テッシーさんブログ

旅行の思い出

エベレスト街道を歩いてホテルエベレストビューに泊まる その1

2014-02-27 21:18:11 | 登山

いつか見てみたと思っていたエベレストを見ることができた

 

ツアー参加者(元気な年寄達である)

 

ポーターの人達(日本人と区別がつかないくらい日本人にんている)

この他にコック6名、ゾッキョ4頭、それについて歩く人1名、ポ¥ター1名

計25名である

参加者、添乗員を含めると39名のパーティである

 

参加者とポーターとの記念撮影

 

 

出発は前日は雪が降るとの予想があったので安全のため前日成田に前泊する

実際には全く降らなかったが集合時間が早いので前泊したのが正解であった

 

1日目

成田より香港、ダッカ乗り継ぎでカトマンズに移動する

今回のツアー参加者は13名で成田より6名、関空より7名である

添乗員は関空より同行し成田からの参加者は香港の搭乗口で落ち合うことになっていた

ところが搭乗ゲート番号がまだ未定であった

一旦解散し決定したら待ち合わせ場所に集合しゲートに移動することにした

ところが1名の人がゲートが決定してもなかなか姿を現さない

そこで2名の人に添乗員にあいにいっていただいた

ゲートに行く途中でその人を見つけ全員で添乗員と落ち合うことができた

 

深夜カトマンンズのホテルに到着しその晩はロッジ、ホテルで使用するもの7、ハイキングで使用する物

カトマンズに帰ってから使用する物の仕分け及びパッキングでほとんど寝る時間がなかった

エベレスト街道を歩いている間は風呂に入れないので最後の機会であったが眠くて入れなかった

 

 

 

 

 

 

 


また大雪が降る

2014-02-17 10:03:12 | 日記

2月14日(金)夜から降り始め記録的な大雪が降る

先日の雪も当地に来てからの初めての大雪だったが今回の雪は想定外の大雪だった

熊谷で60cm、秩父で100cmだったので当地は80cm位の積雪になったのだろうか

 

2月15日(土)朝の車庫前の道もご覧の通り全く車は通行不能

 

 

駐車場の車も雪に埋もれている

 

我が家のミカンの木が倒れてしまった

 

 

庭はまるで雪国

 

 

 

玄関までの通路を確保する

 

4日目の2月17日(月)になっても至る所で交通は混乱している

関東は雪に対して全く無防備である

 

自宅近くの秩父鉄道の踏切

 

 

何時運転再開になるかは未定である

 

八高線の線路、電車の通った跡があるが運転再開は未定

寄居駅には東上線、八高線、秩父線が通っているがその全てが停止している

 

近所の家のカーポートが何軒も潰れていた

 

 

仮の柱で支えている


我が家に来る野鳥

2014-02-10 14:06:35 | 日記

当地に来てから30数年経つが初めての大雪になった

20cmも積もっただろうか

 

庭に餌を置いておくと野鳥がやってくる 

 

 雪が積もっているので次から次へとメジロがやってくる

 

大雪なので数分ケ後には雪の量が増えている (前の写真と比較してください)

 

 

上にあるミカンはヒヨドリが来るとあっという間に無くなってしまう

下にメジロ用に針金で吊るしている

 

 

皿の中にはヒマワリの種が入っている


神々の山嶺を読む

2014-02-09 19:53:49 | 日記

図書館より夢枕獏の書いた「神々の山嶺(いただき)」を借りて読んだ

 

 

 

物語は山岳写真家の主人公がカトマンドゥの登山用品を売っている店でレンズの壊れているカメラ

(BEST POCKET AUTOGLAPHIC KODAK SPECIAL)を見つけ購入したことから始まる

主人公はこのカメラはマロリーが遭難した時に持っていたいたカメラではないかと推理する

マロリーは1924年6月8日にエベレスト頂上直下で遭難したとされオデールが最後の姿を確認した

このカメラは盗まれた物で元の持ち主が現れ物語は展開する

元の持ち主はネパールでシェルパをやりながらエベレストの冬季無酸素登頂を目指している不法滞在している

羽生という日本人である

羽生は頂上直下でこれを発見したという

もしフィルムが残っていて頂上の景色が写っていたならばマロリーが最初の登頂者ということになる

なぜ羽生は公表できないかというと不法滞在であることとエベレスト登頂には1万ドルの入山料を

支払わなければならないのに無許可で入山しているためである

フィルムはどうなっていたかは読んで貰いたい

 

