田川市石炭・歴史博物館のブログ

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大浦池のこと

2021年02月20日 | 日記

みなさん、こんにちは
もうすぐひな祭りですね本当に月日の経つのは早いものです。
一日も早くコロナを心配しないで♪春の弥生のこのよき日~♪と
歌いたいものです。


さて、今回はご存じの方も多いとは思いますが、
大浦池のことについて話してみましょう

時は延宝年間(1673~81)、4代将軍徳川家綱の時代のことです。
田川地方では長い間雨が降らず、水が枯れることが頻繁に起こったそうです。
そこで、途方に暮れた弓削田村の農民たちは対策を話し合いました。
その結果、土地を潤すには大きなため池を掘る以外にない
ということになり、3年の月日をかけてため池を完成させたのですが、
どのような大雨が降っても全くといっていいほど、
ため池には水がたまりませんでした

そこで、頭を痛めた村人たちが話し合って出した結論が、
おそらく龍神様の祟りに違いないから人柱を立てて
龍神様の怒りを鎮めようということになったのです。




 大浦池

人柱には清純な乙女をということになったのですが、
当然ながら自分から進んで人柱になるという娘はいませんでした。
結局はくじ引きで決める以外に方法がないということで、
村中の娘が両親に付き添われて庄屋の家に集まりました。

くじを引く時間になったとき、庄屋から
「私の家には幼い時から実の子のようにして育ててきた、
お浦という娘がいます。
その娘が言うには、今まで育ててもらったお礼に、
村の人たちのために人柱に立ちたいと言ってきたので、
哀れに思うがさきほど承知した。」との話がありました。

 

村人たちは、お浦の真心にうたれて、涙ながらにお浦に手を
合わせたということです
その日の日暮れころ、お浦は白無垢姿で庄屋に手を引かれて
池のほとりまで行き、村人たちが合掌して念仏を唱える中、
池の底深くに掘られた穴に身を沈めていきました。

翌日、早朝から池のほとりに集まった村人たちは、
目の前の光景にとても驚いたそうです
今までどのような大雨が降っても水がたまらなかった池が、
水をたたえていたからです。
そして、どんどん水かさが増し、満水になったそうです。

村人たちはあまりの出来事に狂喜し、人柱に立ってくれた
お浦に感謝して厚く霊を弔うとともに池の名を「お浦池」としたそうです。


これからのち、お浦池の水は弓削田村の田を潤し、
村が干ばつで悩まされることもなくなったということです
これが現在の大浦池と伝えられています

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