goo blog サービス終了のお知らせ 

ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

泥の河

2011年09月20日 | なつかシネマ篇
フリーの助監督から映画監督になった珍しい経歴の持ち主・小栗康平のデビュー作。1981年の公開当時、国内外の各賞を総ナメにした本作は、宮本輝の同名小説を映画化している。主人公の少年をはじめとする子供たちの、とても演技とはおもえないナチュラルな演出が評価された1本だ。

昭和31年の大阪。河べりで大衆食堂を営む晋平(田村高廣)と貞子(藤田弓子)の夫婦。晋平は、歳をとってからでさずかった一人息子・信雄がかわいくてたまらない。河の向こう岸に停泊した宿船に住む喜一と銀子の姉弟と友だちになった信雄は、板壁をはさんだ隣室にいる母親らしき人物に「ここにはもう来ない方がいい」といわれるのだが・・・・・・

『ALWAYS 3丁目の夕日』や『コクリコ坂』における“昭和”は、人情味あふれるノスタルジーに覆われた幸福の時代として描かれているが、本作の時代背景となる“昭和”は戦争の暗い影をいまだにひきずっている。自分の馬車に轢かれて死んでしまう鉄くず回収業の男(芦屋雁之介)、朝鮮戦争の物資輸送中に生命をおとした姉弟の父親。せっかく戦争で生き残ったのにスカのように死んでいった者たちである。

信雄の父・晋平もまた満州から戻ってきた生き残りで、貞子との情事で信雄ができてしまったがために、妻を故郷に捨ててきた過去があり、家業の金鍔作りを今も未練たらしく続けている。「ワイもスカのようにしか生きられへん」大阪の河べりに集まってくる男たちはみな、映画の通奏低音として流される戦争の生傷がいえないまま、生き残ってしまったことへの引け目を感じているのだ。

生活感丸出しのたくましい貞子役の藤田弓子とは対照的な、貧乏姉弟の母親役加賀まりこの(わずか2つの)登場シーンが印象的だ。板塀に隔てらた廓舟の一室で、旦那が死んでから(泥の中の大鯉のように)丘の人間とは隔絶した生活を送っていると信雄に語る母親。板塀の向こうから顔もみせずに声だけで姉弟と会話するこの美しい女は、普通の母親としての義務を遠の昔に放棄していたにちがいない。

「(貞子と一緒に風呂に入った銀子のたのしそうな声をきいた喜一が)お姉ちゃんがわらっとる」「(貞子を評して)お母さんって石鹸の匂いがするんだね」「こうやって米びつに両手をつっこんでいると温いんよ」これら何気ない姉弟の台詞から、廓舟における実の母親との複雑な関係が浮かび上がってくる演出はお見事。信雄一家の親切に甘えながら、母親の職業に負い目を感じて心の中に一線を引いている銀子がなんともいじらしい。

天神祭の帰り道、炎に包まれた沢蟹に導かれ、ついに信雄は接客中の喜一の母親を目撃する。やくざ者に体をまさぐられながら信雄の目を見つめ返す母親の目は、まるで死んだ魚のように無表情だった。純粋無垢な子供にとって何と厳しい社会の現実であることか。つかの間他人の優しさにふれた銀子と喜一の姉弟は、この後どのような人生を送っていくのだろう。あの『ロゼッタ』のように頑な少女にだけはなってほしくないと願うだけなのだが。

泥の河
監督 小栗 康平(1981年)
〔オススメ度 




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« チャイナタウン | トップ | ゴーストライター »
最新の画像もっと見る