玉ノ井部屋お相撲さんブログ


NO CHANKO, NO LIFE.

大相撲 玉ノ井部屋現役力士たちのブログです。

母校

2005年08月24日 23時20分34秒 | 東桜山
こんばんわ!東桜山です。


昨日、今日と稽古が休みだったので栃東関と渋谷と西谷と僕で
明大中野高校に行って稽古してきました。


部屋の稽古場は明日の土俵奉りが行われるまでは
使用してはいけないので母校の高校生たちと汗を流しました。


栃東関と僕は同じ明大中野出身なので久々の母校に
なつかしく昔の記憶がよみがえってきました。



稽古場にはたくさんの賞状などが飾られていますが
古いのは昭和40年代の賞状も。
昔の名札もあったり僕らにはいろんな思い出がつまった稽古場です。


今日は僕と栃東関の高校時代の思い出というか秘話を少し書きたいと思います。


僕らのころは武井先生(明大中野相撲部監督)がめちゃくちゃお元気で
稽古も毎日5,60番は当たり前。
学校に行くのは勉強ではなくて相撲のために行っていたといっても過言では
ないくらい稽古がきつかったです。

でも時々先生が職員会議や所用で稽古場に姿を現さないと
稽古場では突然、バレー大会や野球大会が行われたりするんです(笑)

明大中野の稽古場は土俵が2面あるので真ん中にヒモを張って
特設バレーコートを作ったり。
結構みんな本気でやるので汗だくになりながら・・・。
土俵の中でのバレーなので滑って転んだりも・・。

でもよくみると背中には砂だらけで体は汗だく。
1時間くらいしてバレーをやめて運動していると
会議が終わった武井先生が現れて。


「おぉいい稽古してるなぁ!!」(武井先生)


「・・・・・。はい。」(部員たち)



なんとかバレずにすみましたが稽古場の天井には
無数のボール痕。

相撲の稽古場なのにボールの後がくっきり。

今日稽古場で天井を見上げたらいまだにボールの後が。

部員たちはどんどん変わっていきますが
稽古場はまだあのころのままでなんかうれしかったです。


卒業してから武井先生に「あのころはよく野球とかやってましたよ」って
ぶっちゃけて話したら先生は「知ってるよ!お前らやってることはなんでも」と
いわれました。その当時は鬼のように怖い監督で人の心がないんじゃないか
と思ってましたが(先生すいません)僕らは先生の手のひらでうまく操られていた
んだなっと思いました。アメとムチみたいな。


帰りに学生時代によく行ったラーメン屋にみんなで寄りましたが
味もあのころのまま。
母校には時間がとまったみたいに昔の思い出がたくさんありました。

すこし気持ちが若返ったかも・・。


もう9月場所に向けて稽古もペースをあげていきますが
気持ちも新たにがんばりたいと思います。