
ミヒャエル・ハネケとカンヌ途中退席者数を競っている?ギャスパー・ノエに捧げられた本作品は、一見少女たちのイノセンスを描いたファンタジーのようでもあるが、その実幼児性愛者のロリ魂に火を着けるかなり危ない作品だ。少女版監禁AVと似かよった内容は、間違っても幸満ちゃん事件容疑者のような変態男にはけっして見せてはならない。逆に、この映画を鑑賞して思わす興奮してしまったあなたは、ノエの恋人でもあるルシール・アザリロヴィックの罠にまんまとはめられたあわれな犠牲者ということになる。
森の奥深くにたたずむ全寮制バレエ学校?に閉じ込められたいたいけな少女たち。年齢別に色分されたリボンをつけた少女以外の住人は、(監視係の老婆を除いて)性教育に熱心なびっこのエディス先生(エレーヌ・ドゥ・フジュロール)とバレエの実技指導を担当するエヴァ先生(マリオン・コティヤール)のみという登場人物構成も何やら怪しく秘密めいている。スケスケの純白レオタードや、ミニスカからのぞく細い足&パンチラカット、湖でたわむれる上半身裸の少女たちをとらえたカメラもいかがわしく、泉、蝶の脱皮、噴水など、たとえフロイトでなくともそれとわかる性をシンボライズした描写が顕著な作品だ。
「少女たちの耽美なイノセンス?何言ってんの、おっさんの前ふくらんでるよ。グフフフフッ」という嘲笑がスクリーンの裏側から聞こえてきそうで、観客(特に男性)は自分のロリコン度を映画を見ながらにして試されているようで終始落ち着かない気にさせられることだろう。このルシール・アザリロヴィックという女流監督、絶対日本のオタク系エロアニメを見ているにちがいないと思われ、ロリ演出はかなり的を得ている(ような気がする?)。「究極のイノセンス(原題)とはエロスに限りなく等しい」なんてテーマ性をこじつけられないこともないが、こうして本作品に関する批評を書けば書くほど自分がロリと疑われかねなくなる“毒性”こそ、この映画の本質ではないかと思えるのだ。
エコール
監督 ルシール・アザリロヴィック(2006年)
〔オススメ度

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森の奥深くにたたずむ全寮制バレエ学校?に閉じ込められたいたいけな少女たち。年齢別に色分されたリボンをつけた少女以外の住人は、(監視係の老婆を除いて)性教育に熱心なびっこのエディス先生(エレーヌ・ドゥ・フジュロール)とバレエの実技指導を担当するエヴァ先生(マリオン・コティヤール)のみという登場人物構成も何やら怪しく秘密めいている。スケスケの純白レオタードや、ミニスカからのぞく細い足&パンチラカット、湖でたわむれる上半身裸の少女たちをとらえたカメラもいかがわしく、泉、蝶の脱皮、噴水など、たとえフロイトでなくともそれとわかる性をシンボライズした描写が顕著な作品だ。
「少女たちの耽美なイノセンス?何言ってんの、おっさんの前ふくらんでるよ。グフフフフッ」という嘲笑がスクリーンの裏側から聞こえてきそうで、観客(特に男性)は自分のロリコン度を映画を見ながらにして試されているようで終始落ち着かない気にさせられることだろう。このルシール・アザリロヴィックという女流監督、絶対日本のオタク系エロアニメを見ているにちがいないと思われ、ロリ演出はかなり的を得ている(ような気がする?)。「究極のイノセンス(原題)とはエロスに限りなく等しい」なんてテーマ性をこじつけられないこともないが、こうして本作品に関する批評を書けば書くほど自分がロリと疑われかねなくなる“毒性”こそ、この映画の本質ではないかと思えるのだ。
エコール
監督 ルシール・アザリロヴィック(2006年)
〔オススメ度


