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はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

解毒 上田秀人

2014年03月01日 | 

上田秀人の表御番医師診療禄の第三段である。五代将軍徳川綱吉の時代、御家人から医師に転じて、腕の良さから奥医師であり典薬頭である今大路家の娘婿となり、江戸城で表御番医師となった矢切良衛が主人公である。

徳川綱豊は、五大将軍の座を争い敗れた甲府宰相徳川綱重の息子である。綱重の死を綱吉の謀殺だと信じた結果、綱吉の毒殺を図る。鬼役(毒見役)である真田慎之介が亡くなる。事は前後するが、江戸市中では一角獣のツノである宇無加布留(うにこふる)が万病の薬として話題となる。解毒の薬として伝えられているのだが、現物は江戸城の宝物庫に一本あるだけだ。使った記録も無く、効能は不明である。

矢切は大目付である松平対馬守を江戸城で治療して知己を得ており、対馬守は真田慎之介の死が毒殺であることを見抜き、矢切に探索を命じる。将軍である綱吉も、小納戸であり出世街道を走り始めた綱吉の寵臣柳沢吉保も、この矢切の動きを熟知している。

作者の上田秀人は歯科医でもある。江戸城中のしきたりなども描かれていて興味深い。なによりも語り口が丁寧だが説明的ではない。面白さが削がれない。粗筋は描くことが困難なほど、錯綜することも多いが、場面場面が面白く描かれていて、その錯綜そのものが頭の中でパズルとしてピッタリと当てはまる。このあたりが、荒崎一海などのように、時としてわけがわからなくなる状態とは違ってくる。

作品の質が、かなり高いレベルで娯楽小説として完成している。安心して楽しめるという作家の、今や中身の面白さとしては第一人者ではないか。


20140222 学習会「電磁波とリニア新幹線問題」

2014年03月01日 | 日記

20140222 学習会「電磁波とリニア新幹線問題」?

放射線というのは幅広い帯域を持つ。電磁波と同義語と言っても良い。実はエネルギーそのものと言い換えてもいいのかも知れない。可視光線である光だって電磁波の一種だ。電磁波の中で電離作用を持つα線β線γ線X線中性子線などが電離放射線と呼ばれる。可視光線外の電磁波である。電離作用を与えるという点では紫外線だって同じである。

当然ながら、電力だって電磁波である。人間の細胞に限らず、すべての物質は原子や分子という形で存在していて、原子核と釣り合う電子がその周囲で回っている。電離放射線は、その原子や分子の結合そのものに影響を与え、放射線そのものが持つ電荷によって物質の組成の中で電子を剥ぎ取る。つまり、ものの鎖を引きちぎる作用を果たすのだ。だから「電離」なのである。

電磁波は、その周波数によって、電離作用だけではなく、例えば水分子を振動させて発熱させるというエネルギーを持つ。その仕組みを利用して作られたものが電子レンジである。

現在の携帯電話の最も使われている電波帯域は、電子レンジが水分子を振動させるために用いられる周波数と、ほとんど重なってしまう。つまり、現在の携帯電話社会、基地局などの社会は、弱い電子レンジに晒されながら人々が生活し生きているという話である。

放射能の影響は、ICRPも直線仮説に与する事となった。100mSv/年までは安全だ、というのはICRPそのものが直線仮説を合理的と認定した事で破綻したわけだが、それでも未だに山下俊一は安全を撤回しない。チェルノブイリ事故の山下俊一の報告では20mSv/年の被曝で有意に健康被害が出ているとしているのだが、原子力村在住の御用学者である山下サンは、自分の研究にすら蓋をして、安全・安心デマを振りまいている。

電磁波などの影響は、個人差が大きい。特に致命的なレベルではない部分で浴びると、その個人差が極端になる。中には「頭の中に電波が入ってくる」などという人まで出てくるから、精神・神経系の病として処理されることも多い。肉体的な変異が出ても、それは気のせいであり、精神が疲弊して肉体症状が出ている、などとされる。

でも、その具体的な研究はなされていない。リニア新幹線の創りだす電気から周囲に漏れだす電磁波の安全性は、放射能同様に「確率的影響」にとどまり「確定的影響」は説明されない。しかし、逆に電磁波のひとつである磁力については、ピップエレキバンのように「健康に良い」などと利用される。

