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書道 直庵(筆耕所)

媼と柚子と

柚子あまた実る年なりほれこれと持ち来る媼(をうな)八十五歳 丹人

予が執務室に時折来駕賜る媼あり
媼 大正十三年七月の生まれなり
寒き中をやふこそおひでなりとお迎へして
茶を差し出だせば 皺深き笑顔を見せて
うれしさふに御飲みいただくは いと嬉し

媼は今日は柚子と葱を持ちてきたる
媼曰く
今年は柚子がいっぺえ実ってなあ
去年はだめだったけんどなあ
いぢねんおぎだなあ


また媼曰く
お茶はうめえなあ
「ぬるいお茶でもあなたの手から注げば自然と熱くなる」
ふふふ 心があったがぐなるって事でしょ 




茶はむましと媼の言へば蠅叩き右手に取りて二匹叩けり 丹人

予が執務室に未だ住みゐたる蠅あり
媼の周りに飛びて行けば
机の下に常備したる蠅叩きを取り出だして
さりげなく叩くに 二発にて二匹を仕留めるも見事なり

媼の遠き眼差しにて若き頃の話を始めるに
耳峙(そばだ)てて聞き入る予なり
媼曰く
嫁ぎ来てから 子の我が実家に帰ると母の知れば
いつ来るいつ来ると門に立ちて待ちてゐたる
可哀想で見てをれぬゆゑ 帰るときは知らせずに帰るがよしと
実家継ぐ弟が我に言ふ
嫁ぎ先より実家に自転車にて帰らんとすれば急ぎても半時(1時間)はかかるものを
母は今か今かと首を鶴にして待つときけば
胸に熱く迫るものありて
親っちゅうのはありがてえもんだなあ


孝行をしたき時分に親はなし 媼遠くを見つつ呟く 丹人

媼の話をききつつ 予 ふと己が母におもひを馳せぬ
そのかみ離れて暮らす予に 時に母より電話のあれば
むまきもの おまへの好物の山と作るに けふ帰り来たれ と母のいふ
されど予 けふは無理なり 所用あり とて
母の願ひに応へることなし
あなうれしかな けふ帰らんと なぜに言へぬままに過ぎたるかと
悔やみても悔やみてもなを余りあまりに多きことをあらためておもへり

帰るよと言へばすぐ来と門に立ち母は子の来を待ちつづけをり 丹人



来訪より四半時(30分)の過ぎて
媼の荷を背負ひて帰る支度したれば
荷車を押す媼に門まで付き添ひて
帰り行く後姿を見送りゐたれり



腰深く曲がりゐたれば荷車を押して歩めるちひさき媼 丹人




*画像:小美玉市野田にて 2007.11.29 9:30-10:00 撮影
            
↑現在30位前後なり↑現在茨城1位なり
毎日一打頂戴すれば いと有難し 宜敷願上奉候

コメント一覧

あかひと
ももり媛
いぢねんおぎだなぁ に
常磐線をおもひおこしいただくは
いと嬉し
常州訛りは是
濁音のいと汚くあるも
鼻濁音の混じれば
味はひ深し
発音は全て一本調子にて
最後を尻上がりにすればよろし
いと簡単にあれば
是非 お使ひいただきたく
・・・

頓首
あかひと
TOMO姫
予の部下のいふに
媼は今や話をききたる友も家族もなしにあり
一人ぽつねんと取り残されたる寂しさをかかへていたるとこそおもへれ
話相手となるはボランティアの極致なり と

予は言へり
これボランティアに非ず
媼の話に真実あり
予 媼に教へられることばかりなれば
媼を予が人生の師とおもへる
いと有難きことかな と

頓首
あかひと
阿武蜂虎蔵氏
をを!
・・・
予も
また
柚子こそよろしけれ

車中に一つ置けば
よき匂ひに包まれての
運転なりて
まこと気持ちよし

媼曰く
柚子は匂ひよけれど
食するが一番なり
酸き味なれど砂糖まぶして
身の中に入れるがよし と

予答へたる
食すもよけれど
まずは
その色を眼で味はふがよろし
その香を鼻で味はふがよろし
風呂に入れて肌で味はふもまたよろし と

頓首
あかひと
乙女姫
乙女姫
どふか
遠慮などせずに
御尊父様をお訪ねなさるが
よろしとこそおもへれ

ろくに話などなくとも
黙りて座りていてもよろし
ゆるりとして
御尊父様の近くに居る時間を
お取りいただきたしと
・・・

頓首
あかひと
ルパン氏
氏の高潔なるお志に深く心を打たれたる
いと素晴らし
媼の予が執務室を訪れれば
予が部下も快く媼をお迎へして
温き言葉をかけたるは
いと嬉し

