先日、金融機関から1通の書類が届いた。
「拝啓 時下ますますご清祥のことと、お慶び申し上げます。…」ではじまる挨拶文と、
契約書やら変更届やら委任状やら、いろいろと大きな封筒に入って送られてきた。
住宅ローンが完済した。
いろいろな人の助けを受けながら、いろいろな工夫をしながら、いろいろな我慢をしながら、
住宅ローンがやっと完済した。
思い起こせば、ちょうど20年前の事になる。
当時、住んでいた実家は典型的な「あばらや」。しかも「借家」。
いいタイミングで、実家の近くに安く分譲されている土地があり、先輩のアドバイスを受けながら、
一大決心をしたのが22歳。
それまで8桁の数字の借金なんてした事はなく、「金は蓄えるものではない。」と妙なポリシーを持ち始めたのもこの頃だった。
その頃「家は3回建て替えしないと、自分好みの家にはならない。」と、大勢の人に言われながら実感が持てずにいたが、
今では「なんでこんな設計にしたんだろう。」と帰省するたびに悔やんでいる。
故郷の佐渡を離れて約12年。現在、両親が守ってくれている「我が家」だが、そのうち大改造を決行したい。
「拝啓 時下ますますご清祥のことと、お慶び申し上げます。…」ではじまる挨拶文と、
契約書やら変更届やら委任状やら、いろいろと大きな封筒に入って送られてきた。
住宅ローンが完済した。
いろいろな人の助けを受けながら、いろいろな工夫をしながら、いろいろな我慢をしながら、
住宅ローンがやっと完済した。
思い起こせば、ちょうど20年前の事になる。
当時、住んでいた実家は典型的な「あばらや」。しかも「借家」。
いいタイミングで、実家の近くに安く分譲されている土地があり、先輩のアドバイスを受けながら、
一大決心をしたのが22歳。
それまで8桁の数字の借金なんてした事はなく、「金は蓄えるものではない。」と妙なポリシーを持ち始めたのもこの頃だった。
その頃「家は3回建て替えしないと、自分好みの家にはならない。」と、大勢の人に言われながら実感が持てずにいたが、
今では「なんでこんな設計にしたんだろう。」と帰省するたびに悔やんでいる。
故郷の佐渡を離れて約12年。現在、両親が守ってくれている「我が家」だが、そのうち大改造を決行したい。