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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

第七の封印

2024年09月26日 | 誰も逆らえない巨匠篇


前作『夏の夜は三度微笑む』の成功で資金を得たベルイマンは、本当にやりたかったことを本作で実現したらしいのです。ヨハネ黙示録に書かれている「小羊(イエス・キリスト)が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。それからわたし(ヨハネ)は、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。(ヨハネ黙示録6-7)」から、“キリストの再臨”までを寓話的に描いた作品です。

聖書に記されている、封印解除後地上に表れる赤い竜や反キリストの獣などは、当時キリスト教徒を迫害していたローマ帝国や皇帝のメタファーになっているというのが通説で、表面上読んだだけではわからないようにあえて暗号めいた表現にしたらしいのです。つまり、今はにっくきローマ帝国にボコボコに迫害されている私たちだけれど、今にみていろキリスト様が復活して復讐してくれるから、それまでの辛抱じゃ同士たちよ!と、各地に散らばっていた教会信者たちの結束を呼びかける目的があったのだとか。

この「善と悪との戦い」という文脈は、支配者が国を統治する上で大変便利なレトリックであり、戦争をおっぱじめる時に過去幾度も利用されてきたのはいわずもがなでしょう。聖書にも書かれているんだからこの戦争は正しい、私は善なのだ、正義なのだと。クリントン、ブッシュ、オバマ、バイデン。ネオコンに牛耳られた外政干渉政権が用いるスローガンには、必ずといっていい程耳ざわりのいいキリスト教的な表現が用いられるのです。このヨハネ黙示録は引用元としてその最たる書といってもよいでしょう。

じゃあベルイマンもこの映画で“善と悪の戦い”を描いたのか、というとおそらくそうではないでしょう。同じく黙示録に記されている神の救済から漏れた人々をクローズアップした作品だったのではないでしょうか。
“しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である(ヨハネ黙示録21-8)”
騎士と従者→人殺し・信じない者、かじ屋→おくびょう者、姦淫を行う者→座長とかじやの女房、魔女→まじないをする者・忌むべき者、料理女→偶像を拝むもの、神学者→すべて偽りを言う者。

えっ、ちょっと待って。うんじゃぁ肝心のキリストはどこに出てくるのかって?唯一生き残った善良な旅芸人カップル(ビビ・アンディション& ニルス・ポッぺ )の赤ちゃん、怪しくないっすか。お尻まるだしのバックショットになぜかボカシがはいっていたこのかわゆい赤ちゃん、実はイエス・キリストが再臨した姿だったのではないでしょうか。死神に率いられた“許されざる者たち”は、この赤子こそがメシアであることに(我々同様)誰一人気づかなかったのです。人々に光をもたらす神(の子)が目の前にいるにも関わらず、“神の沈黙”を嘆き続ける人間の愚かさを描いた作品だったのかもしれませんね。

第七の封印
監督 イングマール・ベルイマン(1957年)
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