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光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

浜離宮 内堀

2011年09月09日 | ぶらり探訪

浜離宮の大手門橋から。  9月5日の記事の写真と同じ位置ですが、露出オーバーが逆に面白いので載せました。


 大手門。  江戸城の出城の機能を持っていた。


大手門をくぐって、園内から振り返ってみると、汐留の高層ビルが迫力です。


 約300年前、六代将軍家宣が庭園を大改修したとき植えられた松。 名前も「三百年の松」


 赤松。 盆栽のような枝の密生ぶり。


築地川から内堀への取水口。


取水口から園内方向。 江戸時代は物資の運搬に利用したのでしょう。 


左側の芝生の場所には、延遼館という洋風の建物があったが、関東大震災で壊れてしまった。



堀の向こうは花畑になっています。


花畑から。  なんだか合成写真の趣


明日は花の写真を


 

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浜離宮 新銭座鴨場

2011年09月08日 | ぶらり探訪

浜離宮には、もう一つ鴨場があり、新銭座鴨場(しんせんざかもば)と名付けられています。 離宮の南西角ですぐ隣にビルが見えます。
大覗に上り、撮った池。  庚申堂鴨場より規模は小さく、池面に藻はない。


右下が池に繋がった引堀、左端が小覗です。


少し右側を撮ったものです。 竹柵が張られていますが、確かに池の土手面の傾斜がきついので、誤って転落する恐れがありそうです。


池の中央に小島があり、ここにも五位鷺が。 天気の変化が激しく、急に強い雨が降ってきました。


雨を避けるため、大覗の小屋に入り、外を撮影。


大覗きの覗き穴から。


獲物となった鴨の霊を慰めるため、昭和10年に建てられた鴨塚が近くにありました。



鴨場は日本の伝統猟として、現在、埼玉鴨場、新浜鴨場の2か所があり、いずれも宮内庁の管理となっている。  新浜鴨場は皇太子様が雅子様にプロポーズした場所として有名です。 
現在では鴨場で捕らえた鴨には、国際鳥類標識調査に協力するため識別(足環)を付けて放鳥しているとか。
一度、狩猟を生で見てみたいものです。

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浜離宮 庚申堂鴨場 その3

2011年09月07日 | ぶらり探訪

庚申堂鴨場のまわりを一周することにしました。
小覗のない引堀。 堀の中の水面は池(元溜り)と同じように緑の藻に覆われています。
日本庭園のほうはそこそこ観光客が歩いているのですが、この鴨場のまわりは誰もいません。
緑と静寂を堪能できます。



江戸時代、ここには浜御殿が建っていて、享保9年(1724年)の大火で焼失するまでは、清水のお茶屋があったとか。




内堀の末端が近くにあります。



池は土手で遮られて、見えません。



白い小さな実をつけた植物がよく眼につきました。



庚申堂の名の由来です。 



庚申堂のあったあたりで樹木を見ると鳥がいました。
五位鷺(ゴイサギ)のようです。



このあたりからは、池の水面がかすかに見えます。  
ゴイサギはつがいのようです。  また、ここからは東京タワーが中央に見えます。 



白と紺の実のような植物をアップにしてみました。 



 


 

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浜離宮 庚申堂鴨場 その2

2011年09月05日 | ぶらり探訪

浜離宮の入り口の橋、大手門橋から。  築地川の向こうに城郭のような石垣で囲まれた離宮。


 離宮の沿革とマップ。



 


