婢将女(ひしょうじょ)日記

ニダの創氏改名・通名の大問題を叩く!日本人の生命と安全のために

日本の「侍の微弱なる電流」を断ち切る悪の権化は何か

2007-01-23 16:33:31 | 政治への怒り
最近どこのTV局を見ても、韓国のスターと歌い手や映画やドラマのオンパレードだ。
NHK放送 TVドラマの「チャングム」ファンが、韓国の文化のようになれば、戦争にならないなどと、充分に朝鮮半島の事も知らないで発言するものが現れるのは、このTV局の対応による悪因であろう。

朝鮮半島は、長く中国の奴隷であったのを、日本が解放してやったのである。
それまでの朝鮮半島は、中国の役人の訪問の際には地面に9回も頭を打ちつけ、深い挨拶をするという屈辱的立場にあった。
そこまでして、中国に隷属しており、民族自尊を傷つけたなどと日本人を攻め立てるが、中国に対しての貢物によって、生きながらえてきただけの事である。

このたびのフジTV系列の問題と同じように、司馬遼太郎の言う「侍の微弱なる電流」が、今まさに風前の灯になり、学校や企業・社会で次々に問題が、起きているのは、韓国流に原因があるのではなかろうか。

我々が日頃目にする放送の中にも、大いに原因があるような気がする。少なくとも、朝鮮流の陥れたり欺いたりと言う、社会規範にそぐわないようなものは、放送すべきでないのだ。以前から言っているはずである。

日本には、商道徳と言う言葉があったと、「やっかいな隣人、韓国の正体」祥伝社発行で井沢氏は書いている。
反面韓国では、商業と言うのは人を騙して稼ぐ事で、だから賤しい職業なんだという近代以前からの倫理観が、いまだに残っていると同誌に、呉女史が書いている。

お客様のために、結果として自社のために、良いものを届ける事は、商売の基本なのである。八方好しが、商売の基本である。ただ買わせて逃げても、商売は続かない。朝鮮半島に、老舗がないのはそのためだという。しかし長年の積み重ねがなくては、いつまでもスタートに逆戻りで、いつも振り出しの新人である。良いものを造るのためには時間がかかり、素人とでは競争にならない。

困った世の中になったものである。
今こそ、「侍の微弱なる電流」を司馬遼太郎の残した言葉のように、大きくしていかなければならない。
したがって、どの分野にも侍の微弱なる電流を受け継ぐ者が、必要なのである。
まず自分の名前を捏造・偽装するなどを、是とする者に何事も任せるわけにはいかない。