過日、女房が池波正太郎の特集本を売ってた。と言うことで早速、手に入れた。本は歴史読本編の”池波正太郎を読む”である。先日訪れた上田市ではなく東京都台東区にある”池波正太郎記念文庫”の紹介写真に始まり本人の対談、他の作家の池波正太郎談そして編集者の思い出など、隅から隅まで楽しく読み進めている▼その中で”オール読物”と”週刊文春”の池波正太郎担当者(花田氏と彭氏)の対話は新しい発見があり実に楽しく読んだ。その中に鬼平に関する話がある。現”WILL”編集長の花田氏が担当の時、”浅草・御厩河岸(おうまやがし)”と言う短編を書いてもらったがその中に鬼平こと長谷川平蔵が登場した。これを読んだ当時のオール読物編集長の杉村氏が”これは面白い、連載を頼め”となったようだ▼一方、池波正太郎氏は随筆家江國氏との対談の中で”鬼平は直木賞をとる前から考えていた。が、鬼平は若いうちは無理で40代越えなきゃ書けない”と思っていたと語っている▼ところで先の”浅草・御厩河岸”は鬼平犯科帳の単行本では第1巻の4話として組み込まれている。鬼平犯科帳はオール読物の昭和43年1月号から連載されていた。単行本の巻末にある初出掲載誌がオール読物となっていて43年1月から続くが4話だけが42年12月と戻っている▼私が池波正太郎氏の書き方で好きなものがある。先に述べたことにくっつけて”このことである”と言う言い回し文である。池波氏の十八番のようでよく出てくる。例えば真田太平記の2巻で、光秀の謀反に関しての文で”ただひとつ、今の昌幸に感じられることは、「足利将軍と光秀との間に、何かがあったのではないか・・・・」 このことである”。の”このことである”だ。この文が来ると嬉しくて心の中で”来た、来た”とにんまりしている▼先の担当編集者の対談でもこのことについて書かれている。が、池波氏は”これを書くと読者に喜ばれるからつい書いてしまうんだな。控えるようにするよ”と語られたいたようだ。喜ぶ読者がここにも一人いる。
歳のせいか、花に限らず名前を聞いても直ぐに忘れ”何だったかなー”と悩む。何か良い方法はないかと書くことを思いブログを始めた。しかし、ブログでは書き初めて2ヶ月目ぐらいから後で調べるのが大変になってきた。ホームページが良い、と考え4月初めから勉強を始めた▼最初から作るのではなくツールを使用するので”まあ、ブログに毛が生えたぐらい”と考え、スタートした。が、甘かった。テンプレートと言う型がありページでもページの中に使用するパーツでもこれを組み合わせて作る。テンプレートはルールが決められており幾つかのパターンがあるが少し変えたくなってもその方法が最初はわからない▼また、写真1つ載せるのにも苦労した。それでも組み合わせることでどんどん作って行き5月中旬には一応の形が出来た。ただ、全然面白くなく失敗であった▼これは企画が重要と改めて気付き、再チャレンジ。一度目に何だかんだとやったお陰で今度は少し自分の意図するように作れたところもある。ブログのページも作り、そちらでも書こうと考えている。ホームページ(HP)”望郷+田舎暮らし日記”のURLはhttp://inakaikeda.iza-yoi.net/である。
HPは過去の記事、花の名前等が調べやすい他、写真が高解像度にポップアップ出来る等の便利さがある。ただ、ブログなら過ぎ去るがHPでは恥ずかしさもずっと残る。