気が付いたことであるが家内の渡された航空券はコロンボ~香港間が2枚で香港~成田は入ってなかった

さてこれからどう処理すれば良いか分らない

乗継口の手前に乗継〇〇というデスクがあったのを思い出す

デスクに行ってみる、とここは航空会社が違うと断られる、ようよう航空会社のデスクに辿りつき

日本語は話せるかと聞くとダメだという

英語は全くダメなのでどう要求したら良いか分らない

eチケットと航空券を見せたならわかってくれたらしく航空券を発行してくれた

この件で教訓が身に着いた、チェックカウンターで渡された航空券は信用せずに必ずチェックすること、

eチケットは旅行が終わるまで大事にすること

 

ようやく時間までには間に合い成田行きに搭乗することができた

 

上は私の航空券、下は家内の、下の券には香港で発行したのでゲート番号が記入してある

 

機種は777-300

香港    →     成田

13:10      16:32

(現地時間12:10)

飛行時間 3:21

 

離陸予定時間が10時15分で離陸が12時10分

飛行機のコンピューターの不良修理でこんなに離陸が遅れた

 

 

機内で日本人の乗務員に搭乗券の苦情を伝えた、成田に着いた所に航空会社の人がいるのでその人に言ってくれと言われた

成田に着いたがそんな人は見当たらず入国してしまった

現在成田は入国手続きは無人である

何か物足りない、ハンコも押さないので思い出の為に押してくれる窓口に行って押してもらう

 

預けた荷物を受け取り、ケースに不具合があったのでターンテーブルの近くでそれらしき手続きをしている人がいたので

前に二人いたが待って手続きをする、これは証明書みたいなもので、自宅に帰ってから保険会社に電話し要求した

慣れないことなのでこれに随分時間が掛かった

 

成田のホテルに一泊し翌日帰宅した、ホテルでは有料の温泉があるのでそれに入り疲れを癒した

 

感想その他

スリランカとインドは同じような國だと思っていたが大分違う

 乞食がいない

 綺麗である

 人々が幸せそうである

 ノラ牛がいない、従って糞が落ちていない

学校は無料だそうです、制服も年2回支給される。医療費も無料。これで良く財政がもつものだ

最近のニュースで港を中国に取られたということがあった、中国に依存していることが多いらしい、中国に至る所

乗っ取られなければ良いが

 

今回の旅行ではいろいろハプニングがおきた

 旅行に行く前日、前泊の為出発予定の1時間ほど前に家内が角に頭をぶつけた。日曜日なので見て貰えそうな病院に電話し、

 担当の医者(脳外科)はいないが見て貰えることになった。病院でホチキスで何か所かを傷を閉じて貰った

 これがケチの始め

 

 成田のジャンクションで曲がり損ね次のインターチェンジまで行き、戻りなおした

 何回も通った場所なのにどうしたことやら

 

 大したことではないが成田から出発の朝、空港への送りバスが満員で次のバスに回された

 早く着いたので旅行社の窓口はまだ開いてなかったので遅れて正解だった

 

 香港空港で前に利用したことがあるラウンジの場所を忘れ、何人もの人に尋ねてやっとたどり着けた

 

 コロンボ空港に着いた時、迎えの人を探したが何十人も迎えの人がいたので探せ無かった

 ガイドの人が何で判ったのか向うから声をかけてきてくれた

 

 ツアー参加者は二人だけだという、前にもそういうことがあったが、店に連れてもらった時、ずっと店の人が離れず

 相手をしてくるので何か買わなければならないようなことになるので、とてもイヤである

 

 ペラヘラ祭見物の時、今まで晴天だったのにパレードが始まった途端豪雨になった、一時このまま中止になるかと思われた

 ガイドはホテルに帰ろうとまで言った。この祭を見んがために来たのに見られないのは残念である

 だが、しばらく待っていると小降りになりパレードが再開された

 

 

 キャンディのホテルでフロント、またはレストランから部屋に帰る時何度も道に迷った、

 もう一度やっても再度間違うことだろう

 

