89歳の日々

home: http://kutani-mfg.jp

今年は柿が沢山採れましたか?

2011-11-30 21:35:23 | 日々

 " 柿の白和え”を青手の7,5寸(23c)の鉢に盛りました。
        九谷の古典文様ですがシンプルで使いやすい感じです。

 さて、今年は柿が良くなる年のようです。
それが、我が家の柿の木は葉が全部虫に食われて1つも実がならないと言う
情けない事になりました(離れた所にあって少しも気が付きませんでした)

あちこちのお宅から 柿を食べきれない程沢山頂きましたので
お豆腐の「白和え」に柿をたくさん入れて作りました。

先日、玉子好きな夫が、スモークした玉子を出汁で味付けしたのを
東北旅行の帰りに買って来ましたので、同じように作ってみました。

フライパンにスモークチップや紅茶を置き、網を乗せその上に半熟で
殻を剥いた玉子を置いて蓋をして10分位スモークさせる、
それを醤油味の出汁に浸けるだけです。
どちらも美味しく出来ましたので、知人や友人たちにお分けしました。

写真の鉢は年末の特別価格として、約半値でご提供しております。
年末には 色々な器を特別に作り、顧客の方に良い品をお安く提供するため
私としては、一番の大事な仕事として苦心して色々作り上げた所です。
 ホームページhome-page: http://kutani-mfg.jp:


   被災地に「手編みの膝掛け」をお届けして・・

2011-11-21 23:49:59 | 日々



          蘇梁館で編んでいる膝掛け
私共の「たぶんかネット加賀」では、東北の被災者の方々に、「毛糸の膝掛け」
を編んで居りました。
8月に編み始めた日には私の友人と近所の方の5人でしたが、3ケ月経ちました
今では加賀市内と小松市からの有志が20人余集まり賑やかになっています。

2週間ごとに、蘇梁館(市が移築した旧北前船主の家)の「ニッとカフェ」
という会に集まって編むのですが、そこでは2時間だけですので、
多くの会員は自宅に毛糸を持って行って膝掛けを編みあげて下さいます。

35枚ほど膝掛けが編み上がった時に、夫のグループが夫婦同伴で東北へ旅行
があり足を延ばして、被災された町南相馬市の原町の夫の知人の処に伺わせて
頂く事になりました。
その原町は第一原発から30k 以内にあり、津波でも人々は亡くなり、
そして原発の大きな被害が心配されている処です。

膝掛けを何処に差し上げて良いか分かりませんでしたが、その知人の方は
弁護士さんで、南相馬市に問い合わせたりして下さいましたが、
結局その方が属しているロータリーから被災者の方にお届けして頂く
事になりました。
35枚の膝掛けをお渡しして「被災者の方々の苦しみや悲しみを思いながら
皆で一針一針編みました。気持ちだけですがをお届したいと思います」
とお伝えしました。

バス旅行でしたが、運転手さんは放射線量が異常に高い「飯館村」の傍を
通らないで行こうとしましたが、第一原発20kの所で道路はお巡りさんに
完全に止められ、戻って「飯館村」の傍を通って行かなければなりません。
其処は無人の街になっていて、家々も学校も閉め切ったままでしたが,
この様な山間の美しい所に住めなくなった住民の怒りは如何ばかりかと
思いました。

原町に着くと、夫の知人と10人程の方が出迎えて下さり、夫の友人は            私共のバスに乗って市内を詳しく案内して下さいました。
30k以内の所なので、何度も線量計で測っておられました。
街中を通り過ぎ、海岸辺りに行きますと、一面の荒れ地が広がって、
ほんの1軒、2軒のボロボロに壊れた家が見えました。
「ここには一面に家が建っていました」とは信じ難くて、皆何度も
「家が在ったのですか?」と聞き返しました。
千年に一度と言う津波が何もかも、沢山の人の命までも奪い去った所でした。

原町の皆さまとご一緒に食事をする機会も作って頂き貴重なお話も
伺え、感謝でいっぱいです。
福島を訪れて私共の無力をつくづく感じさせられましたが、
ただ今はみんなで、膝掛けを編み続けています。

ご不要な毛糸、編みなおしの古毛糸、手編みのセーターなど
ございましたらご寄付お願いしたいと存じます:送り先は下記でございます。)

送り先;多文化ニットカフェ
 住所; 石川県 加賀市 熊坂町 ハ28-3
     蘇梁館(そりょうかん)  NPO法人「多文化ネット加賀」内
 電話; 0761-72-5350





スペイン旅行(5)  独のケルン  海外旅行 

2011-11-01 16:41:50 | 海外旅行
   
         旅行でのコレクションを飾る友人の居間     
スペインの帰えりにドイツの友人に寄るので、フランクフルトから列車で
ケルン駅に降りましたが、迎えに来るはずの彼らは居ません。
マドリッドからの飛行機が.1時間半も遅れているので、私達も大きな駅の
どこを探して良いか分かりません。
うろうろして結局、案内所で呼び出して貰いましたが全然現れません。

用意の悪い私達は彼らの住所も書いていないのでタクシーでも行けず
駅で待っている事を携帯で彼らのパソコンに送るだけでした。
結局彼らは一時間待っても来ないので、唯一の通信手段のパソコンを
見に自宅に帰り、私達が駅に居るメッセージを読んで往復一時間かけて
戻って下さり、夜の9時半になって感激の対面になりました。
本当にほっとしましたが、彼らは来て下さると信じていました。

ドイツのコールドミートの簡単な料理に美味しいビシソワーススープの
遅い夕食の後、10年程前に一緒に南フランスを回ったアルバムを見て
お互いにあの頃は若かったが、まだまだ今も元気だと慰め合いました。
(私達は大体同年ですので。)
他のアルバムで私の姉は浅草に、妹は大山に彼らを案内していました。
彼女のアルバムは何年前の事柄でもが、直ちに見付けられます。

元々彼らとは姉の紹介で知り合いましたが、京都大学の教授として
時々来られ、京都に近いので私達の家でも泊まり、3年前に又日本に来られ
能登を一緒に2泊のドライブ旅行し私共にも泊まったり親しくしておりました。

次の日は今回の旅行で初めての雨で、午後からケルン大学や大聖堂など
回るだけでお宅の庭のお花を見て楽しみました。
今頃どうして北部ドイツの庭に沢山お花が咲いているのか分かりません。
夕食は鰊のサワークリームや野菜のソテー等々、旅行者の私達には
何より美味しいお料理でした。今度もお料理のレシピを貰いました。

もう会う機会がないのではないかと思い、スペインの帰えりに今度もまた
お寄りしたのですが、旅行好きなドイツ人の彼等は又日本に来られる予定が
あるそうで今回は2泊させて頂き日本での再会を約束して、又ケルン駅に
送って頂き別れました。 
 これで11日のスペインからの旅行は終わりました。