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書斎の周辺

本を読んだり、書いたり、夢中になったり、飽きてしまったりの日々

盗作といえば

2018年07月07日 | 創作

 盗作といえば、もっとショッキングなことがあったのを思い出した。
 立松和平だ。
 連合赤軍事件をテーマにした「光の雨」だ。
 1993年「すばる」で連載をはじめると、しばらくして、元連合赤軍メンバー坂口弘から自著「あさま山荘1972」の盗作だと抗議を受け、本人もそれを認めたというものだ。
 それまで立松和平の作品は出るたびに買っていたが、これを機にいっさい手に取ることをやめた。

 あろうことか、そのほとぼりが冷めた15年後、また同様のことが起こったようだ。
 日光・中禅寺湖をテーマとした「二荒」という作品で、盗作元は自費出版された非売品の小冊子とのこと。
 がっかりしたが、この2作とも、事件発覚後書き直して再出版しているというが、出版社の神経を疑わざるを得ない。

 もうひとつ思い出したのは山崎豊子だ。
 彼女の小説は「華麗なる一族」以外読んだことがないので、ぼくには縁遠い作家だが、「不毛地帯」や「大地の子」などで盗用疑惑が発覚している。
 北条裕子の「美しい顔」が東日本大震災をテーマにしたのと同様、これらの作品の背景には史実があるので、裏付けとなる資料を参照するのは仕方ないことだろうが、そのまま流用するとはあまりにもお粗末だ。

盗作

2018年07月06日 | 創作


 今回芥川賞の候補作となった北条裕子の「美しい顔」が盗作といって騒がれている。
 北条裕子にとってはこれが処女作で、この作品で群像新人賞を受賞したのだそうだが、最近になって作品の中に5冊の文献からの流用があることが判明したというのだ。

 ずいぶん評判のいい作品だったらしいが、ここまで騒ぎが大きくなっては、もはや芥川賞の受賞などはありえないだろう。
 作品の骨子は自分で考えたのだろうから、安易な流用などせずに、参考文献として自分なりに租借して自分の文体に置き換えていればこんな問題にはならなかったのではないか。文才はありそうなだけに、残念なことである。

 盗作といえばすぐに思い出すのは「田口ランディ その「盗作=万引き」の研究」とか「大作家は盗作家」といった本だったり、猪瀬直樹氏が指摘した佐野眞一の盗作疑惑などだ。
 佐野眞一はその後目立った活躍はしていないが、田口ランディはこの本を書かれたあともいろいろ作品を発表しているようだ。

 新人はだめだが、ある程度知名度があればこうした疑惑には目をつむろうということだろうか。

[実践]小説教室

2018年06月07日 | 創作


 今年も9月の「文学フリマ大阪」に参加申し込みをしているが、まだ作品はできあがっていない。
 原稿用紙にして10枚程度のところで躓いて、何度も書き直しを繰り返している。
 
 いくつかのシーンは思い浮かんでいるが、それをどう組み合わせて進展させていくかというところまで煮詰まっていないのだ。
 たぶんその根底には、自分の経験談と思われないように書きたいという、逃げ腰な気持ちがあるのだと自分でもわかっている。
 よく知っていることはできるだけ書かないようにして、想像だけで話を進めてみても、ろくなものは書けないだろうと容易に想像はつくのだが、その割り切りがなかなかできない。

 気晴らしに、根本昌夫の「[実践]小説教室」をぱらぱらと読んでみた。
 テーマを決めよう、書き方あれこれなどというタイトルが並んでいて、いってることはみんなもっともだが、簡単に理論=実践とはならない。

 慌てて書こうとせずに、構想が煮詰まるまで待つしかないかなという気になってきた。

阿刀田高「海外短編のテクニック」

2018年04月27日 | 創作


 ここしばらく、古い資料を処分したり、パソコン環境を整備したりといったことばかりして、小説を書くことから遠ざかっていたが、そうした作業もようやく一段落した。

 毎日書いていないと書けなくなるというのはわかっている。わかっていながら、なかなか書けないいちばんの理由は、何を書くかというところではたと考え込んでしまうからなのだ。
 しかし書かないでいればよけいに書けなくなってしまう。
 案の定、いざ書こうとしても、頭の中は堂々巡りで、うまくストーリーが固まらない。

 書こうと思うテーマはいろいろメモとして持っているのだが、みんな断片的なものばかりで、それらがうまく膨らんでいかないのだ。 

 本でも読んでいれば少しはイメージも固まってくるかなと、
「海外短編のテクニック」阿刀田高(集英社新書)を取りだしてみた。

 モーパッサン、モーム、チェーホフ、O.ヘンリー、スレッサー、メリメ、カフカ、ヘミングウェイ、ラヒリといった作家の作品を分析、解説している。
 読みながら、なるほどなと、自分の表面だけをさらりと流した安易な書き方に反省させられた。

 最近手に取ったこともない「世界の文学」の中からモームを取りだしてみた。