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私は自由気ままに生きている。

―東京暮らし・子無し中年主婦の気ままな日常―

自己否定

2016-06-25 21:39:17 | 読書、音楽、映画
クワイエットルームにようこそ



『クワイエットルームにようこそ』(2007)。
原作は松尾スズキの小説で、
松尾スズキ自身による脚本・監督で映画化された。
ある朝、主人公の佐倉明日香(内田有紀)は目覚めると見たことのない白い部屋にいた。
どうやらベッドに両手足を固定され寝かされているらしい。
どこかから、女の叫ぶ声が聞こえてくる。
まるで『ドグラマグラ』の世界のよう。


その白い部屋は精神科の閉鎖病棟の一室で、クワイエットルームと呼ばれている。
明日香は、なぜ自分がクワイエットルームにいるのかわからなかった。
閉鎖病棟でいろんな患者と触れ合う。
摂食障害のミキ(蒼井優)は「世界の仕組みに気付いてしまったから」食べられないのだと言う。
明日香はやがて、自分の身に起きたことを思い出し見つめ直すようになる。
あまりに辛い記憶に蓋をしていたのだ。


この映画はコメディタッチだけど、内容はけっこう重たい。
人間、辛いことを笑いに替えないとやっていけないときがある。
笑わないとやっていけないというのもあるが、
どん底の自分を冷静に見ると何だか笑えてくるというのもある。
死ぬよりは笑ってやり過ごせるほうが断然マシだと思うのだ。

FAKE

2016-06-13 22:49:25 | 読書、音楽、映画
映画『FAKE』予告編



『FAKE』(2016)
最近話題のドキュメンタリー映画を見た。
誰のドキュメンタリーかというと、佐村河内守氏。
2年前に世間を騒がせたゴーストライター問題の渦中の人である。
現代のベートーベンとまで称賛されていたらしいが、
ゴーストライターであるという人物が現れたことで彼の生活は一変する。
現代のベートーベンが、稀代のペテン師へと一気に成り下がってしまったのだ。


ゴーストライターの新垣隆氏は、佐村河内氏のゴーストをなんと18年間務めたのだ。
新垣氏は音楽大学の講師をしていた歴としたクラシック畑の人物。
新垣氏によると、佐村河内氏は作曲能力がなくて譜面も書けない、
楽器も演奏できない、実は耳が聞こえているという話である。
一方、佐村河内氏はゴーストライターの存在を認めるものの、
あくまで共作であると主張している。
どういうことかというと、譜面を書けない佐村河内氏が新垣氏に指示書を渡し、
そこには曲の概念やイメージが文字で書かれているのだ。
ときにはメロディーを録音したものを渡すこともあったらしいが、
その証拠の品はなく、本当のところはどうなのかよくわからない。
ちなみに、耳のほうは全聾ではなく感音性難聴というものらしい。
音が歪んで聞こえるため、会話を聞き取るのは難しいとのことだ。


で、この映画で何が描かれているかというと、問題発覚後の佐村河内夫妻の生活。
佐村河内氏は引き籠り生活をしていて、めったに外出しない。
自宅はごく一般的なマンションで、物が少なく小ざっぱりとしている印象。
電気をあまり点けずに、薄暗い部屋で過ごしている。
奥さんと二人暮らし、プラス猫一匹。
部屋でテレビを見ていると、バラエティ番組に新垣氏が出演している。
自分のことを面白おかしく放送されているのを複雑な表情で見る。
たまにお客さんがやって来る。
それがマスコミの人で、テレビ出演の依頼に訪ねてくるのだ。
佐村河内氏は人間不信に陥っている。
マスコミの人なんか到底信じられないし、400人もいた友達も今ではゼロだというのだ。