齢重ねし御方々を
深く敬ふ世であらんことを
・・・

頓首
あかひと
幽黙氏
をを
氏が御母堂様 大正十五年のお生まれなる哉
予が父もまた 大正十五年の生まれなり

>昭和史と共に歩みしははそはの母の背に添ふ手を吾は持つや

この御歌の心に響きてやまぬものあり
御母堂様のますますの御健勝をお祈りする次第に候

頓首
あかひと
アザミ姫
予 媼にきけり
風邪はひかぬか と
媼 微笑みて曰く
未だ風邪ひいたためしなし と
あな凄し

週に三度は訪れるも
先週より今週は
常に柚子をもちきたる
我が執務室は
柚子の香につつまれてゐたり

頓首
山口ももり
母の思い出
http://www.geocities.jp/wgwxw444/
母が逝ってもう10年。静かに、静かに旅立った人でした。「あんな風に死ねたら、死ぬのも悪くない」って思いました。82才で、ガンでしたけれど。父は57才で、胃がん・・・若すぎる死を思うと、心が痛みます。「いぢねんおぎだなあ」って言葉に、常磐線に乗った時のことを思い出しました。暖かい言葉ですね。
tomo
優しい眼差し…
http://blog.goo.ne.jp/etegami47
何度かお訪ねしては、記事を何度も読ませて頂きました。
親とは本当に有り難いものですね。
『孝行をしたき時分に親はなし 媼遠くを見つつ呟く』
tomoは 父を30年前に、母を今年の始めに亡くしました。
『母は今か今かと首を鶴にして待つ』何処も同じ…tomoの母もそうでしたよ!
居て当たり前と思っていた母が居なくなり、今ひしひしと淋しさを感じているtomoです。

老婦人を温かい眼差しで見守る丹人様の、優しさを
感じて ウルウルしています。

『腰深く曲がりゐたれば荷車を押して歩めるちひさき媼』いつまでもお元気で…お祈りしています!
阿武蜂虎蔵
http://takeyoshi-abe.cocolog-nifty.com/blog/
私の母も大正13年の生まれです。最後の写真の姿よりももっと腰が曲がっています。それにしても柚子の香りがパソコンから立ち上がって来そうです。スダチ、カボスとありますがやはりその姿、香り、味において柚子こそ王様と思いますがあかひとさんはいかに!
otome
同じような
父は大正13年8月生まれです。
同じですね・・・・
私も行くとは言わないで突然行きますが、当然来るんじゃないかと思う日(彼岸など)は近所の人にも娘が来ると言い、それは待ち遠しく待ってるようです。
あまり行かない私に兄は柿や柚子があるから取りに来いと言います。
  じいちゃんが喜ぶからと言います。
私は娘が頻繁に行かない方が言いと遠慮してます。

行くと義姉はたくさんのお土産を持たせてくれるんですよ~大根やら芋やら・・・
父はゆっくりしない娘に寂しそうな顔をします。

そんな四季折々のこんな繰り返しです。

あなたの手で熱くなるはすごい言葉ですね。
素晴らしい表現に感動しました。

長々と書いてしまいました。
母がいないので父だけだとなかなか足が向かないです。
ルパン
いい気持ちになりますね。
こんばんは。大変なご勤務ご苦労様でした。
私も今回は初めての経験でしたので、少し気合が入りすぎてしまい余計に話をしてしまったかと思います。
私なりに今回は、成功したのではないかと思います。
私の祖祖母もこの写真と同じですので、私もご老人は大事に大事にしていきたいと思います。この方たちがいるから今の私たちがいると私は思っています。この気持ちを今の若い世代に私は、伝えたいと思っている次第です。
幽黙
大正生まれ
母が大正十五年の生まれです
あとしばらく遅かったら
昭和元年になっちゃうところだったのですが…

昭和史と共に歩みしははそはの母の背に添ふ手を吾は持つや
アザミ
心温かく
おはようございます。

記事を何度も読ませていただきました。
親とは本当にありがたいものですね。
近くにいても、忙しさを理由に母を訪ねる
ことの少ない我が身を反省しています。

老婦人を見守るあかひと様の温かいまなざしが
感じられます。

3枚目の写真にある後ろ姿に、
「いつまでもお元気で」と、祈らずにいられません。
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