薬は多量に摂取すると毒になる。人間が薬を代謝できないほど投与されると、その代謝のための臓器に負担がかかり、過負荷となって病の原因となり、時として命の危険も生じる。市販の風邪薬を大量に投与して相手を殺したとされる殺人事件だってあったわけだ。

肩に貼る小さなマグネット程度では問題が生じない場合でも、大量の磁力が生じるリニアで問題が生じないとは限らない。我々は技術の実用化の名の下、未開の地域に歩を踏み出していて、即座には影響が無いように見えるのだが、世代を重ねるごとに、その影響が徐々に出てくるのではないか。今大丈夫ということが、すなわち将来にわたって大丈夫という保証にはならないのだ。


体調が悪い

2014年03月01日 | 日記

もともと子供の頃から調子が悪かった腎臓が、今や50%程度しか性能を発揮していない状態となる。10年以上前に急に血糖値が上がり、糖尿と診察されたが、ほぼ1年に渡るインスリンの投与によって、何故か寛解状態が続く。その影響なのか、腎臓の機能が低下したままとなる。

5年ほど前に脳梗塞を発症したが、その血栓ができた理由が腎臓にあるらしい。血圧も高い。現在は薬で抑えているのだが、時として「抑えきれない」ようなこともある。

降圧剤のおかげで、立ちくらみはするし、低血圧症状が逆に出る事もあるのだが、時として逆に薬剤の効力が薄れたりして高い血圧を生じる事がある。血圧の乱高下が血管を痛めつけ、更に様々な部分に支障を来す。

胆嚢切除をしたのは3年前である。腹腔鏡手術によって胆嚢を切除したのだが、腹膜の修復が遅く、その腹腔鏡手術の痕からヘルニアを二度発症した。腹の中には、そのヘルニアを抑えるためのメッシュが、今でも二枚入っている。見事な改造人間である。

糖尿由来と思える眼底出血が二度あった。一度目は出血が自然に回収され、視力が回復した後、レーザーによる新生血管の焼付けなどで回復したのだが、二度目は出血量が多く、一度目は視力は無いが白く「光」は捉えられたのに、その光さえ感じられない程になる。手術によって硝子体を洗浄し、白内障の手術も併せて行う。網膜そのものは比較的健全だったために、厄介な術後体勢を取らずに済んだのが幸いだった。

これらも全部血栓などが由来のようである。眼底出血は新生血管というものの存在によるのだが、それができるのは、通常の血管が血栓などによって塞がり、弱い新生血管ができてしまう。これが脳だと新生血管などができる間もなく、脳梗塞である。心臓だと心筋梗塞だ。小さな血栓ならば小さな部位の梗塞で済む。オレの場合は、その段階で脳梗塞を発症した。MRIの画像を見ると、小さな梗塞部位が数多くある。血栓の大きさによって生死が決まる。オレはたまたま血栓が小さいのだが、どうも小さい血栓が体全体の各所でオイタをしてくれていて、肉体全体の機能が損なわれているようである。どうせなら大きな血栓が脳に飛んで、翌朝起きようとしたら死んでいた、という方が良かった。薬漬けである。これは多分死ぬまでであるし、薬をやめると死は一足飛びにやってくる。

脳神経外科と腎臓内科、更に皮膚科と眼科にかかっている。皮膚科は掌蹠膿疱症という事実上の難病である。脳神経外科によって主な投薬治療を受けていたのだが、脳神経外科医師の血液検査結果によって、腎臓内科に投薬治療の一本化が図られる事となる。脳神経外科は年に一度のMRI検査だけになる。3月になって、腎臓内科での受診があるのだが、その時に腎臓内科の担当医に渡す脳神経外科からの症状の説明と投薬一元化のための手紙を預かっている。忘れると、これは数ヶ月投薬ナシという事で、命が危ない。いや、冗談じゃなく。

病のデパート状態に近づいていて、父方の祖父は胃がんでやせ細って死んでいるし、母方の祖母も癌死している。父親は腹部大動脈瘤破裂によって亡くなっている。

まぁ、生まれた時に先天性の心臓血管性の障害があって、11歳の頃に和田寿郎に診察を受け、手術した。それがなければ今世紀まで生きていない。今やオマケの人生である。

人の致死率は100%である。どうあがいても死ぬ。であるならば、なるべく「楽に死にたい」ものだ。ピンピンコロリ運動というものがあるのだが、そのためには、物欲をどう抑えるかという点が重要なんだろうなぁ。物や金に執着してもあの世には持っていけない。もちろん、借金も持っていけない。