この物語にはモデルがいる

羽生は森田勝という人で

谷川岳滝沢第三スラブを岩沢英太郎と初登攀に成功した人である

金型工の良い腕を持っているにも関わらず学歴がないことと山への情熱が大きすぎた過ぎて

仕事より山を優先したため一か所に長く勤められず貧乏生活を送った人である

日本山岳協会によるK2登山隊に参加するが第1次登頂メンバーに選ばれなかったので

造反し下山してしまう、隊長は第2次メンバーで確実に成功させようと考えていたらしい

空気の読めない人のようである(実際に1次隊は失敗している)

1987年アルプス3大北壁の一つのグランド・ジョラスの冬季単独登頂に挑戦しフックが外れ50メートル

落下。左足骨折、胸部打撲、左手も動かない。宙づりのまま夜を明かし、翌日右手、右足だけで決死の登攀を行い

6時間以上かけてテラスに戻り、ここでまた夜を明かし、翌日ヘリコプターにより救助される。

強い精神力と体力のある人である。

1980年の冬、ボルトが入ったままグランド・ジョラスに登り遭難する

 

もう一人登場する人物は長谷である

長谷はのモデルは森田勝のライバルの長谷川恒男である。

この人はアルプス三大北壁の冬季単独登攀の偉業をなしたした人である

森田勝が遭難した直後にグランド・ジョラス冬季単独登頂に成功している

この人も1991年ウルタルⅡ峰で遭難

御岳山に没後20年に顕彰碑が建立された。何回も行ったことはあるがこの小説を読む前はこの人自体も

知らなかったので訪ねたことはなかったので機会があったら行ってみたい

この小説を読んだ跡に森田勝のことを書いた佐瀬稔著作「狼は帰らず」を読んだ

「神々の山嶺」は森田勝の生き様をアルプスからヒマラヤに舞台を移しただけのそのままの物語であると感じた

 

なお、小説の中で重要な物品のカメラはマロリー遭難75年後の1999年に遺体が発見されたが

発見されてない

 

 この小説を読むきっかけは小説の中に書かれているエベレスト街道をルクラから歩いて標高3880メートルにある

エベレストビュウーホテルに宿泊ツアーに参加するためである(いつかは泊まってみたいと思っていたホテルである)

心配なのは歩けるか、高山病にならないかである

今まで2回富士山に行ったが2回とも頭痛がした

富士山より100メートル高いのでどうなることやら

調子が良ければさらに高い4200メートルのクンデピークまでハイキングする予定である

今までに行った最高地点は3850メートル(エギュドミディ)である

その時は何とも無かったのでなんとかなるだろう

 

今回のツアー参加者は13名である

サーダー(リーダ)、サーダーをサポートするシェルパ、ポーター、料理人等同数位のサポートがつくらしい

 

いつかはエベレストを見たいという夢が実現しそうである

因みに家内の車のナンバーはエベレストの標高8848である

 

 

今回の旅行で用意した物品

LOWAの靴を持っているが多少でも軽い方が良いので購入した

 

インナーシュラフ

エベレストビュウーホテルに行く前に2泊ロッジに泊まるがその時はシュラフで寝る

着たままで寝ることになるので必要ないかもしれないがが念の為購入

 

 

耳カバーのある帽子

 

高山病治療薬のダイアモックス

緑内障治療薬である、医者に訪ねたが使用したことがないので副作用とかは全く教えて貰えなかった

現地で高山病になると飲まされるらしい

現地の薬は効き目が強すぎる(欧米人は体格が良い)らしいので用意して持って行く