コロナ禍で自粛していたアート巡りをやっと再開。
2021年10月5日(火)午前中に「川端龍子VS高橋龍太郎コレクション」、午後は「美男におわす」展(埼玉県立美術館)へ。
今回は「川端龍子VS高橋龍太郎コレクション」の紹介です。
チラシです。
大田区立川端龍子記念館は初めて訪れました。
コンパクトなミュージアムで、展示室がクニャっと曲がっていて、?と思ったのですが
後で、龍子にちなんで”タツノオトシゴ”の形だったことが分かりました。
なお、撮影可能エリアが限定されており、個別に撮れたのは、チラシのおもてに載って
いる2作品のみでした。(*_*;
展示会場と作品リスト
川端龍子(明治18年~ 昭和41年〈1885-1966〉)は、当初は洋画を学んでいたが、後に日本画に転向。
大画面で大胆な作品を制作し、日本画壇から異端視されると、昭和4年には自身で「青龍社」を創立し
”会場芸術”を唱え、大画面で豪放な作風の作品を多く残した。
コラボする高橋龍太郎コレクションは、日本有数の現代アートコレクションで、私も、2015年に東京オペラ
シティ アートギャラリーで高橋コレクション展ミラー・ニューロンを観ました。
ともに大田区在住で、名前に龍を持つ・・・そんな繋がりで企画された展覧会のようです。
撮影可能エリアから撮った、会場風景です。
正面、奥の鴻池朋子の《ラ・プリマヴェーラ》がすごい吸引力。
最初に出迎えたのは、川端龍子の《香炉峰》 横幅7.3mほどある大作です。
描かれた九六式艦上戦闘機(ゼロ戦は後継機)は、ほぼ実物大の大きさになるらしい。
龍子は偵察機に便乗して取材しているが、この当時、飛行機に乗って取材するのは、画家にとっては
興味深々だったことでしょう。
本展からは外れますが、戦争画で飛行機が描かれた作品として向井潤吉の《影(中国・蘇州上空にて)1938年》
を数年前、東京都現代美術館で見ました。(画像はWebから拝借したもの)
向井潤吉は、古民家シリーズしか知らなかった頃だったので、驚いた記憶があります。
蘇州の街や人々が細かく描かれ、それを覆う機影が”不穏”を暗示しているようで迫力がありました。
コラボする現代アートは、会田誠の《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》
作品を横から見ると、破れた襖、ビールケースの土台・・・近くにいた係り員に聞くと
この襖は、会田誠の家で使用していたものとか。使用材料に日経新聞とあるのは、この
襖に貼って、その上に描いていった・・・・うーん会田誠らしい
既成の権威に抗う姿勢を表現するため・・・と思えるのですが、私にとっては、それが
鼻につき過ぎて好きになれない作家ではあります。・・・スミマセン
鴻池朋子の《ラ・プリマヴェーラ》 画像はWebから拝借
『プリマヴェーラ』の意味ですが、ルネサンス期のイタリア人画家ボッティチェッリが1482年頃に描いた
著名な絵画の名前で、日本では訳語である『春』などとも呼ばれる。 ↓の作品、画像はWebから拝借。
鴻池作品とコラボするのは 画像はWebから拝借
この《草の実》を見たとき、以前にも似た作品を見たことを思い出しました。
キャプションを読むと、この作品の前年に描いた《草炎》を観た愛好家から
同じようなものを作ってほしいと頼まれ、制作したとのこと。
↓が、《草炎》を撮ったものです。(2014年5月10日 東京国立近代美術館の川端龍子特集で)
川端龍子《草炎》部分) 1930(昭和5)年 文化庁管理換(東京国立近代美術館)
こうして見比べると、うーん 龍子《草炎》とボッティチェッリの『プリマヴェーラ』が、より
コラボしている感じかな・・・
そのほかの作品では、山口晃の作品に見入りました。
《五武人圖》とか《當丗おばか合戦》など、紹介したいのですが、Webを探しても良い画像が
ないので、山口晃は別の機会にしたいと思います。
なお、記念館の道向かいに、龍子のアトリエなどがある龍子公園があり、係員の方にお誘いを受
けたのですが、この後の埼玉県立美術館の予定があり、泣く泣く辞退したのでした。
会田誠の屏風を支えているビール箱も作品展示の一部なのでしょうか。
感心すべきか、笑うべきか、悩みます(^.^)
ョンする企画は、最近、増えてきました。
”一粒で2度おいしい”(古いですね)感覚で、楽しめます。
<会田誠の屏風を支えているビール箱も作品展示の
一部なのでしょうか。>
係員の説明では、ビール箱も作者の指定で作品の一
部だそうです。
会田誠のインタビュー記事などを読んでの、私の
推測ですが、芸術的不真面目さの表現かなと思い
ます。
以下はインタビュー記事からの抄録です。
・会田誠は一見、無頼派ふうに見えるが、本質は
おっとりタイプ。
会田誠は両親も親戚も全員教員という環境で育った。このような家庭で育った人間はどうも色気が
なくて、本当の自堕落と破滅とか、ラディカルな
人生に憧れがあるのに、それを選べないという悩
みがあって、そのため、色気は自ら作らなければ
いけないと思って、とりあえずだらしなく酒を飲
んで、夜の盛り場でグダグダと過ごして、終電逃
して、朝まで路上で雑魚寝するとか、思いつくこ
とを頑張っていた。
そう言うプチ無頼派みたいなことをすれば、自分に人生の影と色気が出るんじゃないかと頑張っていた。でもやっぱり嵩が知れていて、そんなに色気のある人間にはなれなかった。
・アートという枠組みの中でもっとも効果をもたらすためには、社会的善へ向いてやるのではなく、芸術的な不真面目さをもってやる方がいいと考えています。
・僕のようなタイプのアーティストは、「ピエロ型」や「トリックスター」みたいなジャンルと言えると思います。確かに作品を通して、社会をいじっているんです。ピエロが王様を皮肉ったり、硬くなっている部分をかき回したり、というイメージに近いかもしれません。そうやって空気の通りぐらいは良くなるかな? と思って取り組むのが、僕や僕的なアーティストの仕事だと思っています。
無責任と言われれば無責任かもしれないですが、
責任のあるやり方をするなら議員になって法律を
作るとか、NPOに入るという選択肢を取ればいい
わけです。僕自身にそういう真面目さはなく、遊
んでいるような部分もあって、この世の善とかを
具体的に目指しているわけではないんですね。
以上
で理由を推測していました。
その後、自分なりに調べてみて、納得できる理由が
見つかったので、前の投稿を削除し、新しく置き換
えました。
前の投稿を見られた方には、お詫び申し上げます。 御気分を悪くされた方もいるかと思いますが、私の拙さによるものです。誠に申し訳ありませんでした。