田丸寛先生との海外演奏旅行の思い出・・6回目の命日に寄せて

2017-12-15 | 日記

2017年12月15日(金)8573歩

田丸寛 1950-2011・12・15

今日は6回目の命日・わがメサイア合唱団の初代指揮者であるだけでなく

私の指導していた合唱団風 も不定期に指導をお願いしていました。

アンサンブルババロアや・ぞうれっしゃ合唱団でもお世話になりました。

鹿児島県民第9(ベートーベン)の永年指導に当たられました。

2001年には、ルーマニアの演奏旅行 鹿児島混声合唱団や個人有志の

15名位?で、ルーマニアの国立合唱団の40人位と一緒のステージ。

鹿児島出身の国際的指揮者尾崎普也氏ルーマニア国立交響楽団指揮者)

の指揮によるバッハのマタイ受難曲(3時間余りの曲)の演奏に参加

出来たのは、私にとって大きな財産となりました。

 ルーマニアの宮殿でのコンサートには ハンガリーやイギリス❓からの観客も

来るほどの一大行事だったと聞きました。

(この中には鹿児島からの10数名団員が含まれています)

あまりの長時間演奏で途中ソリストの時は椅子に掛けたりしました。

電話帳2冊分くらいの楽譜を途中で落として・・というハプニングもありました。

向こうの合唱団員は自分のパートだけの楽譜で薄っぺらでした。

2012年3月に、アイルランドでメサイア全曲を歌う東京の辻正幸さん率いる

合唱団と演奏を決めていたのに その3ケ月前に先生は亡くなられたのです。

私もその旅行をとても楽しみにしていました。

鹿児島からはソリストだけが一人代表で参加されました。

ロンドンに住む先生の娘さんが1月に出産予定で、3月には会えるととても楽しみに

されていましたが、叶いませんでした。

息子さんは東京でお笑い芸人として頑張っていられます。2014年の12月15日

お母さまとお墓参りのついでにてんがらもん放送中の局に立ち寄ってくださったのでした。

父さまの還暦(寛暦)コンサートにはゲストで相方を連れて帰省されステージを務めました。

 

 先生の跡を継いで愛弟子の曽木時人さんが「新生メサイア合唱団指揮者として。

教会等でのコンサートも3回・・・男声合唱団員不足でしたが 

ここ2ケ月前に5人になりました。

 きっと田丸先生も安心して、見守ってくださっていると思います。

 

 今日は終日電気の工事やさんが入り、夫のテレビを2fから下に移す作業、

私の部屋の入り口にチャイムを移動するなど、その中で年賀状のし上げ、

控えを作ったり抜けている人がいないか調べたり やっと投函できました。

 2016年12月15日ブログはこちら「てんがらもん」ご覧くださいためになる話

http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/e/058e1e0fc7d062c8cccafd24e6a35b4b

 

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする