大相撲人気のリサーチで、おもしろくないと思っている人が70%、内、その理由としてスター力士がいないからというのが70%にのぼるというデータがある。
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上記サイトにその詳細があるのだが、直にソースを示すことはできない。ネット上だと会員登録をしないと参照できない仕組みになっている。僕は無料メルマガに登録していて、メール上でだけ、結果を知ることができた。転載が禁じられているので、コピペもはばかられる。。。
で、相撲人気は若貴ブーム以来下がっているという実感もある。スター力士がいないというのもうなずけるものではある。
無類の強さを誇る朝青龍関。しかし、スターとは認識されていない。実際、人気があるようにも感じられない。なぜだろう。
一つは外国人力士という点だろう。強さが人気へとつながった外国人力士は小錦関までで、曙関以降はそうした流れがなくなってしまった感がある。曙関はむしろ若貴に対するヒール役という感じ。武蔵丸関は、そのブームに飲み込まれ、目立たなかった。そして、朝青龍関へとつながる「三役をこえる外国人力士」。
曙関以来、外国人力士が珍しくなくなったことで、日本文化の侵略者のようなイメージをもたれるようになったのだろうか。相撲を観る日本人にとっては、ナショナリズム的な気持ちが小さくどこかにあるのかもしれない。
二つ目として、ライバルの不在という点があげられると思う。一人勝ちというものは、見ていておもしろいものではない。スリルがドキドキ感がないと、興味は薄れるだろう。個人的に琴光喜関に期待していたが、ダメだ。名前からもってセンスが悪いしな。琴桜にしておけばよかったのに。。。
で。貴乃花関、若乃花関には曙関がいた。千代の富士関には北尾関、小錦関。千代の富士時代は、四横綱四大関がいた。強いものが並立していないとストーリーにおもしろさが出ないのである。
三つ目は、個人の性格に起因するだろう。トラブルを起こし、奔放なふるまいでワイドショーにとりあげられ、横綱不適格というイメージが浸透してしまったのだろう。
横綱に要求されるのは心技体の三要素という。若さで割り引いても、どう見ても心が弱い。あの小さな体で他の力士をバタバタとなぎ倒すのは、非凡の素質であるが、心の面が伴わないため、横綱として不十分のように見える。
貴乃花関も若くして横綱になり、大横綱と呼ばれるようになったが、結局心の面は最後まで埋めることはできなかったように思っている。それでもなお人気があったのは、若乃花関、曙関との構図、ストーリーや、サラブレッドという地位だとか、相撲の巧さ強さがそれを埋めて余りあるものだったと思う。
また、心の問題にしても、終始ワイドショーを騒がせ続けたものの、相撲に対する求道者的な姿勢は一流だった。逆にそれが怪我をおしての出場につながり、相撲人生を短くしてしまったのは残念でならないのだが。
朝青龍関には、相撲への情熱も人間的深みも感じられない。それが人気が出ない原因だろう。そうしたイメージはなかなか消えることもないので、ここは新たなスターを待つしかないのだろうか。相撲人気が復活するためのクリアすべき要素はたくさんある。
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2005-03-05 23:54 芸能と私(1) 襲名
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二つ目として、ライバルの不在という点があげられると思う。一人勝ちというものは、見ていておもしろいものではない。スリルがドキドキ感がないと、興味は薄れるだろう。個人的に琴光喜関に期待していたが、ダメだ。名前からもってセンスが悪いしな。琴桜にしておけばよかったのに。。。
で。貴乃花関、若乃花関には曙関がいた。千代の富士関には北尾関、小錦関。千代の富士時代は、四横綱四大関がいた。強いものが並立していないとストーリーにおもしろさが出ないのである。
三つ目は、個人の性格に起因するだろう。トラブルを起こし、奔放なふるまいでワイドショーにとりあげられ、横綱不適格というイメージが浸透してしまったのだろう。
横綱に要求されるのは心技体の三要素という。若さで割り引いても、どう見ても心が弱い。あの小さな体で他の力士をバタバタとなぎ倒すのは、非凡の素質であるが、心の面が伴わないため、横綱として不十分のように見える。
貴乃花関も若くして横綱になり、大横綱と呼ばれるようになったが、結局心の面は最後まで埋めることはできなかったように思っている。それでもなお人気があったのは、若乃花関、曙関との構図、ストーリーや、サラブレッドという地位だとか、相撲の巧さ強さがそれを埋めて余りあるものだったと思う。
また、心の問題にしても、終始ワイドショーを騒がせ続けたものの、相撲に対する求道者的な姿勢は一流だった。逆にそれが怪我をおしての出場につながり、相撲人生を短くしてしまったのは残念でならないのだが。
朝青龍関には、相撲への情熱も人間的深みも感じられない。それが人気が出ない原因だろう。そうしたイメージはなかなか消えることもないので、ここは新たなスターを待つしかないのだろうか。相撲人気が復活するためのクリアすべき要素はたくさんある。
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