Anteeksi.

すみません、ちょっといいですか。フィンランド留学の見聞録。

タリン

2009-09-01 | フィンランドぶらり旅
ヘルシンキに滞在中の指導教官、研究室の後輩と三人でエストニアの首都タリンまで一泊二日の旅。

自分にとってタリンは二回目だけれど、前回は冬だったので、だいぶ風景の印象も違った。薄暗いバルト海に面して哀愁を誘う冬の旧市街もいいけれど、生き生きと色づく夏もやっぱり素敵だ。
城壁で囲まれた旧市街は、中世ヨーロッパの趣を残し、ユネスコの世界遺産にも指定されている。比較的歴史の浅いヘルシンキでは味わえない類の街歩きの楽しさがある。

 

ヘルシンキからタリンは、直線距離にして約100km程度。船で二時間ほどで気軽に訪れることができて、実際、前回は日帰り旅行だった。
一昔前は、フィンランドとエストニアの物価は数倍も違いがあり、しばしばフィンランド人はタリンに出かけてはお酒や食糧などを買い込んだと言うが、さすがにここ数年でだいぶその差は縮まったようだ。スーパーなどを覗いても、まぁたしかにフィンランドよりは多少安いかな、という程度(もっともこれは観光客向けの値札かもしれない)。
旧ソ連の解体以降、エストニアは急速に西側諸国に近づき、2004年には、EU, NATOにも加盟している。ロシアとの関係は大丈夫なのかといらぬ心配をしたくもなるけれど(なにしろフィンランドはロシアの影響もあり、未だにNATO加盟に踏み切れない現状がある)、まぁ少なくとも表向きは、それなりに色々と恩恵も受けて、政治経済その他うまく回っているようだ。次世代を支える柱となるべき産業が十分に育っていないのが不安要素でもあるとは耳にしたけど。

エストニアの歴史は、フィンランドのそれと類似性があるように思う。つまり、中世以来、周辺の大国の支配を受けながら、20世紀になってからロシア革命の混乱に乗じてやっと独立できた、という点だ。特にエストニアに影響を及ぼしたのは、デンマーク、ドイツ、ポーランド、スウェーデン、そしてロシア。数百年にわたり、大国間の利害が複雑に衝突し合う場だった。タリンとは、エストニア語で「デンマークの街」という意味らしい。
しかし、第二次大戦でどうにか独立を維持したフィンランドと違い、エストニアは間もなく再び旧ソ連の体制に取り込まれてしまう(日本人には理解されにくいかもしれないけれど、フィンランドは、紙一重のところで旧ソ連に取り込まれていたかもしれないのだ)。次に独立したのが1991年。そう考えると、この国の自由の歴史というのは、非常に浅い。
ロシア正教の教会が観光名所となっているし、マトリョーシカはどの土産店でも見かける。でもこういうのは、エストニア人としてはどういう感覚として捉えられるのだろう。

ちなみに、エストニア語は、フィンランド語にとてもよく似ている。前回は気付くはずもなかったけれど、街の標識、レストランでのメニューなんかを眺めていると、よく分かる。フィンランド人は、特にエストニア語を勉強しなくとも、エストニア人の言うことの何割かは理解できるらしい。

  

マニアックなことにエストニアを一週間かけて旅行しているという、これまた別の研究室の後輩と合流し、夕食。ここにも小VALDES誕生。こういう機会に、色々と皆でゆっくりお話ができたのは、とてもよかった。

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