
24年ぶりに故国スペインに戻って撮った問題作。ブニュエル本人はしぶしぶの帰郷だったらしく、フランコ独裁政権下のスペインには正直帰りたくなかったというのが本音だろう。イタリアの聖女の名前をタイトルに冠した本作は、ブニュエルお得意のアンチ・クライスト映画、封切りと同時に各方面で物議をかもし、イタリア及びスペインでは早々と上映中止が決定したという。検閲前に息子にこっそり持ち出させたバージョンが、カンヌでパルムドール最高賞を獲得したという曰く付きの1本なのである。
修道誓願前の見習い修道女ビリディアナが、パトロンでもある金持の叔父宅に呼ばれ、ビリディアナを屋敷に引き留めるため足フェチの叔父さんが自殺してしまうまでは、この映画の単なる前フリにすぎない。キリスト教のみならず宗教における“救済”や“慈悲”に対して大いなる疑問を投げかけた映画後半こそが、ブニュエルが仕掛けたタブーへの挑戦なのである。
叔父さんの死後邸宅の改修にのり出しにやって来た従兄弟が、馬車に繋がれた犬を助けるシーンに実は本作のエッセンスが凝縮されている。一匹だけ助けたってそれが何になる。一部の乞食だけに施しを授けて聖女気取りのビリディアナにしたっておんなじさ。所詮傲慢な偽善者のマスターベーション、助けられる者の気持ちなんか聖人面のこいつらにわかってたまるか、と言わんばかりに悪意に満ちたシークエンスをこれでもかと繰り出すのである。
ビリディアナを演じたシルヴィア・ピナルは本人たっての希望だそうだが、そのビリディアナが屋敷に呼び寄せる乞食の皆さんのキャスティングに関してはえらく慎重だったというブニュエル。片手がハンセン病のオッサンはマジもんの物乞らしく、そんな乞食のみなさんをモデルにした“最後の晩餐”シーンは圧巻としかいいようがない。ビリディアナ達のいない隙に母屋に侵入しらんちき騒ぎを繰り広げる皆さんを、まさかキリストとその弟子たちにオーバーラップさせてしまうとは、ブニュエル流石である。
今でこそ世界中で崇め奉られているキリストやその弟子たちも、当時の一般人からすればロクすっぽ働きもしないで、わけのわからないお祈りばかりを唱えているナマケモノの乞食集団にしか見えなかったはず。聖人も一皮剥けばそこらにいる俗人と何らかわりばえのしない、いなそれ以下の、神出鬼没の縄跳び少女に「(お前ら)鶏と寝ろ!」と冷たく罵られても当然の存在だったのかもしれないのである。
ビリディアナ
監督 ルイス・ブニュエル(1962年)
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