浜離宮の入り口の橋、大手門橋から。 築地川の向こうに城郭のような石垣で囲まれた離宮。
離宮の沿革とマップ。
昨日紹介した庚申堂鴨場の位置がわかるかと思います。
さて、鴨猟の方法は、下の図のとおり、江戸時代は鷹狩りで、明治以降は叉手網(さであみ)になります。
これが小覗です。 池の周囲に数多くあります。
小覗と引堀 引堀がカーブして池に繋がっています。
小覗の覗き穴から見た引堀
大覗の小屋。
大覗の小屋横から池(元溜り)を撮影。 庚申堂鴨場で池を俯瞰できる場所はここだけです。
浜離宮のホームページに鴨場のわかりやすい説明がありましたので、転載させていただきます。
鴨場が利用されたのは冬鳥が飛来する晩秋から翌年の春先まですが、以下のように鴨等を獲りました。
1 元溜りにはおとりのアヒルが200羽あまり放されていました。秋から冬にかけて野の鴨が元溜りにおりてきます。
2 板をたたく音が響き渡ると、餌が引堀に蒔かれます。餌が食べられるので、アヒルが引堀に入ってきます。アヒルの後を野の鴨も後をついてきます。野の鴨はアヒルの後をついていくという習性があるのです。必要な数が入ったら、引起し網で引堀の入口を閉めます。
3 小覗で鴨の様子を確認し鷹匠やお客様に手信号で知らせます。
4 鷹匠とお客様は引堀をはさむようにして配置につきます。
5 小土手に片足をかけ、びっくりして逃げようとする鴨を叉手網(さであみ)で捕獲します。
6 叉手網をかいくぐって逃げる鴨は鷹匠が放った鷹が捕らえます。逃がすと、この元溜りが危険なところであることを仲間に知らせてしまうので、鷹の役割はきわめて重要でした。
*アヒルは板をたたく音で引堀に入ってくるよう訓練されています。
*大覗には元溜り周囲で水鳥を狙っている野生の鷹を捕獲するための仕掛けがありました。
*鴨場が使われた離宮時代は園内に鷹部屋や鷹師宿舎、鷹匠小屋、調理所などがありました。
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