昨日紹介した庚申堂鴨場の位置がわかるかと思います。
さて、鴨猟の方法は、下の図のとおり、江戸時代は鷹狩りで、明治以降は叉手網(さであみ)になります。



これが小覗です。  池の周囲に数多くあります。


小覗と引堀                           引堀がカーブして池に繋がっています。  


小覗の覗き穴から見た引堀


大覗の小屋。



大覗の小屋横から池(元溜り)を撮影。  庚申堂鴨場で池を俯瞰できる場所はここだけです。



浜離宮のホームページに鴨場のわかりやすい説明がありましたので、転載させていただきます。


鴨場が利用されたのは冬鳥が飛来する晩秋から翌年の春先まですが、以下のように鴨等を獲りました。
 1 元溜りにはおとりのアヒルが200羽あまり放されていました。秋から冬にかけて野の鴨が元溜りにおりてきます。
 2 板をたたく音が響き渡ると、餌が引堀に蒔かれます。餌が食べられるので、アヒルが引堀に入ってきます。アヒルの後を野の鴨も後をついてきます。野の鴨はアヒルの後をついていくという習性があるのです。必要な数が入ったら、引起し網で引堀の入口を閉めます。
 3 小覗で鴨の様子を確認し鷹匠やお客様に手信号で知らせます。
 4 鷹匠とお客様は引堀をはさむようにして配置につきます。
 5 小土手に片足をかけ、びっくりして逃げようとする鴨を叉手網(さであみ)で捕獲します。
 6 叉手網をかいくぐって逃げる鴨は鷹匠が放った鷹が捕らえます。逃がすと、この元溜りが危険なところであることを仲間に知らせてしまうので、鷹の役割はきわめて重要でした。
 *アヒルは板をたたく音で引堀に入ってくるよう訓練されています。
 *大覗には元溜り周囲で水鳥を狙っている野生の鷹を捕獲するための仕掛けがありました。
 *鴨場が使われた離宮時代は園内に鷹部屋や鷹師宿舎、鷹匠小屋、調理所などがありました。

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浜離宮 庚申堂鴨場

2011年09月04日 | ぶらり探訪

9月3日(土) 行先が決まらないまま、電車に乗って東京へ。  
秋葉原でPCなど見ながら考えて、台風の余波で波の高い海の風景でも撮ろうと、新橋駅から海岸へ向かって歩く。
汐留の高層ビルの横では、歩きづらいほどの強風。  途中、タウンマップの表示を見ると、浜離宮が目に入った。
17年ほど前に、南麻布に住んでいた時、一度自転車で行ったことがある。   大きな池の日本庭園があって、海というより運河に囲まれた庭園で、少しつまらなかった記憶が蘇った。
しかし、行ってみると、素晴らしい光景に出合った。   鴨場・・・・17年前は見ていなかった。  都心にこんな静寂な池があるとは。  


名前は庚申堂鴨場(こうしんどうかもば)。
背景に高層ビルがなかったら、東京の都心の風景とは誰も思わないだろう。


 


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三菱1号館美術館界隈 その2

2011年08月29日 | ぶらり探訪

ブリックスクエアから丸の内仲通りに面して、花屋がありました。 花屋と呼ぶのが失礼なような洒落た感じの店です。



ブリックスクエアの南西角に当たります。



仲通りに沿ってちょっと歩くとエルメスの店。  3年前の12月に撮った夜景では



仲通りは、以前、イルミネーションを中心に掲載しました。  その時の賑わいにくらべると、人通りが少ないのですが、昼間だからでしょうか。



戻って、1号館向いの新東京ビルの入口から撮ったものです。



東京駅に向かうのに、三菱電機本社などが入っている東京ビルのロビーに入ってみました。



このビルの1階東南角にある中華レストラン。  ここも以前のブログで取り上げていますが、店内でアメリカンフットボールをやっていた店です。
今日は、ここで昼食をとることに。



入口横にあった古代中国の甲冑。



店内の風景。 本格的な中華で1000円のランチでしたが、雰囲気も良く、味も良しでした。

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三菱1号館美術館界隈

2011年08月28日 | ぶらり探訪

8月27日(土)あてもなく電車に乗り、東京駅で降りると、足は丸の内方向に。   そういえばレンガ造りの三菱の美術館が昨年出来ていたので行ってみようかと。  
 明治27年(1894年)に三菱1号館として英国人建築家のコンドルによって設計され、当時は三菱の銀行部門と貸事務所として利用された。  戦後、隣にあった丸の内八重洲ビルチ゛ングが米軍のホテルとして接収され、三菱1号館もホテル従業員の宿舎として供されたあと、昭和31年に返還された。    その後、明治の三大建築物(日本銀行本店、旧赤坂離宮、三菱1号館)として建築学会などが保存の申し入れを文部省や三菱地所に行ったが、昭和42年(1967年)三菱地所は抜き打ち的に解体した。   地震対策や地下トンネルによる不同沈下などで強度的問題があったのと、オフィス需要の急伸が理由とされた。  保存と開発、いつの時代も難題です。
昨年、40年ぶりに赤れんがの1号館はレプリカとして復元され、美術館として利用されています。
写真の後ろのビル、丸の内パークビルと一街区をなし、丸の内ブリックスクエアとしてアートやショッピングゾーンとして洒落た雰囲気の街になっています。
 



 ブリックスクエアの緑の庭から1号館。 1号館は8/22~8/31まで休館中で、中には入れませんでした。
 


 庭にはいくつか彫刻があり、赤レンガの建物と似合っていました。 



 



 



 朝方の雨が、滴となって昼寝の方に。 



 


