何度でも立ち上がりたい春だから・忘れまい帰る人ない福島を・3:11 震災復興支援のコンサートで歌いました

2021-03-11 | 日記

2021年3月11日(木)2769歩 プール休み中

あの日から10年、恐怖におののいたあの日、私は

歌の仲間4人で、鴨池公民館でアンサンブルババロアの練習をしていました。

メンバーの娘さんが千葉から電話をかけてきた。今大変なことが起きているよ。

 それは想像を絶する出来事でした。日本中、いや世界中が見続けてニュースでした。

その夜からテレビにくぎつけになり 夫は電力会社出身でいの一番に「チェルノブイノ

になると福島原発を案じましたがその通りになりました。

 それから毎年3月11日が来るたびに、いろんな形で支援活動が続いて

きました。

被災地にピアノを送る運動なども取り組まれました。

鹿児島にも中央駅近くの朝一商店街にピアノが置かれて、音楽仲間が

「この日を忘れまい」と、みんなで集まって音楽会を開き今に続いて

います。

川野恭司さんの弾き語り、南部牛追い歌など2曲が素晴らしかった。

ユーチューブより拝借「この道は」

 

でもそのあり様が変わってきたのは無理もないことですが、せっかく

の試みをもっと多くの人と取り組めないかと残念に思いました。

私はあじさいの仲間二人と他に一人3人が来てくれました。

帰りたくても私が歌うまではと、最後までいてくれたのではと思います。

同じメンバーが何度も楽器演奏には正直がっかりしました。

もちろん若いこれからを期待する若者たちばかりで、このような取り組みに

参加されていることには敬意を払いたい。

でも、数年前まではもっと多様な演奏家の集まりだったのに・・。

合唱有り声楽あり 器楽ありの数年前が

思い出されて…私も初めて1曲演奏を申し出ていたのでアカペラで「この道」

を歌いました。難聴の81歳のおばあちゃんです。ピアノがあっても音が聞

き取れないので」を許しを頂いてうたいました。異色の出演者に大きな

声援を頂きました。

もう一人の川野先生・(長年のお付き合いんです。てんがらもんのさいごの

放送でも 歌っていただきました)は素晴らしいソロで会場を魅了しました。

後はすべて楽器演奏でした。

 

 池田先生が一人で頑張って呼びかけから、出演者の組織迄されたことには

頭が下がります。もっと幅広い参加層を来年は期待したいと思いました。

私ははがきの売上金などたくさんの方の気持ちを届けました。

 

 

ここからは4年前のコンサートより 私のブログから

ストリートピアノでつなぐ祈りのハーモニープロジェクト

 

 この街かどピアノはこの日だけでなく多くの人が利用しています。

 フルートの池田先生もこの広場で被災地支援のためのコンサートを

 よくされているようです。

 

みんなで歌った「花は咲く・ふるさと他」

 

 

 コールはらら―指揮池田先生 (フルートの池田先生夫人―声楽家)

 マスコミもたくさん・・私も読売記者に取材受けました。

 

 

今日の桜島アミュのエレベーターより

朝次郎で昼食 そのあととても良い時を過ごしました。

肉離れかなり良くなりました。

 福島を東北を忘れない一日・・夜のテレビも関連番組を見ながら

ブログアップも遅れました。

 忘れまい帰る人ない被災地を

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする