どうにもよくわからない部分が多くて、『怒り』をパラパラと読み返していた。
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怒り
ストーリー自体は非常に面白い。
八王子の住宅街である夫婦が惨殺されるところから物語は始まる。
殺害現場の家の壁には被害者の血で「怒」と書かれていた。
犯人はすぐに特定された。山神一也という若い男。
だが山神は一年以上も逃亡を続けている。
おそらく整形手術をして顔を変えているらしい。
その後、物語は三つの場面に展開される。
東京の直人、千葉の田代、沖縄の田中。
三人の男たちはそれぞれ謎が多い。
どうやらこの中に山神がいるらしいのだ。
それで、何がよくわからなかったのかというと、「怒」の意味。
タイトルの「怒り」にしろ、犯人が壁に残した「怒」という文字にしろ、
犯人が一体何に怒りを感じていたのかがいまいちはっきりしない。
物語の終盤で、山神が殺人をする前に怒りを抱えていたらしいことがわかるが、
それは人を殺すほどのことでもないし、しかも被害者とはまったく無関係なのである。
この後書くことはネタバレ要素を含むため、
もし映画を見たい人がここを訪問されていたらこの先は読まないほうがいいかもしれない。
この小説は、「怒り」という感情よりも、
人を信じることの難しさを描いている印象が強い。
信じるべきなのに信じられなかった、信じたのに裏切られた、というような。
山神は最後に、仲良くしていた少年に殺されるのだ。
少年は山神を信じていたから、裏切りが分かったときに包丁で刺したのだ。
山神という男は、いい人のように見えるが実は何を考えているかわからない。
事件後も前も、いろんな職場を転々としているが、どの仕事も真面目にうまくこなす。
真面目に仕事をしていたと思うと、急に暴力沙汰を起こして姿をくらます。
まるでツイッターのような短い文章で、メモ書きに本心を吐露する癖がある。
山神を知る人物の話を総合すると、山神はどうもサイコパスっぽい人物にも思える。
ふだんは温厚なのに、ちょっとしたことで怒り出すと抑えられなくなる。
潜伏中に地元の少女や少年と仲良くなり、彼らの抱えている怒りを告白され戸惑う場面もある。
山神は、怒りという感情とうまく付き合えない人物なのだ。
そういう意味での「怒り」というタイトルなのかな。
私自身も、怒りという感情が嫌いで、怒りを感じるとそれを押し殺す傾向がある。
怒りが鎮まっているうちはいいだろうが、本当は危険なような気もしている。
そういえば、夫は怒りっぽい質である。
何に怒るかというと、おもに非常識な人々に対して。
狭い歩道を手をつなぎながら歩いてくるカップルなど見ると、ムカつくらしい。
(ちなみに、私たちはこういうときいつも一列になってよけて歩く。)
それと、住宅道路の交差点で、一時停止しない車や自転車。
回転寿司で、落ち着きのない子供をレーン側に座らせる親。
バスや電車の中で大きな声で会話する乗客。
いちいちそんなことで怒ってたら血圧上がるよと、私は言っている。
怒りっぽいと言えば、ママも別な意味で怒りっぽい。
ママの怒りは非常に粘着質で面倒くさいのだ。
夫の話は笑って聞けるが、ママの話はできるなら聞きたくない。
だけど、誰かに話せるだけマシなのかもしれない。
私などは、怒りは嫌な感情だと思っているのでめったに表さない。
怒りを表すとしたら、笑いや皮肉に変えてしまう質なのだ。