丸の内のオフィス街のなかに、このような緑とアートの空間、いいですね。  やはり、歩いてみるものです。

説明プレートも植物に囲まれ、いい雰囲気です。

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皇居二の丸庭園

2011年08月22日 | ぶらり探訪

二の丸庭園を少し詳しく紹介します。
江戸時代の作園の名手 小堀遠州の作品で、今の位置に二の丸庭園としてつくられたが、明治以降荒廃していた。
東御苑として整備されるにあたり、昭和43年に9代将軍家重時代の庭図面をもとに復元された。



写真は西側の水路から。



回遊式庭園で近くには大手町のビルが見えます。





さるすべりの花が咲いていました。





池面に映るさるすべり。







 





笹の群生、遠景はビル群なのですが、白く飛んで見えません。





水吐出口から。 高低差があり、一部、滝になって池に注いでいるようだ。





水吐出口の水路近辺に、伊豆石などの名石が配されている。



遠く奥のほうが雑木林になっていますが、このあたりが二の丸の御殿跡になります。 





池面はモネの睡蓮の趣。





最後は、庭園とは関係なく、同心番所の屋根瓦を撮ってみました。



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北の丸~国立近代美術館~二の丸庭園

2011年08月21日 | ぶらり探訪

2か月ぶりに国立近代美術館へ。  雨は私にとっては、撮影日和なのです。 それに涼しいこと。
九段下で地下鉄を降りて、北の丸庭園を抜けるコースを選んだのですが、九段下駅の地上にでてびっくり。
歩道は人の列が延々と続いている。  
その列をくぐって、牛が淵のお濠端で撮った写真。  蓮が一面に。





田安御門で。 人の列が見えると思います。 24時間TVが武道館で行われていて、義援金の応募に行く列だとか。 なんとこの列は、牛が淵から竹橋を回って、近代美術館の工芸館近くまで延びていました。  ゆっくり動いているとはいえ、列の最後から武道館まで、何時間並ぶのだろう。





北の丸庭園に入ると一人もいない。 しっとりとした緑の木々に癒されます。





近代美術館・工芸館では、「しまシマ工芸館」という企画で縞模様をテーマとした工芸品が展示されていました。 (作品紹介は別途)





工芸館前の北白川の宮の銅像。  周りの木が払われて、小雨に濡れて、程よい光で撮影出来ました。





続いて、美術館本館で鑑賞。 企画展のレオ・ルビンファインの「傷ついた街」の写真が意外と良かった。 (作品紹介は別途)





皇居東御苑の二の丸庭園へ。 ここもしっとりとした美しさを見せてくれました。





大手門から百人番所を見たもの。  最後は三の丸尚蔵館で開催されていた画帖展を。 これも皇室に献呈された明治以降の大家の日本画が画帖形式で見れ、収穫でした。



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谷保から府中市郷土の森博物館へ

2011年08月07日 | ぶらり探訪

府中市郷土の森博物館に、昔の建物などが展示されているので、7日(日)自転車で出かけました。
立川~谷保~中河原~郷土の森博物館のルートで1時間強の道のり。

途中、谷保天満宮に湧水があることを以前、ブログで読んだことがあり、立ち寄ってみました。
谷保天満宮は立川崖線(大昔の多摩川が削った段丘の崖)の斜面に位置しており、がけ(地元ではハケと呼ぶ)のあちこちで、湧水箇所があります。  ここもその一つで、常盤(ときわ)の清水と名付けられていました。
写真は湧水箇所から2,3m下手の湧水池で弁天池と呼ばれ、池中央の祠は弁財天を祭った厳島神社とか。
池の中央に弁天が祭られているところは多い。  上野の不忍池、井の頭池、近くの国分寺の真姿の池もそうだ。 弁天は、インドの古代神の河神なので水に関係するところに建っていることが多い。


池の水は、透き通っていて、鯉や亀、鴨などがいます。










14年前には、谷保駅から5分ほどの所に住んでいたのですが、ここは知らなかった。

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江戸城外堀散策 四谷見附から弁慶橋 その3

2011年06月21日 | ぶらり探訪

弁慶橋の西詰めから、旧グランド赤坂プリンスホテルを右手に。 敷地は江戸時代の紀伊藩の屋敷跡


今は被災者の方の仮宿舎になっており、消防署員が警備をしていました。


紀尾井通りを挟んで向かいはホテルニューオータニの建物。 洒落たブティックやブランド店が並んでいます。







被災者の方も、こういう環境は逆に生活しづらいだろうなと思います。



道路向かいの紀伊藩屋敷跡に清水谷公園があります。 江戸時代は清水が湧いていたらしい。 この公園から
ニューオータニホテルが見えます。 ニューオータニの敷地は江戸時代、井伊家の敷地。
また、尾張家の屋敷は四谷見附から喰違見附までの今の上智大学の敷地が該当します。三藩の頭文字をとって
紀尾井町、紀尾井坂などの地名がついています。





