片思い実らなくても宝物・もしかして両想いだよ最後には

2021-03-31 | 日記

2021年3月31日(水)5679歩とプール1時間

今朝は朝からラインの入力がうまくいかなくて、夕べからでした。

たまたまこの事件に❓遭遇したtuyosiさん、電話とメールで色々

アドバイスーことの顛末は省略しますが。お世話になりました。

 

 

2丁目のつつじです

さてさて、今日はライン入力騒動に始まりましたので、夕方届いた

久しぶりの友達のラインをお見せします。

と言ってのその一部ですが。

メサイアの歌仲間sさん、コロナで自粛中で

仕事は医療関係、練習は休んでいると思います。

私が何か発信するとすぐ応えてくれる方です。

ほとんどの方は私の己書はがきに「また来たー」

と迷惑がっているかもです。そうでない方もいます。

だからすぐ応えてくれるsさん、こんな風に

ラインで見せてくださって、またまたうれしい。

つい調子にのって私もラインでお返事。

私そっくりのかわいい子ですね。

今日の2句

片思い実らなくても宝物・

もしかして両想いだよ最後には

 

広島の「山上茂典」さん

もう一人は広島のうたごえの友達。ずいぶん長い

お付き合い。と言っても賀状交わし合うだけ。

彼はミュージシャンシンガーソングライターギターを

片手にうたいます。

全国でもうたごえの仲間にたくさんのファンがいます。

 

10数年前民生委員の研修旅行で広島に行ったとき

ふと思い出して、「今宮島に行くフエリーに乗っています」

とメールしたら

「今JRの仕事が終わってフエリーを降りたばかりです」

なんと宮島在住の人でした。

1便先に宮島に着いた彼は待っていてくれて3分間のデイトでした。

国鉄マン・・と今は言わないのかな?民営化でたくさんの仲間がその

犠牲になり ヒロシマナッパースはそれをはね返そうと歌で頑張っている

男声合唱団、鹿児島でも2回コンサーとしました。

 毎年日本のうたごえ祭典では出会っていたので、みんな友達です。

彼の作った曲私たちのあじさいでも歌っています。

また全国でもたくさんうたわれています。

コロナでなければ聴きに行きたいぐらい魅力ある

合唱団です。

 

もう一つの話題は「銀サポ」FM銀河の年3回ぐらいの

Ą3 2枚8ページの情報誌です。

私は毎回エッセイを書かせてもらって3日前原稿依頼があり

すぐ書いて折り返し送ったばかり。早っ。もう届きました。

年会費3000円でサポーターになってくださると皆さん

に届きます。

 今月の私のお題は「村永チトセの徒然日記「ちとせとら」

「桜の時」何せ届いて30分で書いた900文字のエッセイです。

「私の淡い初恋物語」ぞくぞくしませんか。

初恋はたくさんしたのですよ。その中の高校時代編です。

といっても恋したと思っているのは私だけ、相手はよくわから

ないけど 私を女性と思ってなかったのかも?いやそんなはずも

ないかもしれませんが、エッセイではそう書きました。

だって愛を告白しあったことはない二人です。

 

桜の時   村永チトセ

(ゲラ刷りです)

春はあけぼの、で始まる枕草子、にまつわる私の淡い初恋物語です。

私は古文が好きで、古文の女先生宅をクラスメイトのⅯ君と先生の

ご自宅に遊びに行きました。

桜の季節 駅から先生の自宅までは田舎道を制服姿の二人はどんな

話を交わしながら歩いたのか、相思相愛ではなく私の片思い

・・でも彼は私を女の子としてでなく友達の一人として気が

合う相手だと思っていたに違いありません。

同じクラスで、夏休みのアルバイトを一緒にした事もありました。

卒業前の予餞会 (3生を送る会)でも一緒に岡本綺堂の修善寺物語

を演じました。卒業の春二人で 平尾台にぼりました。

桜並木を歩きながらもう「これから会えなくるんだな。」の私の気持ち

とは別に彼にはその様な感慨はないようで いつもと同じように冗談

を言い合いながら一を過ごしたのでした。

 

 私には同じころに文通をしているボーイフレンドがいました。

その彼とは福岡の旅館で私は保母講習会、彼は電気技師の講習会

で滞在中に出会いました。、交わした手紙は100通を超える数でした。

宮崎県の高校生 その後会えたのは卒業前 就職試験などを受ける

ために急行列車で3分の停車間だけです。

1回目は見つけるだけで精一杯 2回目から確か3-4回行き来したので 

彼が下車して数時間滞在して帰りました。いつも昼間に通過するので

、彼が私の学校まで会いに来たこともありました。

 彼は大阪の交通局に就職がきまり 桜の季節に急行高千穂で旅立ちました。

彼が愛聴していたシューベルトの「未完成」のⅬP版をプレゼントしてくれました。

 

この二人には続編があります。

Ⅿ君とは 九州のうたごえ祭典で再会 福岡で演劇活動をやっていた彼は 

祭典の司会者として、うたごえに参加していました。

以来ずつと賀状を交わし合い、同窓会でも4-5回会うことができました。

映画社で働いていたので、彼の制作した作品が取り上げられてテレビで

上映されました。彼とは話題の合う

関係だったから、高校時代も付き合えたのだと思います。

賀状が来なくなり 5年前に逝去していたことを知りました。

大阪のN君は 私の愚息が大阪の大学に入学 事情で1ケ月私も大阪で

暮らした時、再会を果たしました。お互い47歳の時でした。

 


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