種まく人から人々へと・ 命の器(いのちのうつわ)

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長田弘、 人はなぜ、木を植えるのだろう。 『人生は森の中の1日』

2020-01-05 04:08:14 | 文学・芸術
前略

・・・
人はなぜ、木を植えるのだろう。
 自然をとりもどすため?
 地球を守るため?

 そうだと思う。
 けれど、それだけではない。
 なぜなら人は、人生のさまざまな場面で木を仰ぎ見ようとするから。
 ふだんは気にもとめない人でさえ、桜や紅葉の季節には目をとめる。

 まだかまだかと待ちわびる姿はまるで、懐かしい人からの便りを待つ人のようでもあるし、忙しい毎日にすっかり忘れていたところへ突然便りが届いて驚いているようにも見える。

 人生の岐路に立たされたとき、寂しさで打ちひしがれているとき、木は最高の友になる。
 そっとよりそい、だまってそばにいてくれる。
 それだけで、心は癒やされてゆく。

 人が木を仰ぎ見るとき、
そうやって同じように木の側で過ごした人からの手紙を受け取っているのかもしれない。


補足

人知れず荒野で木を植え続けた男がいた
エルゼアール・ブフィエ。
彼のおかげで、森も人も再生してゆく。
ジャン・ジオノの『樹を植えた男』の話だ。

4000万本の木を植えた男がいる。
生態学者の宮脇昭氏。
瀕死の森を再生すべく、今も木を植え続けている。


『人生は森の中の一日』
長田弘

何もないところに、
木を一本、わたしは植えた。
それが世界のはじまりだった。

次の日、きみがやってきて、
そばに、もう一本の木を植えた。
木がニ本。木は林になった。

三日目、わたしたちは、
さらに、もう一本の木を植えた。
木が三本。林は森になった。

森の木が大きくなると、
大きくなったのは、
沈黙だった。

沈黙は、
森を充たす
空気のことばだ。

森のなかでは、
すべてがことばだ。
ことばでないものはなかった。

冷気も、湿気も、
きのこも、泥も、落ち葉も、
蟻も、ぜんぶ、森のことばだ。

ゴジュウカラも、アトリも、
ツッツツー、トゥイー、
チュッチュビ、チリチリチー

羽の音、鳥の影も。
森の木は石ゴケをあつめ、
降りしきる雨をあつめ、

夜の濃い闇をあつめて、
森全体を、蜜のような
きれいな沈黙でいっぱいにする。

東の空が
わずかに明けると、
大気が静かに透きとおってくる。
朝の光が遠くまでひろがってゆく。

木々の影がしっかりとしてくる。
草のかげの虫。花のにおい。
蜂のブンブン。石の上のトカゲ。

森には、何一つ、
余分なものがない。
何一つ、むだなものがない。

人生も、おなじだ。
何一つ、余分なものがない。
むだなものがない。

やがて、とある日、
黙って森を出てゆくもののように、
わたしたちは逝くだろう。

わたしたちが死んで、わたしたちの森の木が、
天をつくほど、大きくなったら、

大きくなった木の下で会おう。
わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。

そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい。


・・・木の側で過ごした人からの手紙が、
あなたにも届いたのだろうか?
種まく人から、人々へと

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