Tao Planning-道

あなたは、この世界でとっても大切な人です。
なぜならあなたは、この世にたった一人しかいないから。
特別な存在です。

徳-continuance2"天国と地獄(Heaven and hell)"

2008年06月19日 10時24分31秒 | 良斗からの贈り物
天国にも地獄にも同じように大きな釜があり、
そこには同じようにおいしそうなうどんが煮えています。
ところが、そのうどんを食べるには、長さが1メートルほどの
長い箸を使うしかないのです。

地獄に住んでいる人はわれ先にうどんを食べようと、
争って箸を釜に突っ込んでうどんをつかもうとしますが、
あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。
そこで他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、
ケンカになってうどんは散乱し、
誰一人目の前のうどんを口にすることはできないのです。
おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。
それが地獄の光景だそうです。

それに対して極楽でも、同じように大きな鍋でうどんがぐつぐつと煮えていて、
同じように長さ1メートルのお箸を持っています。
自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、
「あなたからお先にどうぞ」
と食べさせてあげるのです。
するとうどんを食べた人も、
「ありがとう。次はあなたの番です」
と、お返しにうどんを取ってあげます。
ですから極楽ではおだやかにうどんを食べることができ、
みんなが満ち足りた心になれます。

さて、みなさんは、どうお感じになられたでしょうか?
同じものを同じ条件で与えても、心ひとつでこんなにも違います。
気づきましたか?
そう、ようは自分の問題です。
同じ状況でも自分の心が違えば(利他愛)それは、徳として現れ
あなたに良い結果をもたらします。

あなたが本当に幸せになりたいなら、自分をもっと大切にする事です。
自分を大切にできる人は、他人も大切にします。
それが徳として残り、幸せな人生がそこにはあります。

さて、この徳は、貯蓄する事ができます。
貯蓄したものは、自分の子孫へ残す事もできます。
素晴らしいですね。
自分の残した徳で子孫が幸せになってくれたらうれしいじゃないですか。
私は、常々子供たちに何を残してあげられるかと思っています。
それは、徳そのものではなく、徳を積むことの素晴らしさ。
それを教えてあげられれば最高だと思っています。
自分が徳を積んで残す事は、がんばればできるでしょう。
しかし、それは一時の繁栄であって、永続するものではありません。
永続させるには、その方法を教えてあげる事です。
その方法が「自分を愛する事」
これのみです。
徳を積める自己愛は、自己中ではなく、
苦労を喜びに変える力があります。
人様のためにやらせて頂くことへの喜び。
人様から「ありがとう。」
この言葉を何よりの喜びにできる人間に育てる事です。
言い換えれば、私自身がこの言葉を何よりの喜びとして
生き続ける事でしょうね。


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徳-continuance1

2008年06月17日 08時48分58秒 | 良斗からの贈り物
人間には、利他愛というものを持たされています。
他を愛し、慈しむ心です。
その心があれば、人を打つ事はありません。

こう考えてください。
自分は、この世を作った神です。
人間一人ひとり、あなたが作り幸せに生きていけるように
幸せになるための法則を作りました。
この世で起こるすべての事をあなたが決めて実行しています。
自分がつくった人間たち、つまり自分の子供たちが幸せになるように・・・です。
その子供たちは、あなたが作った事は、知っていてもなかなか
幸せになる法則に従おうとはしません。
神であるあなたは、何とか我が子に幸せになってほしいので
その道へ進むようにいろんな出来事を起こしその道へと導きます。
中には、その道のりで文句をいう子ややる前から出来ないと決めつける子がいます。

神であるあなたならどうしますか?
その子を切り捨てたり、諦めたりしないはずです。
我が子に何とか幸せになってほしいと思うでしょう。

あなたの中の神様も同じです。
あなたが幸せになるためなら何でも現実化してくださいます。
それが人間的に良い事であれ悪い事であれ。
あなたが望んだことは、何でもです。
「そんな訳ない。現実に私は、不幸だ!
                              思い通りの人生になっていない」
とおっしゃる方が居られるとすれば、それはご自分の心の中で
「私は、不幸だ。思い通りの人生なんて送れない」
と言う心があるのではないでしょうか。
ある意味、思い通りの人生ですよね。
でもね。
あなたは、愛という大きな力を持っています。
それを自分は使わずに人からもらおうとします。
「人類皆兄弟」なんてCMがかなり昔にありましたが
正しく、そう考えると人に対し、また自分に対し
いやな思いをすることなく、お互いを支えあって生きれるのです。

以前、天国と地獄の違いについて書いた事があります。

続きは、また後日・・・

つづく

徳-virtue

2008年06月16日 14時49分30秒 | 良斗からの贈り物
人間には、"徳"というものがあります。

大辞泉によれば、「精神の修養によってその身に得たすぐれた品性」

品性とは、その人の人格とでも言いましょうか。

精神の修養とは、道を知ること。

この世にある宇宙自然の法則に従い、愛を持って生きる事。

つまり、人間として当たり前の心で生きる事です。

山にこもる必要はありません。(笑)

宇宙自然の法則の中で重要なのが原因と結果の法則、カルマの法則です。

この2つの法則は、大変に似ています。同じものと言ってもよいかも知れません。

生きている中で自分が作った原因があり、その結果未来が決まるのです。

例えば、イライラしてその人に何の罪もないのに人を叩いたとします。

これは、自分勝手な行いで人の心を傷つけ相手に嫌な思いをさせてしまいます。

その時は、すっきりするでしょう。

その結果、あなたは人にもっとひどい仕打ちを受ける事になります。

同じ目にあったり、怪我をしたり、病気になったり。

これは、"必ず"そうなります。

その時「何でこんな事されなきゃいけないんだ!」

とか「何で私だけ・・・」

人を打ったのは、遊びかもしれません。

冗談かも知れません。

でも、それでその人が気づいた事に変わりはないのです。

"人の心を傷つける事は、重罪なり"と神様は言われます。

どれくらい重罪かと言うと現世で人殺しをするのと同じ罪です。

では、どうすれば徳のある人生が送れるのでしょう。


つづきは、また次回。

神様と人生

2008年06月11日 11時35分42秒 | 言霊
神様って何だろう??
どんな方なんだろう??
そう思った事はありませんか。
私にも守護神がいますが、普通のおっさんです。(笑)

江戸時代の国学者 本居宣長は「古事記伝」の中でこう定義しています。

「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて
      可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云(い)ふなり」

尋常とは、いつの時代でもという意味。
徳とは、大辞泉によれば精神の修養によってその身に得たすぐれた品性とあります。
品性とは、道徳的基準から見た、その人の性質。人格。
可畏き物とは、恐ろしいほど可能性に満ちたものとでもいいましょうか・・・
迦微は、神であり、本来は、言葉では表せないとしいてます。

"どんな時代でもすぐれた品性を持ちいろんな可能性をもったものを神という。"

と私は解釈しています。
だから、昔の方は、自然を神として崇めてきました。

そこで良く考えて頂きたいのは、すぐれた品性を持ちいろんな可能性をもったもの・・・
それは、人間です。
人間は、本来神であると私は思います。
旧ブログの「神の章」にも書きました。
そう、神とは自分の外にあるものではなく内なるもの。
先にも自分の人生を決めているのは、自分自身だと書きました。
そんな事が出来る人間ってすごいと思いませんか。
自分の人生には、多くの方の運命も絡んできます。
その方々をも巻き込んで、人生を決めているのです。
どんな出来事があっても、どんな状況に置かれても
それは、自分が自分で決めた事です。
自分の人生は、自分でプロデュースできるのです。
楽しいと思いませんか。
自分で決めた事が即、自分の人生になるのです。
そこで問題になってくるのが、自分の中にあるマイナス面です。
それも自分の人生を左右する大きな要因です。
人生を考えた時にどうしても悪い方向にしか考えられない人が居られます。
そんな時は、自分の中の神様にきいてください。
"私は、どうすればいいでしょう??"
そうると神様は答えてくださいます。
「あるがままに」って!
あるがままとは、なるべくしてなる。必然に。という意味です。
「そんないい加減な!」
と言わないで下さい。
悩んで止まっていても、ふっ切って先に進んでも同じ1秒です。
時間は、自分の意思とは、無関係に進んでくれます。
その流れに流されてみては如何でしょうか?

私の母の口癖が「何とかなるさ!」です。
最近、妻も良くこれを言いますが、本当に何とかなってます(笑)
あるがままにとは、その人に必要な事が必然的に起こるという事です。
在りもしない未来を見て恐れるより、「何とかなるさ!」
と行動を起こして見るのも良いのではないでしょうか。

人生は、苦しむものではなく、楽しむものです。
って言うと
「それは、良斗だからできる事だ!」
と言われる方が居られますが、私と皆さんと何が違うって
何も違わないです。
人よりちょっとだけ、目覚めたものを持っているだけです。
後は、普通のおじさんです(笑)
こんなおじさんでも楽しく生きているのだから
若い皆様でも諸先輩方でも、もっともっと楽しく生きていけます。
すべては、自分の問題です。
誰の責任でもありません。自分がどうしたいか。
それを自分で決めて行動を起こしてください。
止まっていても何も始りませんよ!
人生を楽しんでください。

