ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ラスト・ショー

2019年03月04日 | なつかシネマ篇

テキサスの田舎街で、元カウボーイのサムが経営する映画館とビリヤード場で暇つぶしをする若者や大人たち。石油を採りつくした後では、“退屈”の2文字しかこの町には残っていない。高校卒業を間近に控えたサニーたちは、SEXに精を出すことぐらいしかやることがなかった。

しかし、こんなにも味気のないSEXシーンを映画で観たのは初めてである。ひたすら義務的で殺伐としているため、死臭さえ感じるくらいだ。町一番のカワイ子ちゃんジェイシー(シェリル・シェパード)が初々しいヌードを披露しているものの、デュエイン(ジェフ・ブリッジス)同様、観客が性的興奮を覚えることができない様に監督は用心深くカメラを回している。BGMで流れるカントリーソングの数々も、まるで気の抜けたビールのように味気なく、明るいはずの音楽が湿っぽくさえ感じられる。

フロンティアを失ったアメリカが朝鮮戦争へと突入していく病んだ時代、生きる目的を失った多くのアメリカ人は、この映画の登場人物たちと同じような気持ちだったのではないだろうか?「何もしないで、よぼよぼになって死んでいくことほどバカげたことはない」と語る<ライオンのサム>は、自らの経営するビリヤード場や映画館で、<生きるための何か>をサニーたちに伝えたかったのかもしれない。

朝鮮戦争へ派兵されるデュエインがサニーとともにラスト・ショーを観るシーンがある。テキサス魂の象徴ジョン・ウェインが新たなフロンティア=ミズーリを目指す雄叫びは、サムのいない映画館にただ空しく響いていた…

ラスト・ショー
監督 ピーター・ボグダノヴィッチ(1971年)
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