果たして孤独は寂しいのか、あるいはそうでもないのか。真っ暗な中津川渓谷沿いの林道を走っていると、小さな明りが川原に見えた。一人用のテントのそばで、火が見えた。夕食を作る男性が見えた。明りは火のみである。ここはキャンプ場ではない。酔狂とも書けない。天星も独身時代にこのようなキャンプを何度も体験している。その先の下流でも2組のテントが見えた。こちらの明りはランタンであった。
写真家の長尾靖さんが亡くなった。浅沼社会党委員長を刺殺の瞬間を撮影したことで知られている。南伊豆町のアパートで病死されていたそうだ。孤独死である。孤独死といえば、最近身近にも発生した。元同僚がアパートでひとり死んだ。知人が、連絡取れないので心配して訪ねて発見した。天星とほぼ同じ年齢だった。退職後のことが何となく気にかかり、だれかに消息を尋ねてみようと思っていた。奥様をガンで亡くしたこと以外は、仕事含め外目では何の問題もなかった。が、突然、退職した。
死は突然でもある。社会には様々な事故に満ちている。何があるかだれにも分からない。今、この瞬間さえも真剣に生きているのか。何か、日々の生活を省みるとこの人生、無駄の多いことだ。もっと、シンプルに。真剣に。
世には、最後の人生について、考察する事象が余りにも多くないか。孤独死ならぬ、死の前の人生だって、思い残すことの無い日々を送れているのであろうか。思い残さない人生はそもそもないか。連休中、浮かれて旅行をしているようだが、こころの底は暗いものがある。
死は絶対です。
何時お迎えに来るかわかりませんね。
今日を今を一生懸命に生きたいと想いつつ
惰性の人生路です。
でも妻が子供がいる、し・あ・わ・せを感じています。
今は有名人が孤独死した時ぐらいししか
紙面にこのこの言葉を見つけるのは
ほとんど無いでしょう!
天星さんと同じく
孤独死は寂しいのか考えさせられる時が
あります。
私などもう人生の終着駅目には見えないが
直ぐ近くだろうと思っています。
私の両親、家内の父親は家族に
見守られながら亡くなったが、未だ逝く時の
気持ちはどんな気持ちであったのか
聞くことも出来ない!
私のの年代の人達、逝く時には子供に
見守って貰おうと思っている人は
聞く限り少ないようです。
厚かましい思いだが、逝く時は寝込まず、
静かに、1人逝くのも良いとは思ってます。
身近で、かつ、同年代の知人が亡くなると、
強烈です。
また、近日中に、「スローバラード」も歌わねばなりません。
先日、八ヶ岳近くを通り過ぎましたが、登山者がたくさんでした。
老い先の心配がいつもついてまわります
寝たきりにならないとか、皆に迷惑掛けないとか先輩老人はいつも口にしています
口にするだけでなく心配の余り自殺も考えるようです
健康診断では最悪に近く成人病の宝庫ですから
人の悩みよりまず自分ですが、死ぬ為に生きているような気になって暗くなります!
退職したらやりたい事が一杯あったはずなのに旨くいきませんね
死ぬために生きている。なるほど。
最近テレビで高齢者介護の様子を見ますね。大変な事態です。
先日の新聞では3畳一間だけで生きている姿が写真で紹介されていました。
ブックマーク ありがとうございました。
孤独死について…シリアスで重いテーマですね。
拓郎の新しいアルバム「午前中…」全10曲ですが、すべて団塊世代を思った詩ですね。10曲全部判るよなぁ、俺と同じじゃないか、うんうん、って感じです。
最近のシンガーソングライターの曲も詩も、ヒットするように作られているし、それはそれでいいけど何か違うなぁと思っていたところ。拓郎の詩は団塊世代にズシンときますね。往年の拓郎のぶつけるような歌ではないけど、しんみりと、じっくりと、納得する歌ですね。一層のフアンになりました。同い年だからよけいに共感するのかも知れません。拓郎もそれなりの歳になったということかも。
天気は、昨日同様、上天気です。オープンガーデンでお忙しいでしょう。情景が目に浮かびます。
先週末の夜、拓郎のCD「弾き語り」を聴きました。じ~んと、響きますね。