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心が人生を創る

2008年06月04日 16時39分01秒 | 言霊
ある方の守護霊様が「良斗さん。人間は、因果律に左右されて、
それを怖いと思っていますが、実のところ因果律は自らが
起こしている現象にすぎないのです。神が起こしている訳でも
私達が起こしている訳でもありません。
自分が"しでかした"事の結果に過ぎないという事を気づかないですね。
良斗さんがいくら言ってくださっても良い話、確かにそう。と
その時は、思うのですがそれで終わっています。
それを自分の事と捉え、実行する事が重要なのです。
どうか、もっともっと実行しやすい方法を教えてやってください」
そう言われました。

実際、頭で分かっていても行動に移せない方が非常に多いです。
それは、自分を守ろうとする余り、結果ばかりを気にするからです。
結果なんて後で付いてくるものです。
いくら考えても机上の空論にすぎません。
仮想現実であり、本当の現実はそうなるとは限りません。
それをどう自分の行動に反映するかが問題なのです。
今、この瞬間をどんな心居るかが最大のポイントです。

こんな実話があります。
A君とB君と言う2人の青年がいました。
ボランティアをしていて困っている方々をお助けようと2人は来ました。

A君は、本当に困っている方々に自分は何かできないか。
「僕がいる事でこの方々は喜んでくださっている。ありがたいな~」と思って常に仕事を探し、献身的に自分に出来る事を最大限やらせて頂こうと頑張っています。
「おい、そこの君、これ運んでくれないか」
とある方に言われ
「あ、はい!わかりました。運ばせて頂きます。」
A君は、多くの方々に心からの感謝の言葉をかけられ、自分が救われた気持でその仕事を終えました。

B君も、困っている方を助けようと来たのですが思ったより仕事が大変で
「あ~あ。こんなにしんどいのなら来るんじゃなかった。
これくらい自分立ちでやれよ!」
と思いながら仕事をしていました。
「おい君、これ運んでくれないか」とある方に頼まれて
「は~い」と返事したものの
「お前が運べばいいだろ。遊んでんだから」
と心でぶつぶつ文句を言いながら仕事をこなしました。
そして、A君と同じく多くの方から感謝の言葉をかけられ、
「やれやれ、終わった!いい仕事したな~俺。感謝されて当たり前だ」
と一人ご満悦でした。

数週間が立ち、A君は、B君に会いました。
「B君、あの時は良い経験をさせてもらったよ。あの後、お世話させて頂いた方から
お手紙もらってね。うれしかった~!たくさんありがとうって書いてあった。
大学でもさ。実は単位足りなかったんだけど、先生が今回のボランティアのレポート見てそれに点数くださってさ!無事に卒業!就職も大手企業に内定貰ったしいい事ばかりだ!彼女もできたんだ。今度、みんなで遊ぼうよ!」
そういうA君に対し、B君は、
「そうか。俺は相変わらずだな~。親には、文句ばっかり言われるし、就職の面接は悉く落ちるし、バイト先ではあ~だこ~だ言われてみんなが嫌がる時間に入ってやってるのに文句いいやがってさ。俺が何したって言うんだ!」
そう言ったそうです。

A君とB君のやっている事は、同じくボランティアです。
見た目やった事は同じ仕事です。
違ったのは、心です。
感謝の心でやらせて頂いたA君は、感謝できる出来事が
文句ばかりでやったB君は、文句ばかりの出来事が起こりました。

これが原因と結果であり、カルマの法則です。
自分がやった事は必ず自分に返ってきます。
良い原因を作れば、良い結果が生まれます。
原因は、行(おこな)いではなく、そこでの心です。

これから人生を歩まれる中で、常に心を重視し
原因だけを求めて生きてください。
常に良い心で良い原因を作ってください。
結果は、自ずとついてきます。

もし、そこで困っている人が自分の身内や知り合いだったら。
もし、自分に文句を言う方が自分の師匠だったら。
もし、その出来事に遭遇しているのが自分だったら。
あなたは、どんな行動をとりますか?

あなたが出会う方々は、あなたに重要な方々ばかりです。
どんな人も、どんな出来事もA君のように「ありがたい」
と思える心、人々を愛する心を持っていれば、自ずと結果は
良い方へ向かいます。

人間は、幸せになる事が必ずできるようになっています。
そうならないのは、誰のせいでもない自分の責任です。
どうせ、同じ時間を暮らすなら楽しい方がいいですよね。
さ~!ここで自分に誓ってください。
「私は、私の中の神様に正直に生きます。」と。
楽しい人生を送りましょう!