一番印象に残った場面は、外国人記者がインタビューにやってきたところ。
彼らは新垣氏にもインタビューを行った上で、
佐村河内氏に単刀直入にいろんなことを質問してくるのだ。
耳が聞こえないのにどうやって新垣氏の作った曲を確かめるのか。
18年もの間、どうして楽譜を書けるようになろうと思わなかったのか。
どうして楽器がないのか、などなど。
ちょっと笑えたのは、なぜシンセサイザーを捨ててしまったのかという質問に対する答え。
「部屋が狭かったから。」
う~ん、なるほど~~~。
なんか、わかるような気がするよ。
この人はいろんな物事から解放されたい人なのだろう。
自宅も殺風景だし、いわゆるミニマリスト的な感じだと私は受け取った。


この映画を撮った森達也監督は、一応中立な立場であるようだ。
佐村河内氏のことを妄信しているわけでもなく、叩いてもいない。
撮影中、佐村河内氏は森監督に心を開いているように見える。
ラストは驚きの展開となるが、ここでは書かないでおく。
この映画、面白いからおススメだよ。
あと、夫婦ってすごいねと思える映画だね。

ニセモノ

2016-06-10 22:35:25 | 読書、音楽、映画
『紙の月』予告篇



宮沢りえ主演の『紙の月』(2014)。原作は角田光代で未読である。
原作を読んでいないしドラマのほうも見ていないので、純粋に映画を楽しんだ。
虚ろな感じのお嬢様育ちの主婦を、宮沢りえが上手く演じている。
私は宮沢りえと同年代なのだが、昔の彼女は健康的な美少女だったから、
将来こういう女優さんになるとは想像もしなかったものだ。


ストーリーのほうだが、そら寒い話である。
主人公の梅澤梨花は、子供がなく夫の言うなりの生活を送っている専業主婦だった。
銀行にパートで働きだすのだが、職場での評判がよく契約社員となりやり甲斐が増す。
自分でお金を稼ぐことで少しずつ自由を感じるようになるが、
化粧品や洋服を買ったりと金遣いが荒くなっていくのだ。
ある日、顧客の家で孫の大学生・平林光太と出会う。
その後ばったり駅で会うなど繰り返し、光太と男女の関係になってしまう。
デートを重ねるうちにますます金銭感覚がおかしくなっていく。
光太には借金(学費)があった。
祖父・孝三はケチで疑い深く、孫の学費を負担しないのだ。
梨花は孝三の預金を着服し、自分のお金ということで光太に渡す。
これをきっかけとし、この後自らの欲と光太へ貢ぐ金のために横領を繰り返すようになるのだ。


梨花にはそもそも、歪んだ正義感があった。
梨花はキリスト教の女子校に通っていた。
学校では、洪水の被害に遭ったアジアの子供たちへ募金・送金をしていた。
はじめは集まっていた募金も、時が経つにつれ額が少なくなっていた。
梨花はそのことに罪悪感を感じ、父親の財布から5万円を抜き取り募金箱へ入れるのだ。


お金というものは怖いものだと思う。
私は銀行員になることもないし、
今後大金を扱うこともないだろうからそう心配することもないだろうが。
それでも、ちょっとお金が入っただけで気が大きくなるというのはある。
私は、稼いだら稼いだだけ使ってしまう質なのだ。
人のお金に手を出すようなことはないからマシだが。
だが、自分のものかどうかにかかわらず、もし目の前に大金があったらどうするだろうか。
他人のものであっても、自分のお金であるような感覚に陥ってしまうかもしれない。
私はそれを考えるだけで怖くなる小市民なのだ。


「施し」という点でも改めて考えさせられた。
そもそも私も、梨花のように無理して施しをするような質なのだ。
施しをしていい人ぶりたいとか、そういうのではないのだ。
妙な罪悪感と強迫観念に襲われるのだ。
施しというのは際限がないから、気を付けないといけない。
またそういうタイプの人間は集られるのだ。

