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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

アポロンの地獄

2021年02月21日 | ネタバレなし批評篇


オイディプス・コンプレックで知られているギリシャ神話を映像化した作品。本作がヴェネチア国際映画祭に出品された当時の評価はイマイチで、興行的にもまったくふるわなかったらしいのだが、なぜか日本における評価はすこぶる高い。おそらく、パゾリーニ自ら選曲したと云われている神楽が劇中効果的に使われており、日本の評論家たちの西洋コンプレックスをくすぐったからであろう。よくわからない邦題までつけられて、パゾリーニでさえ予測しなかった変な色に染めれ日本に紹介された1本である。

フェリーニ作品の常連デザイナーでもあるダニロ・ドナティが担当した奇抜なコスチュームもさることながら、日本の神楽ミュージックとロケーションに使われたモロッコ古代遺跡とのミスマッチな演出は、同監督作品『奇跡の丘』で流れていたカリプソ・ミュージック同様、作品に一種独特な不思議空間を生み出している。それは、ほとんど手を加えていないオリジナルシナリオから古典としての固定観念を切り落とし、パゾリーニ独自の映像詩として自由度を持たせるための演出だったのではないだろうか。

その原作古典とは異なった、パゾリーニの脚色と思われる箇所にもここでふれておきたい。プロローグの舞台はパゾリーニ出生の地でもある現代のボローニャ、エディポの出生に始まり、オイディプスのストーリーへと一気に古代へ遡った後、エンディングで再びボローニャへと立ち戻るのである。筋金入りのファシスト党員であった父親から離れ戦時中は母親とイタリア各地を渡り歩いたパゾリーニ。弟をパルチザン運動で失い、自らも右翼批判を繰り返した末ネオファシストたちの手(と推測されている)によって謎の死を遂げるのである。

神託のもたらした予言どおりに封建的な父親をその手にかけ、母親との情交や弟との確執を経て、ついには自らの目をえぐったオイディプスの物語に、パゾリーニ自身の生い立ちがどこかオーバーラップしている自伝的映画なのである。スフィンクスの質問に答えることもなくいきなり暴行を加え討ち果たすオイディプス。テーバイの王座についた後もオイディプスは父親同様権威的で自己の非を決して認めたがらない。まるで、党内ではムッソリーニを救った英雄として讃えられていた父親から受け継いだ“獣性”を、自覚しているのような展開を見せるのである。

スフィンクスの出した質問にオイディプスが出した回答には別に異説があるらしい。質問の回答は人間一般ではなく“オイディプス”自身であるというのだ。

<初めは立派な人間(=二つ足)であったが、母と交わるという獣の行いを犯し(=四つ足)、最後は盲目となって杖をついて(=三つ足)国を出て行く(wikipedia より)>

ホモセクシャルだったと伝えられるパゾリーニが、映画の予言どおり出生の地ボローニャで死ぬことはなかったのであるが····


アポロンの地獄
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ(1967年)
[オススメ度 ]

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