 帰りの香港での乗り継ぎの時航空券が違うと家内が通過を拒否された

 香港までの航空券が2枚あり、成田までの航空券は入って無かった

 思いがけないことで、私だけ帰り家内は取り残され生き別れになるかと思った

 航空券を貰ったら確認することと、eチケットは最後の飛行機に乗る前までは必ず保管しておくということを肝にめいじた

 eチケットがこんなに大事な物であることを初めて知った

 この件につき今現在どこからも詫びの連絡がない、こんなことは日常茶飯事のことだからなのか

 

 帰りの香港発の飛行機がコンピュウターの不良とかで長時間機内で待たされた

 

 スーツケースのハンドルが動かなくなったので成田で手続きをしたが前に二人いてかなりの時間待たされた

 家に帰って保険会社に連絡したが保険は入る時は簡単だが請求する時はとても面倒である

 

 

 

 

 

 最後にスリランカと日本の関係について記します

 今回旅行に行くことになって初めて知ったことですが

 敗戦時、日本はアメリカ、イギリス、ソ連、中国によって「日本分割占領案」により日本は4地域に分割される

 予定でした。

 1951年「サンフランシスコ講和会議」の席上、当時のスリランカ大統領「ジャヤワルダ氏」が演説し分割案に反対しました

 この演説により日本は分割されずに済みました。この演説が無かったなら今日の日本はなかったかもしれません

 学校の歴史の時間にも教えないし、誰も話さない。この事を日本人は心に留め置く必要がある

 

 

 


スリランカ旅行 5日目

2019-03-09 14:47:02 | 旅行

スリランカ旅行 5日目

 

 

今日は観光の最後の日である

今日の予定は仏歯寺と像の孤児院を見物する

 

ホテルの窓から見た道路、既に仏歯寺に向かうバスの行列が始まっている

 

駐車場から寺に向かう道には多くの花やが並んでいた。

 

ガイドが花を買う

 

 

 

 

記念撮影を行っていた。二人が違う方向を向いている、こんなで良いのか?

 

馬に乗ったお巡りさんがいた

 

入り口では身体検査と荷物検査がある

 

 

4世紀にインドのオリッサ州カリンガの王子が頭髪の中に隠して仏歯をセイロンに持ち込んだという

なぜかくして持ち込んだのだろうか私には理解できない。貴重な物で国外持ち出し禁止品だったのだろうか?

だとしたら犯罪者ではないか

 

靴を預ける

 

この中に仏歯がある

 

この中に納められている

 

 

若い人も熱心に拝んでいる

 

 

沙羅双樹の花、開くと仏座が現れる

 

1日に何回か仏歯を納めている堂に扉が開くという、その時を待つ人達あ大勢待っていた

 

日本語での教訓が書いてあった

上段はスリランカの公用語、シンハラ語とタミル語、どっちがどっちかはわからない

学校では両方の文字を教えるそうである。その他に英語を学ばなければならないので子供は大変だ

 

 

 

次から次へと人がやってくる

 

日本が寄贈した鐘

 

日本では蝋燭だがスリランカではココナッツ油に火をともす

 

 

 

 

宝石店に行く

 

 

9個の宝石が埋め込められているブローチ

二人」だけのツアーはショッピングはつらい

 

コロンボに移動、途中で紅茶工場に立ち寄る

 

 

 

 

 

ここでお土産用の紅茶を買う

 

シギリヤロックによく似た山が見えた 

 

象の孤児院を見物

 

象の糞で作る紙の売店に寄る

 

 

 

 

 

 

川の傍のレストランで昼食をする

 

 

 

レストランから象の水浴びが見える

 

トイレ休憩でカシューナツ売店に寄る

 

三輪タクシー、裸足で運転している

 

バイクが多い

 

運転している人は男性だけだった、唯一見た女性が運転する車

 

リーフが走っていた、給電する場所があるのだろうか?

 

まコロンボに到着後またまた買い物に寄る、このツアーは買い物に何度も寄るツアーである

 

綺麗な店だった

 

駐車場にリーフが停まっていた

 

販売店のシールが貼ったままである

 

空港ですると大変なので駐車場で荷物整理をする

 

夕食は中華料理店(日本料理店?)

