もともと子供の頃から調子が悪かった腎臓が、今や50%程度しか性能を発揮していない状態となる。10年以上前に急に血糖値が上がり、糖尿と診察されたが、ほぼ1年に渡るインスリンの投与によって、何故か寛解状態が続く。その影響なのか、腎臓の機能が低下したままとなる。
5年ほど前に脳梗塞を発症したが、その血栓ができた理由が腎臓にあるらしい。血圧も高い。現在は薬で抑えているのだが、時として「抑えきれない」ようなこともある。
降圧剤のおかげで、立ちくらみはするし、低血圧症状が逆に出る事もあるのだが、時として逆に薬剤の効力が薄れたりして高い血圧を生じる事がある。血圧の乱高下が血管を痛めつけ、更に様々な部分に支障を来す。
胆嚢切除をしたのは3年前である。腹腔鏡手術によって胆嚢を切除したのだが、腹膜の修復が遅く、その腹腔鏡手術の痕からヘルニアを二度発症した。腹の中には、そのヘルニアを抑えるためのメッシュが、今でも二枚入っている。見事な改造人間である。
糖尿由来と思える眼底出血が二度あった。一度目は出血が自然に回収され、視力が回復した後、レーザーによる新生血管の焼付けなどで回復したのだが、二度目は出血量が多く、一度目は視力は無いが白く「光」は捉えられたのに、その光さえ感じられない程になる。手術によって硝子体を洗浄し、白内障の手術も併せて行う。網膜そのものは比較的健全だったために、厄介な術後体勢を取らずに済んだのが幸いだった。
これらも全部血栓などが由来のようである。眼底出血は新生血管というものの存在によるのだが、それができるのは、通常の血管が血栓などによって塞がり、弱い新生血管ができてしまう。これが脳だと新生血管などができる間もなく、脳梗塞である。心臓だと心筋梗塞だ。小さな血栓ならば小さな部位の梗塞で済む。オレの場合は、その段階で脳梗塞を発症した。MRIの画像を見ると、小さな梗塞部位が数多くある。血栓の大きさによって生死が決まる。オレはたまたま血栓が小さいのだが、どうも小さい血栓が体全体の各所でオイタをしてくれていて、肉体全体の機能が損なわれているようである。どうせなら大きな血栓が脳に飛んで、翌朝起きようとしたら死んでいた、という方が良かった。薬漬けである。これは多分死ぬまでであるし、薬をやめると死は一足飛びにやってくる。
脳神経外科と腎臓内科、更に皮膚科と眼科にかかっている。皮膚科は掌蹠膿疱症という事実上の難病である。脳神経外科によって主な投薬治療を受けていたのだが、脳神経外科医師の血液検査結果によって、腎臓内科に投薬治療の一本化が図られる事となる。脳神経外科は年に一度のMRI検査だけになる。3月になって、腎臓内科での受診があるのだが、その時に腎臓内科の担当医に渡す脳神経外科からの症状の説明と投薬一元化のための手紙を預かっている。忘れると、これは数ヶ月投薬ナシという事で、命が危ない。いや、冗談じゃなく。
病のデパート状態に近づいていて、父方の祖父は胃がんでやせ細って死んでいるし、母方の祖母も癌死している。父親は腹部大動脈瘤破裂によって亡くなっている。
まぁ、生まれた時に先天性の心臓血管性の障害があって、11歳の頃に和田寿郎に診察を受け、手術した。それがなければ今世紀まで生きていない。今やオマケの人生である。
人の致死率は100%である。どうあがいても死ぬ。であるならば、なるべく「楽に死にたい」ものだ。ピンピンコロリ運動というものがあるのだが、そのためには、物欲をどう抑えるかという点が重要なんだろうなぁ。物や金に執着してもあの世には持っていけない。もちろん、借金も持っていけない。