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気が向いたとき、気が向いたことを、適当に並べてみようと思います。

テレビと私(12) 「そして下町は消滅した 東京大空襲」

2005-03-07 00:05:46 | テレビと私
NHKスペシャル「そして下町は消滅した 東京大空襲・60年目の真実」について

 NHKスペシャルを見るのなんて数年ぶりだ。ここ5年くらい、見た記憶がない。今日は21時からNHKスペシャル「そして下町は消滅した 東京大空襲・60年目の真実」を見た。

 NHKお得意の戦争季節もの。東京大空襲の3月10日が近いとあっての企画だろう。まだ小学生にも上がらない頃に原爆被害の火傷をもつ人々の写真展につれていかれ、トラウマとなっている僕には、こうした空襲被害の映像ものは、なるべく避けている。しかし、佐々淳行氏の戦争体験の書籍を読んだばかりで、興味はある。イチかバチか、そういう火傷の写真はないだろう、見てやれ。



 久しぶりに見てみて、やはりNHKのドキュメントのテンポはタルい。もっと多くの情報をわかりやすくテキパキと伝えてほしいが、視聴層を考えると、いたしかたなかろう。また、話の重みという意味でも、テンポのよさは逆効果かもしれないし。



 さて、戦争とは、「この世のものと思えない」現象を、ここまで簡単につくりだせるのだろうか。

 東京大空襲で合衆国が採った戦術は、人を人と思わないもので、凄惨な状況を生み出すものだった。都市部の空襲による一般市民への攻撃で、戦意を喪失させ、労働力を減退させて戦争終結に持ち込むという戦略の元に行われた東京大空襲の戦術。

 実は空襲による戦意喪失という目的は結局成功した試しはないらしい。日本がポツダム宣言を受け容れたのは、ソ連の侵攻だったし、ドイツでも東西両戦線が突破されたがゆえの降伏だったのだから、空襲という戦略の残虐さはますます際立つ。二つの原爆が実験でしかなかったというのもうなずける。

 それまでの空襲は、軍需工場を標的にしたピンポイントのものだったが、新参謀の企画で、一般住民の家屋に広く爆撃する戦術がとられた。

 東京大空襲で使用された爆弾は、日本の木造家屋という性質に着目したものだった。低空で爆撃を開始し、ジェル状のガソリンを含有した爆弾は、日本家屋の屋根を貫通して、着弾した後に飛び散り延焼していく性質のものだったらしい。家を内側から燃やすわけである。

 これにより、下町地区は豪火につつまれる。火災によりまきおこった風は、風速40メートルを数えたらしい!避難場所として住民が集まった国民学校にもその火は食いつき、その風速で一瞬にして表裏のガラスを一気に貫通して校舎を包み込む。その火と風の凄まじさ。

 プールに火を避けた人々も、その大混雑、おしあいへしあいに水の中に沈められてしまった人々も多数いたようだ。沈められた人を踏んでいても身動きできない。そんな生き地獄。

 炎上する地域を避け、やむを得ず川に入った人々も、その冷たさ(今の季節だからまだ寒い。水温2度だったらしい。)で凍え死んだ人々も多数。

 防空壕に逃げ込んだ人々も、屋根には板や畳を使っていたから、火の粉が燃え移り、閉じ込められての焼死が続出した。

 次の日の東京では、死体が密集した袋小路や、川に浮かぶ多くの死体と凄惨を極めた。



 体験者の涙、描く絵、全てが印象的だった、僕にとっては幸い、実際の焼死の写真が出なくて助かった。。。

 それにしても、この世のものとは思えない。人が人を殺すという構図は、しかも大量虐殺という構図は、こんなにも凄惨を極めるのだろうか。


■ここにトラバ打ちました
東京大空襲【どうして私、絵を描くの】
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皇国の荒廃この一帯にあり【いか@ :インドで働いたこと(7/4-19)。】
NHK「東京大空襲 60年目の被災地図」【Rocketeer! FlightLog】
戦後60年 日野原重明さん・森英恵さんの証言【NOPOBLOG】



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東京大空襲 体験証言集(DVD)



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