
前作『彼岸花』で山本富士子を借りたお返しに松竹ではなく大映で製作されたという。脚本の野田高梧以外はカメラの宮川一夫をはじめほとんど大映スタッフで固めた本作は、小津らしくない異色作と称されることが多い1本だ。
時代錯誤として本作を一蹴した佐藤忠男や、型にはまった豆腐屋的小津作品を好む蓮實などもおそらく本作を高く評価しないだろう。当初計画していた北陸を雪不足の為断念、生まれ故郷である三重県志摩を初めてロケ地に選んだ小津としては、自身が撮ったサイレント映画『浮草物語』のセルフリメイクでもある本作は、原点回帰的試みでもあったのではないか。
映画冒頭、空舞台で映し出される灯台の手前にある堤防に、ポツンと置かれた形の似た一升瓶。毎度お馴染みのバーバー“小川軒”では、娘にちょっかいをだそうとした芸人の男に肝っ玉母さんによるカミソリの刑が下る。娼館でチューをすするスケベ3人組には、厠帰りの賀原夏子を絡ませたかと思えば、劇中劇で一座の看板娘である加代(若尾文子)が踊るよさこいの脇で、おひねりをねだる小坊主に投げキッスをさせる等々、松竹作品ではあまり見ることができない小津のコメディセンスが旺溢しているのだ。
芝居小屋の舞台裏で繰り広げられる悲喜こもごものドラマの合間に桜吹雪を散らしたかと思えば、拍子木を効果音に用いた外連味を感じさせる演出は、もしかしたら溝口健二を意識しているのかもしれない。その溝口が最も得意とし、自身最も不得意とする男女のラブシーンにも果敢に挑戦している小津。若尾文子と川口浩のキスシーンなどは観ているこちらが恥ずかしくなるほどぎこちなく、お世辞にもこなれているとはいいがたい。
隠し子である清を加代に誘惑させたスミ子(京マチ子)とそれに憤慨する駒十郎(中村鴈治郎)が対峙する有名なシーン。アグファの赤が映える番傘を剣と盾に見立てた雨の決闘シーンは、まるで黒澤のアクション映画を見ているかのような迫力、というのはちといいすぎか。しかしながら、「アホ ばかタレ アホンだら」と、京や若尾相手に平気で手を上げ暴力をふるう鴈治郎に対してけっしてやり返さない女優たちは、やはり小津調の女なのである。
所詮はと実の息子にも父であることを告げず、浮草くらしを決め込んでいた旅芸人一座が、一つ場所にとどまったとたんに訪れる悲劇。義理人情を忘れた登場人物たちの、嫉妬や裏切り、性癖といった煩悩が一気に開花。折からの雨も手伝って客足は減る一方、終に一座は根ぐされをおこし解散に追い込まれてしまうのだ。すべてを失った駒十郎とスミ子は、まさに原点回帰、また一から出直すため夜汽車に揺られるのであった。夫婦水入らずの手拭いを頭に載せて。
浮草
監督 小津安二郎(1959年)
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