 

 

 

 

 

 

皿にめいめい盛り付けて混ぜて食べるのがスリランカ流らしい

 

チャーハンが美味かった

 

コロンボ空港に到着

これまで旅は順調にきたがここからが苦悩の開始となる

チェックインまで付き合ってくれるものと思っていたらガイドの人とは空港入り口でお別れになる、別れのあいさつもし損なった

これまで行ったツアーでは航空券は添乗員が用意してくれたり、添乗員がいない場合は現地係員が用意してくたが

今回は自分でしなければならない

先ずはチェックインする航空会社の窓口を探さなければならない、それらしき窓口があったが何も受付業務をしてない

後から気が付いたが窓口は年がら年中やっていなく、時間がくると始めるものらしい

知っていれば近くに今チェックイン始めているという表示がでているらしい

やっと航空券を手に入れ、出国手続きを終えラウンジで待機する

 

 

 

無事香港行の飛行機に乗り込めた

 

機種はA330-300である

コロンボ    ⇒    香港

 4:50       9:33

(現地時間 1:20)(現地時間 8:30)

飛行時間 4時間43分

 

 

 


スリランカ旅行 4日目

2019-03-05 17:47:51 | 旅行

スリランカ旅行 4日目

 

今日はこの旅行のメインになるシギリヤロックにいよいよ登る日である

垂直に切り立った岩山の上に弟の復讐を恐れこの岩山の上に城を築いたという

 

 

 

 

岩肌に描かれたシーギリヤ・レディを見るのが楽しみである

 

ホテルはロッジ風の部屋であった 

南国風のオープンなフロント

 

 

フロントの後ろにある絵

 

泊まった部屋

 

同じような建物がいくつもある

 

 

案内表示がところどころにある

フロントではWifiができるということなので昨夜Wifiしをにフロントに出かけた

帰りに道に迷ってしまった、悪いことに部屋番号もあやふや、たしか208だったはず、208を探したが中々見つからない

従業員が通りかかり、218でこの部屋だという、何でわかったのだろうか?

朝食の帰りにも迷った、その他にも1回迷い。計3回フロントに行く度に道に迷った。もう一度行けばまた迷ったに違いない

Wifiは夜やった時は通信できたが朝になったらできなかった

前に止まったホテルは接続はできたが通信はできなかった。通信容量が少ない、又は通信速度が遅い為だと思う

 

 

開放的なレストラン

 

ホテル出発は混雑を避ける為7時30分である

 

水路があった、降雨氣には噴水になるという

 

シギリヤロックの外堀、ワニが放たれとていたという、今もいるのかな

 

シギリヤロックの入口

 

随分入場料が高い、日本も富士山登山料をこれ位貰ったら外貨が稼げるのに

 

像岩

 

岩肌に絵が残っている

 

あの岩の上まで頑張ろう

 

いよいよ登りの開始である

 

急な階段を登る

 

ミラー・ウォール

 

 

今でもかなり反射している

かって反対側には美女たちのフレスコ画があり映る仕掛けになっていたという

 

かってはこの岩肌一面にフレスコ画が描かれていた 

 

猿がお迎え、ここの猿はとてもおとなしい 

 

ライオンの入口に到着、頂上はもうすぐだ

 

最も高いと思われる場所で記念撮影

 

サポータの人達と記念撮影、荷物を持ってくれ、手を引いて頂上まで連れてきてくれた

KAPUさんとDUMINDAさん

彼らは片言の日本語もしゃべれるし、英語も、朝鮮語も、大したものだ

 

頂上

 

沐浴場、何でこんなに水が豊富なのだろう

 

頂上からライオンの足広場を見る

 

王座

 

帰りに見ると混雑している

 

 

 

 

この上に美女のフレスコ画がある。右が登り、左が下り、渋滞になっている  

シギリヤ・レディは写真撮影禁止、もし撮影が見つかると面倒なことになる

 

大きなリスがいた、全く人を怖がらない

 

首に蛇を巻いた観光客 

 

コブラの岩、そう言われればそう見えないこともない

 

次は黄金寺院タンブッラに行く

ガイドが入場料を払いに行く 

 

 

 花を購入

 

世界遺産の標識

 

 

 