"道-タオ"Love it

2008年06月03日 11時37分35秒 | 良斗からの贈り物
ご予約を頂いている皆様。
誠に申し訳ありません。
私の都合で予定より1ヶ月ほどズレて来ています。
お待たせをしておりますが、今しばらくお待ち頂ければ幸いです。

さてある方のコメントの愛情の深さに感銘を受けました。
現代の人間に最も必要なもの。
正しくこれです。
そこで、本来は"道-タオ"continuance2で終わりにしようと
思っていましたが、どうしても書かせて頂きたいので
その方への返答も兼ねて書かせて頂きます。

タオは、大きな力です。ですが、これを人間は使う事もできます。
本来に人間に与えられた力がそのひとつ。
それは「愛」です。
タオは、人間の内にもあります。
タオが起こす奇跡、タオと共に生きる事によって得られる幸せ。
人間にとって一番わかりやすい表現が"愛"です。
愛とは、人に対してだけではありません。
動物にも物にも言葉にも草木や山や川いろいろな処で愛を感じる事ができます。

タオとは「知るものであり、感じるものであり、無である」
と言いました。
愛は「知るものであり、感じるものであり、そして形の無いものです」
そう、良い事に気づいた方も居られるでしょう。
それを大切にしてください。
気付けなかった方、それで良いです。
あなたには、別の方法でお伝えできるはずです。
愛をほしいと思う方があれば、自らを愛する事です。
あなた自身が愛するという事を知り、その愛を感じ、それを自分の中に置く。
そうすれば、自ずと愛は、向こうからやってきます。
人を憎む事もなく、物に当たる事もなく、暴言を吐いたりしなくていい。
不平不満もなく、心が静かで安心に満ち溢れている生活。
それは、夢でしょうか。
いいえ、誰でもできる現実です。
なぜなら今の現実も自分自身が起こしているからです。
気づきませんでしたか?
常に不安いっぱいで暮らしていると不安がいっぱいの現実になっているはずです。
また、その逆に何とかなるさ~!と思っていると何とかなるものです。
それは、あなたの心が現実化しているだけです。
人間は、そんな偉大な力を持っています。

「私は不幸だ不幸だ!神も仏もあったものか!」と言う方が居られますが、
もし、神が人間に不幸ばかりを与えるとすれば神は暴君ですね。(笑)
その神の魂を宿している人間も暴君と言う事になります。
言い換えれば、そう言うあなた自身が暴君と言う事になります。

でもあなたは、暴君ではないですよね。
人間は、愛すると言う心を持つ事で幸せに暮らす道を歩んでいます。
それを曲げるのは、自分自身です。

あなた自身の中にあるあなた世界は、あなたが王様です。
それを他人にゆだねる事はできません。
その国で起こる事すべて王様の責任です。
その王様に愛がなければ、国民は喜んで暮す事はできません。
その国民もあなた自身です。
あなたがあなた自身を愛する事がすべての始まりです。
もっともっと自分を大切にし、心から愛してあげてください。
あなたは、素晴らしい人生を送るためにこの世にいるのですから。

本当はあなたが愛に溢れている方だという事を私は知っています。
楽しい人生を送りましょうよ!(^-^)/

"道-タオ"continuance2

2008年06月02日 09時31分28秒 | 良斗からの贈り物
タオは、この世そのものであり否定するとかしないとか
そう言うものではありません。
この道を知らない者は、この"道-タオ"の働きを知って驚くでしょう。
この道の働きを知っている者は、原因を考えず結果だけを求めるでしょう。
どちらも同じ穴の狢(むじな)。
人間の知恵で理解できるものではないのかもしれません。
だから諸聖人は、こう理解しました。
キリストは「God」
釈迦は「ダルマ」
孔子は「天」
そのすべて同じものを指しています。
そう"神"です。

ですが「道‐タオ」は、もっともっと大きくもっともっと身近な存在です。
聖人の言う神と決定的に違うのは、タオは無形であるという事
そして崇める対象では無いと言う事です。
タオは「知る」若しくは「感じる」ものであり、
本来人間が最も求めるもの「無」であると私は思います。

今、あなたが生きているものタオのおかげです。
あなたが当たり前だと思っていることすべてがタオそのものです。
目に見えるもの見えないものすべてが道なのです。