詐欺・詐称

2016-06-10 21:01:57 | 読書、音楽、映画
Catch Me If You Can - Trailer



『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002)
若き天才詐欺師の自伝を元に制作された映画で、
主人公フランク・アバグネイル・Jrをレオナルド・ディカプリオ、
フランクを追うFBI捜査官カール・ハンラティをトム・ハンクスが演じている。
16歳のフランクは両親の離婚に傷つき家出をする。
元々人を欺くことに長けていたフランクは、年齢を10歳上に偽ってパイロットに成りきるのだが、
その様が実に堂々としていて疑う者は誰もいないのだ。
他にも医者や弁護士を詐称し、
信用の高い偽アイデンティティーを作り上げては小切手の偽造を繰り返す。
最後は20歳で逮捕され服役するのだが、カールの計らいで出所しFBIに勤めることになる。
フランクは自らの経験から偽造小切手を容易く見抜くことができ、
その能力を買われたのだ。





以前、古本屋で買った『詐欺と詐称の大百科』という本。
フランク・アバグネイル・Jrの話も書かれていた。
この本によると、実際のフランクはセキュリティー・コンサルタントととして活躍している。
自らの能力を銀行に売り込んで成功したらしいのだ。


映画の元になった自伝は結構脚色されているらしい。
そもそも詐欺師の書いた自伝だから、どこまでが本当でどこからが嘘かわからないね。
だが、きっと丸っきりでたらめということはないのだろう。
大体、虚言癖のある人は話を盛るものなのだ。
そういえば、フランクは嘘を真実にもしている。
弁護士を詐称している間に司法試験を受けて合格し、実際に弁護士なっているのだ。


詐欺や詐称というと犯罪だしものすごく悪いことのように感じるが、
そこまでいかなくとも人間は多かれ少なかれ人を騙して生きている部分はある。
たとえば、ある商品を人に売るとき、
とても素晴らしいものだと偽る(盛る)ことはよくあるだろう。
働いてるふりしてサボる給料泥棒もいるだろう。
そういう小さな詐欺擬きは世の中にたくさんあるよね。

鬼畜

2016-05-28 09:58:12 | 読書、音楽、映画
鬼畜(予告)



昨夜、ぬぼーっとしながら見ていた映画、『鬼畜』(1978)。
原作は松本清張、人から聞いた実話をもとに作られたという短編小説である。
主人公の男、竹中宗吉は印刷屋の主で妻・お梅との間に子供はない。
宗吉は、羽振りのよかった時期に愛人(菊代)を囲い、子供を3人産ませるのだ。
お梅に知られないように愛人親子4人を養うのだが、
商売が傾き始め、印刷所が火事になり、菊代にお金を渡せなくなっていた。
堪忍袋の緒が切れた菊代は、子供たちを連れて宗吉の家に乗り込む。
愛人と子供の存在を知ったお梅は激高し、宗吉も妻の前で小さくなっていた。
結果、菊代は3人の子供を宗吉のもとに置いて出て行ってしまう。
ここから子供たちの悲劇が始まるというストーリー。


印象的なセリフが二つ。
菊代がお梅に、あんたが産めなかった子供を自分が3人産んだから
悔しいんだろうというようなことを言う。
お梅は宗吉に、3人の子供はあんたの子じゃないかもしれないよと言う。
こう言われたことで、お梅はますます子供たちが憎くなり、宗吉は疑心暗鬼になる。


印象的な場面があった。
酒に酔った宗吉が長男の利一に自分語りをするところ。
宗吉は子供の頃、大変な苦労をしてきたのだ。
親に捨てられ、親戚をたらい回しにされ、借金のかたに奉公に出されたのだ。
大人たちに酷い目に遭わされた宗吉だが、
今度は自分の子供に酷い仕打ちをする大人となっているのだ。
この後、宗吉は利一を海に捨てる。


宗吉は3人の子供たちを可愛がっているのだが、最終的には3人とも見捨ててしまう。
結局、子供というのは親の所有物に過ぎないのかもしれないと思わされる。
菊代にとっても子供たちは、宗吉をつなぎ留め
自分が幸せになるための道具に過ぎなかったのかもしれない。


この映画の救われるところは、利一は生きていたというラスト。
漁師に助けられた利一は、警察に父親のことを一言も話さない。
宗吉をかばっているのか、親を見捨てたのか。
それにしても、緒形拳の演技がすごいね。
ちょっとファンになってしまった。