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私は自由気ままに生きている。

―東京暮らし・子無し中年主婦の気ままな日常―

悪女とか毒婦とか

2017-05-29 22:05:24 | 悪女とか毒婦とか
最近、また悪女についてよく考えている。
なぜ私は悪女が気になるのか。
程度の差はあれ、世の中悪女だらけだと思うからだ。
女性というのはしたたかな生物である。
そのしたたかさの度合いによっては、人に許容されたり危険視されたり、
もしくは人を惹きつけたりするのだ。
そもそも悪女とは何か。辞書的には、
①容貌の悪い醜女
②性質のよくない女
③男を手玉に取る女
らしい。
昨今は③の意味で使われることが多いね。


私の中での悪女の代表格は、「白夜行」の雪穂(=「幻夜」の美冬)だ。
「白夜行」も「幻夜」も東野圭吾の長編小説だから、雪穂も美冬も架空の人物だ。
私は一昨年、この2つの小説を2度読み通したのだ。
本を読む前に、「白夜行」の映画を見ていた。
雪穂を演じていたのは清楚な雰囲気の女優、堀北真希。
原作を読んだ後も、雪穂のイメージにしっくりくる抜擢だったと感じた。


最近、ドラマ版の「白夜行」と「幻夜」を見た。
ドラマ「白夜行」の雪穂は綾瀬はるかが、
「幻夜」の美冬は深田恭子が演じていた。
ドラマ版「白夜行」は純愛仕立てだから、綾瀬はるかでも合っていたように思う。
深田恭子の美冬はもろに悪女。これもなかなかしっくりくる配役だったと思う。
というか、深田恭子は悪女役がうまいなぁ。


ところで、悪女に近い言葉で「魔性」とか「毒婦」というのがある。
実は、私はかつて魔性と言われた経験があり、当時はそれを不快に感じたのだった。
だが今となっては、そんなに悪い気はしないね。
因みに、魔性の辞書的意味は「悪魔のような、人を惑わす性質」
一方毒婦は、「人をだましたりおとしいれたりする無慈悲で性根の悪い女」とある。
毒婦と言われなくてよかったなぁ。


それで、世の中悪女だらけと感じている自分自身も
まるっきり悪女ではないとは思っていない。
悪女度は弱いと思うが、私は夫を利用してしたたかに生きているといえばそうなのだ。
自分は大した労働をせず、夫から生活費をせしめている。
私には母親という役割がない。夫の身の回りの世話をすればいいだけ。
それも、私は尽くすタイプではないから、おそらく最低限のことしかしていない。
それでも文句を言われず、私はのうのうと楽々生きている。
こう考えると、私は今まで自分のことをしたたかさがないと思って生きてきたが、
ただ単に無自覚なだけだったのがわかる。



「ソドムの林檎~ロトを殺した娘たち」



最近、このドラマも見た。
木嶋佳苗の事件から着想を得て作られたというドラマである。
犯人の女(寺島しのぶ)が最終陳述で発する印象深いセリフ。

「ギブアンドテイク、シンプルな愛のカタチ」

なるほど、そう思えば罪悪感も湧かないってもんだ。