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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

眠る男

2022年07月05日 | ネタバレなし批評篇

群馬県地方公共団体の肝煎で作られた本作は、そこに暮らす人間と自然との関わりを静かに見つめた異色作。私はこの映画を見て、タイ出身のパルムドーラー、アピチャッポン・ウィーラセータクン監督の作品をふと思い出した。本作と同じような“眠る人間”がアピチャッポン作品にもよく登場するのだが、困った点がただ一つ。映画を見ていると異常な眠気に襲われてしまうのだ。その一連のアピチャッポン作品に比べれば、役所広司をはじめとする世界的に有名なアジア人俳優たちの共演は華があり、ストーリーもそれなりに用意されているので、寝落ちしてしまう心配はないだろう。

ロケ地に選ばれた群馬県中条市の山合にポツンと佇む一軒の農家。そこに登山中の事故で意識不明のまま眠りつづける拓次(アン・ソンジユ)がいた。同級生の上村(役所広司)は家業の電気屋を続けるかたわら、地元の人々の近況を訪ねて回る狂言回し。タイから出稼ぎに来ているティア、地元の共同浴場で産まれたばかりの赤ん坊と温泉につかる若い女、知的障害のワタル(小日向文世)、貸し自転車屋のオモニ、水車小屋の番人傳次平(田村高廣)......この映画に描かれてる人物は、自然の厳しさに耐え忍ぶような人々てはなく、自然と共生しその一部となって生を享受している人間たちだ。

まるで森の精霊たちがそうしているかのごとく、風が森の木々を揺らす。青白い闇夜を煌々と照らす真ん丸のお月様。地元の共同浴場からもうもうと立ち上る湯気、大きな水車を回す川の水、森に漂う朝霧や南の女が浴びる泉水にまで、何かしらこの世のものではない息吹が感じられる印象的なショットが続く。そんな時、だんだんと心臓が弱ってきた拓次の魂が、小さな竜巻と共に山に返っていくのである。拓次の葬儀後、神社でもようされた能の見学会でふと呟く傳次平。「死者から生きている人間に語りかけるところが面白い」

生と死が地続きでつながっているここ中条では、人間の死ですら眠りの延長線上にあるようだ。大きな川という意味のスナック『メナム』で歌っていたタイから来た女ティアは狂言を見た後に失踪、夢の中で死んだ拓次の霊魂と出会うのである。「森を抜けたら(あなたが帰るべき)村があります」拓次の助言に従ったのであろうか、亡くした子の魂に呼び戻されたのか、森の木々の緑がいっそう濃くなった頃南から来た女は中条から姿を消してしまう。自然のたゆまざる変化の中に死者の魂がやどり、それがまた次の生へと受け継がれる。何も語られない静謐な演劇的空間と小刻みにカットされたシーンの中で、小栗康平は輪廻転生をたんたんとうたい上げたかったのかもしれない。

眠る男
監督 小栗康平(1996年)

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