goo blog サービス終了のお知らせ 

書斎の周辺

本を読んだり、書いたり、夢中になったり、飽きてしまったりの日々

小説現代を買ってみた

2020年03月01日 | 読書



 「小説現代」が装い新たにして復活したというので、買ってみた。
 注目したのは、毎号読み切り作品だけ登載というところだ。
 1年半休刊しての再発行。全部読み切りで、中には長編もというので、どんな出来映えかちょ
っと見てみたい気になったのだ。

 どこにでもあるだろうと、通りがかりの書店に行ったら、なかった。
 ちょっと焦って大型書店に行ったら、一冊だけあった。
 慌てて買ったが、いったいどうなっているのか。

 小説雑誌には珍しく、付録がついていた。
 ぺらぺらのブックカバーが、仰々しく段ボールの箱の包まれて、本誌とセットになっている。
 これが欲しくて買う人がいるのか。そんなことはないだろう。
 こんなものがついていると、逆に安っぽく見えてしまう。
 小説雑誌などどうせ売れないだろうと、書店があまり仕入れをしてないのだろうか。

 せっかく買ったので、とりあえず、目玉になっている長編読みきりの作品を読んでみた。
 薬丸岳「告解」。原稿用紙にして400枚程度の作品。
 4月に単行本として発売されるらしい。
 薬丸岳は江戸川乱歩賞の受賞でデビューした作家らしいが、知らなかった。

 面白く読めはしたが、本離れしている人を引き戻すにはやや力不足か。
 出版業界も大変だなと、改めて考えさせられた。

古市憲寿

2019年08月15日 | 読書



 芥川賞の受賞作が発表されたときの雑誌文藝春秋は毎回購入している。
 受賞作と選評を読み、あとその部分をスクラップとして保存しているのだ。
 今号も10日に発売され、早々に購入したが、まだ読んでなかった。
 文学フリマが近づいてきて、それに出品する本の作成に追われて、ゆっくり読書している気分になれなかったからだ。

 そんなわけでまったく知らなかったのだが、今日たまたまネットで、古市憲寿の作品について炎上しているのを知った。
 前回の候補作より出来映えがいいという論評をちょっと目にした程度で、作品も読んでなかったが、作品の最後に参考文献が列記されているのが議論になっているらしい。

 ちょっと気になって、文藝春秋を開いてみた。
 議論になっていたのは、7年前文學界に登載された木村友祐という作家の小説を参考文献として記していたことだった。
 小説を参考文献とするなど聞いたことがないという意見。木村友祐氏の声が生のまま響いているという意見もあった。
 木村友祐の作品を参考にしたのは、高層ビルの窓ふき職人について詳しく知りたかったということらしいが、そんなことなら小説を通さなくても他に方法はあっただろう。
 木村氏に事前了解を取っているということのようだが、その用意周到なところもちょっと気になる。
 奥泉光だけがこの作品を推していたが、いろいろな選評を読みながら、ちょっと失望した。

見城徹

2019年08月04日 | 読書



最近電車で読む本としてカバンの中に見城徹の「異端者の快楽」を入れていた。
序章、文庫のための序章など観念的な前置きが長くて、途中で放棄しようかと思っていていたが、マネージャー養成講座で行った講演というのが以外に面白かったので、ちょっと読み続けてみることにした。

幻冬舎についてはその創業などについておおよその知識はあったが、出されている本にあまり魅力を感じず、手に取ることはほとんどなかった。
見城徹の本を読むのもこれが初めてだ。

そんなわけで、無縁な出版社だと思っていたが、偶然、最近この出版社にまつわるニュースを続けて目にすることになった。

ひとつは、津原泰水という作家の作品を文庫化する予定だったのが突然出版中止になったという話。
津原氏が百田尚樹の『日本国紀』(幻冬舎)についてWikipediaからのコピペを多用していると指摘したことに見城徹が怒って中止させたらしい。
結果、氏の作品は早川から出るようになったようだ。

もうひとつは浜崎あゆみの暴露本『M 愛すべき人がいて』。
これはニュースを見た瞬間、きっと出版社は幻冬舎だなと思った。
「ダディ」「弟」とよく似たパターン。
要するに著名人の暴露本を出せば金になるだろうということだ。

このふたつのニュース、特に前者のそれには失望した。
と同時に、見城徹の本など読み続けるほどのものかと、ちょっと考えてしまった。

文学ムック「たべるのがおそい」

2019年07月19日 | 読書



 芥川賞・直木賞の発表があった。
 芥川賞は今村夏子、直木賞は大島真寿美。
 ぼくの予想は外れたが、知名度だけで選ぶんじゃないんだなと、半分ほっとした。

 今村夏子という名前は知らなかったが、太宰治賞、三島由紀夫賞、野間文芸新人賞も受賞しているれっきとした中堅作家らしい。
 なぜこれまで知らなかったんだろう。

 最近、文芸雑誌を買わなくなったし、知らない作家の本を手に取ってみることも少なくなってきた。
 つまらない作品が多くなってきたからか、年取ってきて好奇心が薄れてきたからか、理由はよくわからないが、なにかきっかけさえあれば手に取っていたと思う。
 出版社も、読者に手に取ってみたいと思わせるような情報をもっと積極的に発信してほしいものである。

 そう思ったのは、今村夏子のことを調べているうちに、「たべるのがおそい」という文芸ムック本の存在を知ったからだ。
 この雑誌に今村夏子が作品を発表している。 
 この本の存在自体知らなかったが、出版している書肆侃侃房という会社も知らなかった。いちど手に取ってみようかなと思ったら、今春で終刊になったらしい。
 本好きのぼくの目に触れないまま終刊とは、実に嘆かわしい。

最後の秘境 東京藝大

2019年07月17日 | 読書



 昔は通勤電車の中で本を読んでいたが、最近は通勤がないので、本を読む時間がうまくとれない。
 書斎で机に座っていると、ついパソコンを開いてしまう。
 株の動きをチェックしたり、ニュースを、いろんなブログを見たりしていると、あっという間に時間が過ぎる。
 それが一段落すると、なかなかすすまない小説の執筆にとりかかる。
 パソコンでいろんな情報を管理しているので、それのメンテナンスもする。
 その合間に本を読めばいいのだが、何か始めると中断するタイミングが難しく、時間配分がうまくいかないのだ。
 
 町に出かけるときはカバンの中に本を入れておいて、電車で読むのだが、町に出かけることなど最近は週に一日もない。
 これでは未読本がたまるばかりだなと、今日、長い間カバンに入れたままになっていた本を取りだして、残りのページをすべて読み終えた。

 読了したのは「最後の秘境 東京藝大」二宮敦人(新潮文庫)。
 サブタイトルが「天才達のカオスな日常」となっている。

 芸術には無縁で、藝大に行こうと思ったこともないが、美術に、音楽に情熱を注ぐ学生達の生き様には感心した。
 この難関を突破しても、芸術家として生きていけるのはごくわずか。卒業後、ろくに職にもありつけず、行方不明になる者も少なくないという異常な世界。
 小説家になろうと志を持って、そこまで情熱を注いでいる者はどれくらいいるのだろうと、ふと考えてしまった。