到着、今日はこれで2回目の登山になる、ペラヘラ祭を見ない行程ではシギリヤに2泊して2日に渡ってやる行程を1日でやる

きつい行程である

 

 

寺で履く靴下を持ってくるのを忘れたためこの寺は素足で観光することになる、この寺は泥道がなかったので苦にならなかった

 

 

 

 

 

天井に水の流れる跡がある

 

その水がここに落ち

 

この壺に溜まる、聖水である

 

 

坊さんに手首に呪いの糸を巻いて貰う

 

スパイスガーデンに寄る

バニラ、初めて見た

 

赤いパイナップルの花、食用ではないそうだ

 

 

シルク店にも寄る

 

二人だけのツアーは店に寄るととても困る

 

市場にも寄る

良そうしていたより、とても綺麗な市場だった

 

 

 

 

宝くじ屋、ガイドが購入していた

 

駐車場には三輪車がいっぱい

 

今夜の宿はキャンディである

 

 

 

 ベッドが2か所あり

 

 

 

テレビも2台あり、1度も点けなかったので無駄である

 

 バスタブもある

広さは今まで泊まった部屋の4倍はある

今までのホテルと違ってWifiも自由に使えた

 

屋上に行ってみた

 

ドローンで遊んでいた人がいた

 

プールがあった、水着を持ってこなかったのが残念である

 

街並み、道は空いている

 

 


スリランカ旅行 3日目

2019-03-03 20:18:43 | 旅行

スリランカ旅行 3日目 

 

朝食をガイドと一緒に食べる

 

やはりバイキングである

 

ガイドにサゴという食べ物を教えてもらう、サゴヤシのでんぷんでできている

これが淡泊で美味い、他の場所で出てくる度に食べた

 

おかゆのような物だった

 

 

ホテルの窓から見た通り、コロンボ中心部に向かう車でズート渋滞をおこしている

 

210km離れたアスラーダブラへ移動する

OSAKAという販売店があった、大阪に住んでいたことある人が経営者だという

 

三輪タクシーがやたらに多い、運転手の足元をみると裸足である、これがじゃまをして通行をスムーズにしてない原因のひとつだと思う

けれどこれが庶民の足だから無くなることはないだろう

 

小魚を干している

 

トヨタレンタリースと書いたままの車が走っていた

 

大塔が見えてきた、目的地もうすぐだ

 

観光の前に昼食を摂る

 

ここもバイキングである

 

 

インド人の団体が一緒だった

 

いつも裸足で生活しているのがろうか?大勢裸足の人がいた

 

席に帰らず食事を盛ったらその場で食べている人が大勢いた

 

歩きながら食べている人も大勢いた

 

ここの場所では手で皿に掻きいれている人、自分で使用しているフォークで掻きいれている人もいた

そのせいかだいぶ汚れている

 

イスルムニヤ精舎を観光

入り口

 

寺に入るには靴を脱がなければならない、預ける度に20チップを渡さなければならない

 

泥の上を靴無しで歩く。もっと熱い時期だったら大変なことになる

   

岩肌に描かれた象

 

 

ガイドブックには涅槃像と書いてあったがガイドの説明では寝ている姿だという

 

 

顔の傍に置かれた造花

 

親指が揃っているのは涅槃物だが揃っていないので寝姿だという

 

宝物殿に入る

 

恋人の像 

 

 

スリー・マハー菩提樹に行く

インドのアショーカ王の王女サンガミッタがブッタガヤの菩提樹をここに運びデーア¥ワーナンビヤ・テイッサ王に

手渡している像 

 

すれ違った人達、裸足になって歩いていた

 

 

入り口前で花を売っている、ガイドが購入する

 

菩提樹入り口

 

更に入り口、なぜか男女別である、以前は身体検査をしていたのだろうか?

