
ハッキリいってこれは淫行である。夢も希望もない中年ピアニストリチャード(リチャード・ジョンソン)とあり得ない恋に落ち結婚までしてしまうステラ(パメラ・ヴィロレージ)の設定年齢が、ななんと17歳だからだ。モン・サン=ミッシェル→ブルゴーニュ海岸→パリのモンマルトル....まるでパッケージツアーのようなフランス名所を旅するベタなラブストーリーは、コテコテの韓国ドラマを見ているかのようだ。
B級映画専門のイタリア人監督に、場違いなイギリス人俳優、しかも台詞は英語。白血病におかされ余命3か月の宣告を医者から受けている少女の恋物語は、登場人物も非常に少なくストーリー自体になんの捻りもない。あの『カサンドラ・クロス』と2本立て上映で公開されたというオマケまでついている。しかし、この映画一度見ていただければわかるのだが、ねぜか“泣ける”のである。どうせ白血病の少女がエンディングで死ぬだけの話でしょ、なんでそれで泣けるの?
おっしゃる通り。ハミングまじりの印象的な劇伴、そしてリチャードがステラのために作曲したピアノ・コンチェルトがまず場を大いに盛り上げている。海岸で波と戯れる2人をとらえたロングショットも確かに美しい。しかしたったそれだけの演出では、還暦近いオヤジのハートをこれだけ揺さぶるとは考えにくいのである。実はこの映画にはもう一つ、ある悲しい秘密がシナリオの中にこっそりと隠されているのである。
そもそも17歳の少女ステラはなぜ、同年齢の小僧ではなく自分の父親ほどに年の差があるリチャードと恋におちたのだろうか。そこがこの映画最大のポイント。父親には捨てられ母親をすでになくしているステラ。その上病弱だった少女は、おそらく友人も恋人も家族もいない天涯孤独の身の上だったはず。余命幾何もないステラにとって、友人にも恋人にも父親にもなり得る条件にぴったりと当てはまったのがそのリチャードだったのではないだろうか。
「本当は父に会うのが怖いの。会えるまで一緒にいてくれる?」このステラの台詞も実に意味深である。“父”を“神”に置き換えると、死を恐れていた少女ステラが死ぬまで側にいてくれることを、リチャードにお願いしたようにもとらえられるのだ。夢を諦めたリチャードに幻滅し一度別れたステラが実の父親に会いに行くシーンが秀逸である。(ステラの金目当てに)そこにリチャードがひょっこりと現れるのである。「(夢を諦めただなんて)この嘘つき男!」それは嘘から始まった恋が真実の愛へと変わった(現実に夢が勝った)瞬間でもあったのだ。
ラストコンサート
監督 ルイジ・コッツィ(1976年)
オススメ度[


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