都心の真ん中での静寂。  なお、この公園には大久保利通の哀悼碑があるらしいのですが、気がつきませんでした。



外堀散策も終了です。 
 

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江戸城外堀散策 四谷見附から弁慶橋 その2

2011年06月20日 | ぶらり探訪

喰違見附の説明板です。 


同じく説明板に載っていた「絵本江戸土産」から喰違外



喰違の土橋上からみた弁慶堀。 ボートが見えたので、都が堀の清掃でもやっているのかと思いましたが、単なる釣りでした。


堀の横を首都高4号線。


左はホテルニューオータニ、正面は廃業し今は被災者の宿泊施設となっているグランド赤坂プリンスホテル。



弁慶橋と橋のたもとのボートハウス。



小雨の中、静かに釣りを楽しむ人。

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江戸城外堀散策 四谷見附から弁慶橋 その1

2011年06月19日 | ぶらり探訪

6月18日(土) 四谷駅から新宿歴史博物館に行き、帰途、江戸城外堀を赤坂方面に沿って歩きました。
一昨年、四谷から神田方面へ外堀にそって歩きましたので、四谷から逆方向をというわけです。
実際、この地域は訪れたことがなく、気になっていた所だったのです。(赤坂まではよく行くのですが) 

マップです。 新宿歴史博物館は、中央左上。  外堀沿いのコースは、四谷駅前から上智大学横の土塁上を歩きました。



四ッ谷駅前の土塁。 アジサイの季節だ。


江戸城外堀を地形で確認。  図の中央左端の城門跡が四谷見附になります。 下って次の見附が喰違見附、次が赤坂見附でその先は埋め立てられています。 舌状台地を切り通して造ったことがわかります。



 土塁にあがると、地下鉄四谷駅の駅舎とホーム。  下の線路はJR。 両線路もすぐにトンネルに入る。



地下鉄のトンネル。 埋め立てられた堀(真田堀)は上智大学のグランドになっている。(今は都の所有とか)



 土塁上。ソメイヨシノが多く、桜の名所です。



 雨と土曜のせいか、グランドに人は少なかった。



台地を切り通して、堀をつくったのですが、幅も深さも大規模で、造らされた真田藩は大変だったでしょう。



立葵(タチアオイ)だと思います。 土手にわずかに咲いていました。



真田堀の終端。 左のコンクリート壁は地下を潜る首都高速 の側壁。 上は迎賓館などがある赤坂御用地。



喰違い見附の土塁の橋から見た真田堀。 歴史が詰まった跡地をくれぐれも埋め立てることがないよう願っている。

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皇居東御苑 北桔橋門、梅林坂、平川門

2011年06月12日 | ぶらり探訪

今日、6月12日(日)は久し振りに国立近代美術館へ行き、パウル・クレー展などを見学。
美術館の帰りは、隣の皇居東御苑を通るのが自分の定番。
北桔橋門(きたはねばしもん)の上から。  江戸城本丸に近いため、濠からの石垣の高さも相当なものです。  橋も本当に跳ね上げ式だったとか。  昨年の七月に来たときも、同じ位置から撮影していました。 濠は乾濠。



橋の反対側は平川濠。



北桔橋門を入り、平川濠沿いに歩くと急な下り坂になります。  梅林坂です。  昔、太田道灌(1432~1486)が天神社を祀り、梅樹を植えたのが由来とか。




平川門
平川門は江戸城の裏門にあたり、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りする通用門でもあった。
太田道灌の頃からここに門が作られていて、当時、門の前には上平川村や下平川村などがあり、門の名前の由来に。





平川門と右に帯曲輪門


平川門前の高麗門。



門前の木橋から竹橋を眺めた写真で、橋の上に見える建物が国立近代美術館。 

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野火止用水再訪 その9 平林寺

2011年06月08日 | ぶらり探訪

平林寺本堂脇の広場と竹林。 2本の大きなケヤキがあります。

広場の隅にある納屋。 水車の歯車らしきものが架けられている。 平林寺堀が境内を横断し、すぐ近くを通っているので、昔は水車もあったのでしょう。



石楠花が綺麗に咲いていました。



野火止用水の説明版に昔の写真が載っていました。 上の野火止用水の図には、各所に水車があったことが分かります。


最後に、航空写真。 赤マークが新座市役所で隣の緑地が平林寺境内です。
上方の荒川、下方の多摩川に挟まれた武蔵野台地。
この野火止台地も北側には柳瀬川、南側には黒目川が流れていているのですが、平林寺のところから、それぞれ1km以上離れており、生活用水や農業用水としては利用できなかったでしょう。  そうした不毛の地を潤したのが野火止用水でした。

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