 

像などの野生動物から守る為厳重に守られている

 

入り口で買ってきたハスの花を捧げている

 

熱心に拝む人達

 

この階段は登れない、供物はここで係の人に手渡す

 

横に伸びているのが菩提樹である、2000年以上良く枯れなかったものだ

 

菩提樹の葉を折ると仏塔のように見えるとガイドが教えてくれた

 

ルワンウィリ・サーヤ大塔を観光する 

遠くから見ただけである

 

日本人の協力により建てられた仏教徒博物館

 

 

帰りにトイレに寄る

使用料20ルピーを払う、日本ならどこでも無料なのに

 

駐車場で見た光景、大きな猿と小さな猿が鉢合わせになりそうになった時小さな猿は下に降り道を譲った

 

今夜の宿はシギリヤである

ホテルに向かう途中シギリヤロックが見えてきた

 

 

ダブルベッドでシャアーも仕切りがないので部屋を替えて貰いたいといったが満員で応じられないと言

われた


スリランカ旅行 2日目

2019-03-01 23:07:48 | 旅行

スリランカ旅行 2日目

 

 

今日から観光が始まる

今日のメインは夜に行われるペラヘラ祭である。昨日、今日と2日間だけコロンボで行われる象の行進が見られるお祭りである

この祭を見る為にスリランカに来たと言ってもおかしくない

昨夜遅くホテルに着いたので遅い時間に朝食を食べ、コロンボ市内の観光をする。昼食を食べた後一旦ホテルに戻り休憩し

祭り会場に出かける予定である

 

ちょっと遅めの朝食を食べる

バイキングである。スリランカにいる間中毎食バイキングだった

 

以前インドに行った時は毎食料理名は変わっても毎食カレーだった。スリランカでは豊富なメニューがある

 

ガイドの人と3人で食べる、ガイドの人には毎食のようにスリランカの料理紹介と食べ方を教わった

 

後々車の中で聞いた話によると

ガイドはダハナーヤカという人で船橋市に大学の時いたそうで友達にテレビプロジューサーがいて世界不思議発見の

コーディネーターをしているそうです。奥さんは大学でアーユルヴェーダ(医療)のドクターをやっているそうです

 

庭にリスがいた

 

 

ロビーで親族一同で記念写真を撮っていた

 

プールでオバサン達が泳いでいた。2月で気温は30度を超えている

我々も水着を持って来れば良かった

 

市内観光に出かける 

手前人は凧を売っている

 

若者達が波打ち際で遊んでいた。遊泳禁止となっている

 

生徒達の一団

 

 

4人が乗った車、ホンダのフィットである

 

4人で乗り、4人分の荷物を積むと窮屈だった

もう少し大きな車を提供して貰いたかった

 

ナビゲーター、日本仕様で全く機能してなかった 

 

 昼食後今夜のホテルにチェックインして休憩後ペラヘラ祭会場に行く

我々の席を確保している

ビニールシートがかかっていたのを持ち上げ席指定

このビニールシートが後で大変役にたった

 

我々の他に後から他のグループの3人のツアー客が来た

 

早く着席したので道路反対側の座席はガラガラである、始まる頃には満席になった

 

お巡りさん、日本でこんな景色は見られない

 

物売りの人、この人達も始まる前には排除されていた

 

席の後ろにあるトイレ、入ろうとしたら錠がかかっていた、祭が始まるころには開いたらしい

 

パレードに参加する象

 

 

ベトナムから来た団体

 

他のグループの人と同じ弁当を食べる。これが夕飯である

 

待っている間に空模様がおかしくなる、あちこちで稲妻がひかり始めた

そうこうしているうちに雨が降り始めた

 

ここでイスにに掛けていたビニールシートが活躍することになる

皆でシートを持ち上げ雨宿りをする

前の席の人達雨宿りである

 

数グループの踊り手が通過したところで豪雨となる

踊り手は退去し始めた

ガイドの人はホテルに帰ろうと言い出し始めた

この祭を見る為に来たのに見られなければ高い金をかけてきたのが無駄になる

帰るにも雨は降らないだろうと予測していたので(根拠はないが、ホテルを出る時はそんな模様ではなかった)傘を

持参していなかった

濡れ鼠で帰るのを覚悟した

様子をみることになった

しばらくすると小降りになり再開することになった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

象の行進は3,4十頭だったのだろうか、キャンディで行われるペラヘラ祭では100頭以上行進するという

(東洋最大の祭だといわれている)

 

パレードはこの後も長々続くけれど象のパレードが終わったのでホテルに戻ることになる(最後までいると道が渋滞するから)